100 貴様の蚊の鳴くような声など王家の宴には相応しくない!隣で美しく歌い上げる義妹メロディこそが真の歌姫だ。婚約を破棄し、貴様は北の果ての絶叫の谷へ追放する
追放、ざまぁ
「フェリス!貴様の蚊の鳴くような声など王家の宴には相応しくない!隣で美しく歌い上げる義妹メロディこそが真の歌姫だ。婚約を破棄し、貴様は北の果ての絶叫の谷へ追放する」
王子オーウェンはフェリスの喉を掴むようにして冷たく言い放った。フェリスが必死に「……やめて」と呟いても、その声は周囲の嘲笑にかき消される。
「聞こえないぞ無能!もっと大きな声で命乞いしてみろ!」
だが、オーウェンは知らなかった。フェリスが声を抑えていたのは言葉一つで世界が崩壊するほどの力を持っていたから。全宇宙の振動を司る原初の調律神。
「……そう。私の声が聞こえないの」
フェリスが意志を込めて呟いた瞬間、王宮のすべてのシャンデリアが粉々に砕け散り、オーウェンの声は喉に張り付いて音を失う。
北の果て、死の風が吹き荒れる絶叫の谷。そこに一人取り残されたフェリスの前に、漆黒の霧を纏った男が現れた。
世界の半分を影で呑み込む深淵の帝王のユーグ。
あまりに強大な魔力ゆえに、常に周囲の音を破壊してしまう呪いを背負っていたが、フェリスの吐息を聞いた瞬間、跪いた。
「……ついに見つけた。荒れ狂う魂を鎮め、調和をもたらす唯一の歌を。フェリスの声だけが絶望を終わらせてくれる」
ユーグは華奢な体を抱き上げ、自らの玉座へと運んだ。フェリスを女としてではなく、自分の心臓を動かす命の律動として狂気的なまでの溺愛を注ぎ始めた。
ユーグの城の食卓には魔界の深淵でしか採れない真珠のキノコや火龍の心臓のステーキが並んでいた。
「……おいしい。ユーグ食べてみて」
小さく囁くと言葉自体が最高のスパイスとなり、料理の風味を極限まで引き上げた。一口食べたユーグは衝撃に瞳を潤ませる。
「おいしいと言うだけで泥のような世界が楽園に変わる声を、響きを私以外の誰にも聞かせたくないな」
そこへ言葉と声を失ったオーウェンとメロディが、ボロ布を纏って這いつくばりながら現れた。
フェリスが去った王国では調和」が失われ、すべてが不快な雑音と化し、食料はすべて腐り果てていたのだ。
「あ……あ……っ!!」
オーウェンは声にならない悲鳴を上げ、足元に縋り付こうとする。
「……うるさい静かにして」
フェリスが指を唇に当てて囁いた瞬間、オーウェンたちの周囲から音そのものが消失した。
彼らは自分の心音すら聞こえない絶対零度の静寂に閉じ込められ、一生誰とも意思疎通ができぬまま孤独という名の闇に食われる。
邪魔者が消えた広間で、ユーグはフェリスを後ろから強く抱きしめた大きな手が、細い喉元を愛おしそうになぞる。
「囁いてくれ。私が君だけのものだと。……君の小さな声で理性を壊してほしい」
「……ユーグ、あなたは欲張り」
フェリスが耳元で甘く囁くとユーグは獣のような溜息をつき、唇を深く塞いだ。
声が小さいと蔑まれた少女は最強の帝王を一言で従わせ、永遠に甘い律動の中で愛し合う。
ユーグの城での生活は囁き一つで支配される、甘美で危険な調和に満ちていた。
昼下がり、ユーグはフェリスを膝に乗せて果実のコンポートを差し出す。
「果実は食べる瞬間に食べる者の最も望む音を奏でると言われている。君は何を望む?」
フェリスが果実に口を寄せ「……愛して」と微かに囁いた。果実がパチンと弾け、城全体に天界の竪琴のような美しい音色が響き渡ったと同時にシロップの甘みが脳を溶かすような、極上の旋律の味へと変わる。
「……ふふ、凄くいい音。ユーグの心臓の音に似てる」
「君という存在そのものが魂を掻き鳴らす楽器。満足げな顔。甘い声を独占できるなら神から言葉を奪うことさえ厭わない」
首筋に深く顔を埋め、彼女の出す小さな吐息という名の音色を一つも漏らさぬように吸い上げた。二人はその後、フェリスが捨てられた王国の市場へと降り立った。
フェリスが奪った調和の影響で街はひどい有様だった。声を出そうとしても不快な不協和音しか出せず、音楽も鳥のさえずりもすべてが黒板を爪で立てる音のような騒音に成り果てていた。
「……ひどい音。みんな耳を塞いで生きてる」
二人が歩いていると路地裏から耳を押さえてのたうち回る男が現れた。王子オーウェンだ。
自分から奪い取った美しい声を持つはずのメロディが、今や口を開くたびに豚の悲鳴のような音を出すことに絶望し、気が狂いかけていた。
オーウェンは、フェリスの周囲だけが清らかな静寂に包まれていることに気づき、必死に手を伸ばした。
「あ……が……あ……っ!!(フェリス、助けてくれ、騒音を止めてくれ)」
フェリスは立ち止まり、ゴミを見るような目で見下ろした。
「静寂が欲しいなら、一生分の無音をあげる」
フェリスがそっと人差し指を自分の唇に当てた。
「しー、よ」
ドォォォォン!!
オーウェンの周囲だけ、文字通り音という概念が消滅した彼は自分の叫び声はおろか、空気が震える音さえ感じられなくなり、永遠に続く孤独な真空の中に突き落とされた。これから、静寂という名の拷問に焼かれ続けることになる。
城に戻ると、ユーグの独占欲が爆発した。他人の前にフェリスを立たせることが彼にとっては耐え難い苦痛だそう。
「フェリス……あんなゴミに君の声を聞かせるな。君の声は私の耳元で壊すためだけに震えればいい」
ユーグはフェリスを寝室の黒い絹の上に押し倒し、両手を手枷のような力で封じた。
「命令してくれフェリス。私を君の愛で動けなくしてくれ」
「……ユーグ、あなたは本当に困った人」
フェリスが彼の耳元で耳朶に触れるほど近くで囁いた。
「私だけを見て。一生逃げちゃダメ」
言霊がユーグの魂に刻まれた瞬間、歓喜に震えて獣のような熱さでフェリスに溺れていった。
存在感がないと笑われ帝王の運命を操る唯一の神音となり、終わらない愛の夜を奏で続ける。
最後まで読んでくださり感謝です⭐︎の評価をしていただければ幸いです。100話ですねえ




