192【中編】婚約者が君の魔力が自分よりも上回っているのが気に障るからと言うのでフラれたけれど実力で大成功してみる〜私のお店のお肉は美味しかったですかお客様?〜
元婚約者のアルベール・エルンストは、自室の重厚な書斎で苛立ちを隠せずにいた。
婚約破棄から約一ヶ月。当初、清々しささえ感じていた。
自分より圧倒的に強い女性、常に先を見ているヘルミエスから解放されたこと。これこそが男としての矜持を守る唯一の道だった、はずなのに。
ヘルミエスは公爵家の後継者という立場を投げ出し、何の騒ぎも起こさず静かにひっそりと社交界から姿を消した。
目論見通り、これで自分の隣には慎ましやかな、影から支えるにふさわしい女性を迎えることができる。しかしながら、現実は違う。
ヘルミエスの魔力があまりに傑出していたためか、彼女を失ったアステリア公爵家は力を落とし、連動してアルベールの侯爵家が期待していた公爵家との連携も曖昧になった。何よりも。
「アルベール様、少しよろしいでしょうか」
側近の青年テオが緊張した面持ちで入室してきた。社交界の近況報告を行う役目だが、最近は特に報告内容がアルベールの機嫌を損ねる。
「どうした、テオ。またくだらない噂話か」
冷ややかに言う。
「くだらなくは……最近、首都バラルドの裏通りで奇妙な店が爆発的な人気を博しているのです。店名はフリーダム・ミート。聞いたこともない焼肉という料理を出す店で、肉はすべて店主が自ら魔物跋扈の森から狩ってきている、と」
眉間に深い皺を刻んだ。
「馬鹿げている。自分で狩りをした肉を裏通りで売っているとでも言うのか?そんなことは我が国で許されるはずがない」
「それが、問題なのです。店の経営者は身元不明の女性。手際の良さと扱う魔物肉の質の高さが尋常ではないとか。女性が持つ魔力が」
テオは言葉を濁す。
「以前お傍にいらしたあの方を思わせます」
思考が一瞬で停止した。
(ヘルミエス?公爵令嬢が肉を狩って、裏通りで焼肉?下賤な真似を完璧主義の女がするはずがない)
しかし、次の報告が疑念を確信に変えた。
「フリーダム・ミートの共同経営者には元宮廷料理人のマイリー氏、裏社会の金融王ルッカルト氏が名を連ねています。店に投資しているのは金銭ではなく、純利益の分け前だとか。口を揃えて店主の圧倒的な実力と肉の品質への投資だと語っているそうです」
立ち上がった顔には、怒りとも焦燥ともつかない複雑な感情が渦巻く。ヘルミエスは侯爵家との繋がりを捨て、貴族の義務を投げ捨てた代わりに自由と己の力を存分に発揮できる場所を見つけたのだ。
しかも、彼が必死に守ろうとした社会の規範や貴族の常識を豪快な実力で踏み潰していた。彼が最も嫌ったはずの要素、ヘルミエスの圧倒的な力がビジネスの根幹。
「自分より強い女は嫌だ」
と彼女を捨てた男。男が守ろうとした矜持は強さを糧とした自由な成功によって、笑い話になりかけている。
「テオ。店についてもっと詳しく調べろ。ヘルミエス・アステリアの現在の状況を全て報告せよ」
アルベールは窓の外の空を見上げる。ヘルミエスがどこまでも手の届かない高みへ、彼が軽蔑する下賤な商売という形で駆け上がっている事実に、心は黒いモヤに覆われていった。
都市バラルドの裏通りにオープンした焼肉屋フリーダム・ミートは瞬く間に社交界の禁断の話題となった。狩ってくる魔物肉の味は既存の貴族料理の概念を覆し、特に莫大な魔力で瞬時に鮮度を保たれた肉は、貴族の飽きっぽい食欲を刺激するのに十分だ。
公爵令嬢が経営者であることは既に公然の秘密。今は商売人として振る舞い、誰も彼女を蔑められなかった。なぜなら、店の成功が圧倒的な実力に完全に裏打ちされていたから。
ある日、侯爵家の次男、若き伯爵、外交官という顔ぶれがフリーダム・ミートの個室に集まっていた。ヘルミエスとアルベールの共通の知人であり、店の熱狂的なリピーターでもある。
「いやはや、ヘルミエス嬢には脱帽だよ」
伯爵が目の前で焼けるロックバイソンの肉を頬張る。
「絶妙な魔物肉が他の追随を許さない。店主自ら、森の奥深くで危険を冒して狩っているという話が食欲をそそる」
外交官が頷く。そこで、侯爵家の次男が意地の悪い笑みを浮かべた。
「しかし、皮肉なものだ。アルベール様はヘルミエス嬢が自分より強すぎるという理由で婚約を破棄したと聞いている」
瞬間、個室の空気が凍り付いた。それは、貴族社会におけるタブーとされていた話題だ。伯爵が小声で聞き返す。
「それは本当に本当なのか?」
「ああ。私も初めは信じられなかった。だが、考えてみろ」
次男は熱された鉄板を指差すら。
「ヘルミエス嬢は今、強さを最大限に活用して、国で最も話題のビジネスを立ち上げている。強さがなければ希少な肉は手に入らないし店も成り立たない」
外交官がハッと気づいたように呟く。
「つまり、アルベール様が……女が強いのは嫌だと手放したヘルミエス嬢の強さこそが貴族たちを魅了し、莫大な富と名声をもたらしているというわけか?」
「そういうことだ」
次男は肩をすくめる。
「アルベール様は妻となる女性に矜持を守ることを求めた。だがヘルミエス嬢はその矜持を守る代わりに、自身の自由と力を選び、結果として誰よりも成功したというわけさ」
伯爵は肉を焼き、苦笑。
「アルベール様は今頃どう思っているだろうな。軽蔑した強すぎる女性が属する社交界全体を、知らぬ焼肉という料理で支配し始めているのだから」




