106【前半】推しキャラのためにと思っていたらめっちゃ推される
ざまぁなし
「おはようございます、ランズロウさん!」
朝日に照らされたオフィスに、ミキの明るい声が響く。分厚い書類の山に囲まれたデスクで、ランズロウは軽く手を上げた。鋭い眼光は相変わらずだが、その表情にはほんの少しの緩みが見える。
「ああ、ミキか。今日も早いな」
「えへへ、皆さんのためなら!」
この社会の組織、通称夜影の本部に勤めて早数年。元々はただのアプリゲーム好きだった自分。ゲームが現実に。まさかゲームの登場人物であるランズロウの側で働くことになるとは、夢にも思わなかった。
きっかけは、ひょんなことから自分がプレイしていたゲームの世界に似た場所にいると気づいたこと。中心にいるのが、 ゲーム内で最も推していたキャラクター。冷酷なカリスマボス、ランズロウだと知ったこと。
いてもたってもいられず。兎にも角にも。彼女はありとあらゆる伝手を頼り、夜影の末端の事務として潜り込んだのだ。頑張ったので誰か褒めてくれ。
もちろん、最初は戸惑うことばかりだった。現実の裏社会は、ゲームのような甘いものではない。血なまぐさい抗争。飛び交う怒号。ランズロウを筆頭とする幹部たちの只ならぬ雰囲気に、ミキは何度も足がすくんだ。
それでも持ち前の明るさとゲームで培った(?)ランズロウへの深い理解で少しずつ組織に馴染んでいった。経理としての仕事は、数字とにらめっこの地味な作業だが几帳面で数字に強いミキは才能をいかんなく発揮。
複雑な資金の流れを整理し、無駄を洗い出す彼女の手腕はランズロウからも高く評価されるようになった。
何よりも至福の時間はランズロウの近くにいられること。ゲームの中では遠い存在だった彼が、今は目の前で仕事をしている。時折、書類のことで話しかけられたり、難しい顔で相談されたりするだけで、ミキの心はときめいた。
古株になった今では組織の古参メンバーたちも、ミキの明るさと真面目さを認めている。最初は訝しんでいた幹部たちも今では彼女に冗談を言ったり、差し入れのお菓子をくれたりするようになった。
もちろん、裏社会の厳しさは変わらないが、ミキがいることで、どこか雰囲気が和んでいるのも事実だった。今日も、ランズロウのために、そして夜影のために、経理の仕事に励む。好きなキャラクターのいる世界で自分の力を発揮できる喜びを感じながら。
夜影の本部の一室。ミキは、普段の経理の仕事とは打って変わって、真剣な表情でノートパソコンに向かっていた。画面には、複雑な相関図やキャラクター設定、物語の骨子がびっしりと書き込まれている。手がけているのは、夜影の活動を題材にした、新たなゲームのシナリオ。きっかけはランズロウの一言。
「お前はあのゲームが好きだったんだろう?なら、この世界を題材に何か作ってみろ」
最初は冗談かと思ったがランズロウの目は真剣だった。本当か。社会のリアルを知るミキだからこそ描ける物語があるのではないか、という期待が込められていた。これは願ってもない機会だ。
大好きなゲームの世界を、今度は自分の手で創造できる。もちろん、題材が題材だけに、生半可な気持ちでは取り組めない。夜影の内部事情、抗争の裏側、そして何よりも、ランズロウをはじめとする個性的な幹部たちの人間ドラマを、エンターテイメントとして昇華させる必要がある。
彼女はまず、夜影の古参メンバーたちに話を聞くことから始めた。彼らが経験してきた修羅場、忘れられない出来事、組織への忠誠心。表沙汰になることのない、生々しいエピソードの数々は、想像力を掻き立てた。
特に、ボスであるランズロウの過去や信念は、シナリオの核となる重要な要素。普段は多くを語らないランズロウだが、シナリオの話を持ちかけると、意外にもぽつりぽつりと自身の経験を語ってくれた。
それは、ゲームの中のカリスマ的なボスとはまた違う、人間味溢れる一面。経理の仕事が終わった後や、時には徹夜で、シナリオの構成に没頭した。登場人物たちの背景を掘り下げ、複雑に絡み合う人間関係を構築し、プレイヤーが感情移入できるような物語の骨格を作り上げていく。
彼女のシナリオの特徴は、単なる社会の抗争劇に留まらない点だった。そこに生きる人々の葛藤や希望、そして時にはコミカルな日常を描くことで、重くなりがちなテーマに、明るい視点を持ち込んでいる。
例えば、組織のNo.2であるクールな幹部が、実は猫好きで、子猫の前ではデレデレになってしまうというギャップのある一面。武闘派として知られる古参メンバーが、意外にも手先が器用で、趣味の盆栽に情熱を燃やしているといったエピソード。ミキのアイデアによるものだ。
もちろん、シナリオ作りは順風満帆ではなかった。社会のルールやタブーに触れないように注意しながら、エンターテイメントとしての面白さを追求するバランス感覚が求められた。時にはランズロウや他の幹部から。
「それは現実離れしている」
「甘すぎる」
といった厳しい意見を受けることもあった。そんな時、ミキはゲーム好きとしての知識と情熱を武器に、彼らを説得した。
「ゲームだからこそ、現実にはないドラマチックな展開が必要です。でも、そこにリアリティの根っこがあれば、きっと人の心を掴めるはずです」
彼女の熱意は徐々に周囲の心を動かしていった。特に、普段は口を出さないランズロウが時折、核心をつくようなアドバイスをくれるようになったのはミキにとって大きな励みだった。一息つく。
シナリオ構成が進むにつれて、ミキの中で、ゲームの世界と現実の社会が不思議な形で融合していった。いける。ゲームのキャラクターに重ねて見ていたランズロウや幹部たちが、生きた人間として、より深く理解できるようになった。
さらに進む。そして、彼らの魅力を最大限に引き出すシナリオを描きたいという思いが、ますます強くなっていった。経理の仕事で培った分析力や構成力も、シナリオ作りに大いに役立った。
資金の流れを読むように物語の伏線を張り巡らせ、収支報告書のように論理的に物語の構造を組み立てていく。ミキならではの、異色のシナリオ構成術と言えるだろう。そして今、ミキは、物語のクライマックスに向けて、最も重要なシーンの執筆に取り組んでいる。
それは、ランズロウという男の生き様、そして夜影という組織の未来を左右する、壮大なスケールの物語になるはずだ。彼女の頭の中には、魅力的なキャラクターたちが生き生きと動き回り、劇的な展開が次々と繰り広げられている。かつて夢見たゲームの世界を、今度は自分の手で作り上げる喜びと、それをランズロウに見てもらうという特別な感情が、筆を走らせる。
夜の静寂の中、キーボードを叩く音だけが響く。情熱が注ぎ込まれたシナリオは、きっと社会に新たな波紋を広げることになるだろう。経理のプロフェッショナルとして、ゲームシナリオの構成者として、ミキの挑戦はまだ始まったばかり。
夜影を抜けて数ヶ月。ミキは、以前から借りていた都心の一室を、本格的なゲーム制作の拠点へと変貌させていた。壁一面に貼られたコンセプトアート、散乱する資料、そして常に起動している複数のモニター。
経理の面影はなく、目はクリエイターの熱意に燃えている。組織に在籍しながらのシナリオ構成は、どうしても時間的な制約があった。しかし、今は違う。自分の納得いくまで細部にこだわり、理想のゲームを作り上げることができる。
ミキは、充実した日々を送っていたが。もちろん、組織を抜ける際には、多少の波風はあった。特にランズロウをはじめとする幹部たちは、ミキの決断に驚きを隠せなかった。
「お前のような人材が抜けるのは痛手だ」
とランズロウは言ったが、ミキのゲームへの情熱を知る彼は最終的には彼女の背中を押してくれた。
「だが、何かあればいつでも頼れ。お前は夜影の人間だ」
その言葉は、ミキにとって大きな心の支えとなった。ゲーム制作は順調に進んでいた。ミキが中心となり数人のフリーランスのクリエイターやプログラマーと協力しながら、デモ版の完成を目指している。
組織での経験が、意外な形でゲームのアイデアに繋がることも多かった。人間関係の複雑さ、駆け引きの妙、そして、時に見せる人間味。それらは、ミキのシナリオに深みを与えている。
そんなある日のこと。作業に没頭していたら、部屋のチャイムが鳴る。モニターから目を離し、誰だろうかと訝しむ。こんな時間に訪ねてくるような知り合いは、今はいなかったはず。ドアを開けると、そこに立っていたのは、見慣れた漆黒のスーツに身を包んだランズロウだった。
「ランズロウさん……!?」
驚きのあまり、ミキは言葉を失った。まさか、あのランズロウが自分の住む質素なマンションに現れるとは、想像もしていなくて。ランズロウは、ミキの狼狽ぶりを気にも留めず、静かに部屋の中を見回した。
「ここが、お前の新しいアジトか」
「あ、はい……。どうぞ、お入りください」
ミキは慌ててランズロウを部屋に招き入れた。散らかった資料や、エナジードリンクの空き缶が転がる部屋は、とてもボスを迎えるような状況ではなかったがランズロウは特に気にする様子もなかった。
ランズロウはソファに腰を下ろし、ミキに促して向かいに座らせた。沈黙が流れる。ミキは、ランズロウが一体何の用で来たのか、全く見当がつかなかった。
「組織を辞めてから、しばらく経つな」
ランスローは静かに口を開いた。
「はい、おかげさまで、ゲーム制作に集中できています」
「進捗はどうだ?」
「はい、デモ版のシナリオはほぼ完成しました。グラフィックやプログラミングも、少しずつ形になってきています」
ミキが答えると、ランズロウは軽く頷いた。
「そうか。それは良かった」
そこで会話は途切れた。ミキは、ランズロウの真意を探ろうとしたが表情からは何も読み取ることができない。




