193【後編】婚約者が君の魔力が自分よりも上回っているのが気に障るからと言うのでフラれたけれど実力で大成功してみる〜私のお店のお肉は美味しかったですかお客様?〜
一方その頃、噂のエルンスト侯爵邸で噂は正確にあっという間にアルベールの耳に届く。
「要するにヘルミエスは貴族としての価値観を否定し、婚約破棄の理由を首都で一番の笑い話に変えてしまった、と」
ヘルミエスに雇われた情報屋ルッカルトから秘密裏に報告を受けたアルベールは怒りで拳を震わせた。成功そのものよりも、自分の個人的な弱点とも言える婚約破棄の理由が華々しい成功の引き立て役として利用されていることに耐えられない。
(私が求めたのは私を支える妻だ!なぜ、あそこまで目立つ!)
顔は青ざめる。ただの肉屋を開いたと思っていたのに肉屋ではなく、強さがそのまま商品価値になるという貴族社会にはない、新たな価値観を作り上げていた。
婚約破棄の理由とした「女が自分より強いのが嫌だから」という言葉は男としての器の小ささを証明する、皮肉なフレーズとなって貴族たちの間で囁かれ始めているのだ。
地位を捨てたヘルミエスが侯爵夫人としての安定した地位を望んだ自分よりも、遥かに自由で遥かに輝かしい道を選んだ事実に、初めて心の底から敗北を噛み締める。
フリーダム・ミートは満席だった。ヘルミエスは珍しくフロアに出て、客が興奮する炎の肉焼きショーを披露。魔力制御は鉄板の火力を瞬時に調整し、肉の表面を一気に焦がし、旨味を閉じ込める。技術は職人芸。
店の片隅の席で深めにフードを被り、顔を隠した男が一人、凝視していた。言わずもがなな、アルベール・エルンストである。
数日前から変装し店を訪れ、客として焼肉を食していた。肉の味に自身の矜持とは裏腹に否応なく魅了されていた。そして今夜、意を決してヘルミエスに声をかける機会を窺う。
パフォーマンスを終え、汗を拭いながらカウンターに戻る途中、アルベールのテーブルの近くを通りかかる。
「お客様。お肉の焼き加減はいかがでしたか?」
ヘルミエスは、客に対しては慇懃な態度で尋ねた。フードの男はゆっくりと顔を上げたときにはヘルミエスの青い瞳が、美貌の元婚約者を捉えた。
一瞬の静寂。店の喧騒が遠のく。ヘルミエスの顔に驚きの色は一切なかった。久しぶりに見る家具でも見たかのように、淡々と応じる。
「これはこれはアルベール様。こんな裏通りで何をしているのかと思えば。変装などなさらなくてもお入りいただけましたのに」
変装は完璧だったはずだが、洞察力、あるいは魔力が容易に見抜いていたらしい。口元を引きつらせながら低く囁くように言った。
「ヘルミエス。君はなぜこんなことをしている。君は公爵令嬢だぞ。下賤な商売で君の価値を落とすつもりか」
ヘルミエスはやれやれと肩をすくめた。その動きには貴族の諍いなど取るに足らないという態度が滲む。
「価値ですか?今、自分自身の力で自分の狩った肉を最高のタレで提供し、皆を熱狂させています。価値は公爵令嬢という看板よりも、鉄板の上で証明されています」
そして、テーブルの上に置かれたアルベールの空になった皿を指差す。
「それに、あなたも私が価値を落としたと評する肉を、二皿も平らげたのではありませんか。侯爵としての矜持に反する行動だとご自身はお思いになりません?」
アルベールは真っ直ぐな一点の曇りもない視線に射抜かれ、言葉を詰まらせた。
「だが、君は!求めたのは支える妻だ。君の強さが、私の——」
「男としての矜持を傷つける、と言いたいのでしたら結構です。婚約破棄の理由は既に皆知っていますしね」
一切感情を込めず事実だけを述べた。彼女にとって既に終わったどうでもいい話なのだ。
「さ私の強さが店の最大の売りになっています。狩れなければ誰も肉は食べられない。強くなればなるほど店は栄える」
鉄板を磨いていた布を一旦置き、アルベールの目を見てニヤリと笑う。
「嫌いな私の強さが、私にとっては最高の財産だったわけです。感謝していますわあの時、解き放してくれてありがとう」
言い終えると、隣のテーブルにできた汚れを無言で拭き取り始めた態度は、アルベールという存在がテーブルのシミと同程度の、対処すべき雑務でしかないと言っているかのよう。
「ご馳走様でした。お代は?」
ヘルミエスの軽蔑的な態度に耐えられず、財布を握りしめた。
「そちらのルッカルトが承ります」
ヘルミエスは会計担当のルッカルトを指し示し、アルベールにはもう視線すら向けなかった。
公爵令嬢としてのヘルミエスには常に敬意と威厳をもって接してきた。
しかし、今のヘルミエスは圧倒的な実力を持つ店主。彼女の店で自分より強い女が嫌いだから振った男として成功を支える肉を食し、金を払っている。
捨てた女性の成功の土壌に立つという、人生最大の皮肉を味わいながら店を後にするしかなかった。
相手の背中に向かって、冷たく少しも愛情のない声をかける。
「またお越しくださいませ。お帰りをお待ちしております、大切なお客様」
二度と戻らない元婚約者ではなく、リピーター客としてアルベールを扱ったのだ。




