そのL
その選択に猶予があるというだけで。
きっともう、報われているんだよ。
次回は日曜日に投稿します。よろしくお願いします。
「このみ、私に絵を教えてほしい」
この子の名前を直面して呼ぶのはこのときが初めてだった。
ただ、そこに緊張感も違和感も小っ恥ずかしさも皆無で。
まるでそれ以外考えられないくらい私の引き出しにはすでに用意されてたみたいに、自然な呼び声だった。
むしろ今までが不自然だと思わせるほどこの子の名前は心地いい響きをしていた。
「うん、いいよ」
「ありがとうね……あと急にごめんね」
「ううん、気にしないで。くろ……透華ちゃんから頼られるのは嬉しいし、そんな真剣な目で言われたら断れないよ」
「ごめん……ありがとう。あと、名前は無理しなくていいよ。これは私の勝手だから」
「いや、私もそうしたいから……ちゃんと慣れたい」
「そっか……じゃあ、それもありがとう」
「うん。それで、絵を教えてほしいってのは? なにか特別描きたい絵があるの?」
「あぁ、うん。描きたいモチーフとシルエットは大体頭の中で完成してるんだけど、ちゃんと描ける自信がなくてさ」
「そっか。でも、それは私が一緒でもいいのかな?」
「このみにはさ、自分の絵がどうしたら好きになれるのか教えてほしい」
「自分の絵を好きになる……か」
「うん。私はさ、たぶん今の私じゃどんな絵を描いても理想に届かない。でも描きたいものはちゃんと自分の力で絵にしたいんだ……だから、今じゃなくてもいい。いつか自分が自分を認められる絵を描くために、このみはいつもなにを考えてるのかな……って」
「う〜ん……どうなんだろ…………」
「このみは今の自分の絵が好き?」
「正直、まだ好きじゃないかな。私もまだまだ理想に届いてないことばかり。でもさ、嫌いにもなれないかな……」
「嫌いにもなれないか……」
「うん。なんていうんだろ……私は認めるとかじゃない気がするから。理想ってやっぱ完璧なものを想像しちゃうけど、当然私は完璧じゃないから。私の実力じゃまだ上がいっぱいいるって当たり前だし、だからこそ理想は身の丈に合わないものばかりなのが普通なのかなとも思う」
「完璧な人がいるからこそ、私たちの思う理想もまたその完璧に合わせてしまうってこと……?」
「なんかそんな感じ。あぁ、もしこんな絵が描けたらなって……描けないことを前提にしてるのが私の理想。だから私の絵じゃ、私はまだ好きな絵を描いてるとは言えない。でもだからこそ楽しいって……私も最近は思えるかも」
「このみはそれが楽しいと思えるようになったんだ」
「うん。でもそれは絵がどうこうじゃなくて、絵を描いてる自分が一番輝いてるって自分で分かるようになったからかも。もちろん、絵で賞を取れたら一番嬉しいけどね……へへ」
「絵を描いてる自分が一番輝いてるか……確かにそういうことなんだ」
なぜどうして……私は結果ばかりに囚われていたんだろうか。
相手に完璧を伝えきらなければいけないとか、ちゃんと品行方正で完全無欠で清廉潔白を求めて過ぎていた気がする……。
絵が好きで。絵を描いたら。絵でなら伝えられる自分がいるから……だから絵を描くだけでもいいんだ。
「一枚で足りないなら、二枚でも三枚でも描いてしまえばいいんだ……」
「私はそれでいいと思うな……。好きだから続ける理由になるし、続けることでまた好きになる理由になるって感じが私はする。それがぐるぐるしてる内にね、楽しくない時も退屈なときも面白くないときもあったけど、結局手放せなくなるから。そのとき、全部ごちゃまぜにして好きなんだって見える気がするなぁ……なんて私は思うよ」
なにか、どこかで進也と言っていたことと重なっているように聞こえた。
ベクトルは違う。言葉も声色も違う。
でも、根本的なものが似ていた。
きっと、このみは今まで、色んな方向から好きを見てきたんだ。
嫌だと思う一面も、苦しい側面も、楽しい裏面も、そして……それでも輝かしいと思える正面も。
好きにも形があって。夢にも形があって。
私たちは自由に歩くが故に、迷子になっては好きを探して、憧憬に対して違う一面を知る。
だからこそ、痘痕にもえくぼなんだ…………。
「なんか、ありがとうこのみ」
「ううん。なんかどういたしまして透華ちゃん」
「私さ、たぶんまだ前を向いてないんだと思う。でも前を向く方法は知ってるからさ……まずは体を起こしてみるよ」
こんな暗喩……分かりにくい隠喩……伝わらないかもしれない。
揶揄なんだと傷つけてしまうかもしれない。
でも、私は本当にまだその理想の形の全部を知らないから。だからまずは色々調べなきゃいけないから。
そのために体を起こすんだ。
たとえこのみに勘違いされて届かなくてもいい。
ただ、私の真剣な声を聞いてほしい。
「私、これからはちゃんと走ってみるよ」
このみはそれに対して。
「大丈夫だよ透華ちゃん。上には上がいるからさ、案外全力で走れば後ろ姿が見えるものだよ」
拘泥を汲み取ったような、そんな返事をして笑ってくれたのだった。
あぁ、いるよ。私が走った先にはまず、このみがいるんだよ……待ってろよ。
放課後になり、私は寄り道をした。
行き着いた先は、例の保健室。
もう、誰があるのかは分かりきっている。私はその人に、今度こそ確認したいことがあったのだ。
ガラガラと古い扉は大きな音を立てて小さく開く。
「…………透華」
「水島先生」
私と先生は、雨粒が地面を叩くよりも短い間、じっと見つめ合っていた。
「透華、どうしたの?」
「先生、私が今から走り出したとして、愛歌のいる場所は前なんだと信じてます」
以前……随分と以前、先生は最後に私に言った。
……大切な人のことで、私が私を分からなくなったら来て、と。
だからそれが今なんだと思った。
私が走り出したとき、私は一番早くに愛歌の元へ向かいたい。
愛歌に1秒でも早く抱きつきたい。両腕で力一杯に愛歌を包みたい。
でも、それは私の走り方で、私の考えで、私の道で、私は辿り着きたいから。
だから私が前を向いてると信じている時。
愛歌が前を向いている時。
私たちは果たして、ちゃんと向き合うことができるんだろうか……。
「それは、きっと大丈夫。ぜったい……大丈夫」
「絶対……ですか?」
「うん。ぜったい。わたしが約束する」
「……なんでそう言えるんですか?」
「わたしの大切な人が教えてくれた言葉があるの」
「…………はい」
和先生は、そっと自らの胸元に手を置き、瞳を閉じた。
「もし、背中を押してくれる人がいるなら、前を向きなさい。後ろにいる大切な人はずっとあなたの背中を見ているから…………分かる?」
「私の背中を見ている大切な人は……前を見ている」
「そういうこと」
もし、愛歌が私の夢を支えてくれるというのなら。
この背中を押してくれる愛歌は、きっと私の背中から目を離さない。それは、私の信じてる前の方向。
だから、もし、私が愛歌の背中を支えたいと思うとき、私が見つめる焦点は、必ず愛歌の背中だ。
…………だから、大丈夫。
お互いが信じ、支え合い、前だと進んだ先ならば。
ぜったい。それはあなたの真正面に向かうはずだから。
「じゃあ、私はこのまま愛歌の元へ向かいますよ」
「大丈夫。愛歌も透華の元へ向かうから」
「……それを信じろって言うんですね」
「だってわたしは、そのしあわせを知ってるから」
「それはずるいなぁ……先生」
「透華」
「はい」
「いってらっしゃい」
「はい、ありがとうございます。和先生」
先生は最後、ほのかに笑ってくれたような気がした。
私は保健室をあとにし、その方角を見た。
まだ教室の影は見えない。彼女がいるかも分からない。
でも、私は愛歌に会いたいから、そこに行くしかないのだ。
じゃあ、準備はいいか私。
これは、最上の幸せを手に入れるための。
これは、最高にカッコ悪いセリフを並べた。
一世一代の、平坦な告白だ。
どうも雨水雄です。
まぁなんといいますか……クライマックスシーズン準決勝くらいでしょうか。
もう、あと一歩で……この物語も閉ざされることになることでしょう……。
正直、この作品は雨水の色々な経験談や経験値や思想が詰みこまれているような気がします。
まさに自分勝手で思い通りの言葉を羅列している気分です。
そんな雨水も、好きなことと面と向かうのがしんどいときなんて多々ありました。
本当にこれが好きなことなんだろうか……とか。でもこれを手放したら一体雨水になにが残るんだろうか……とか。いっそのこと死んでしまえば楽なのでは? いやいやそんな行動起こす勇気がどこにあるんだ……そんな蛮勇にもなれやしない囚われた時期もありました。
でも、やっぱりそれは選択があったからなんでしょうね……。始めることには辞めることもできるし。好きになったなら嫌いになることもできる。生きているなら死ぬことだってできた。
でも雨水が選んできたのは、いつだって今が全てです。今雨水が書いている作品に込められた想いや、現実での行動がそれを示しています。
だから雨水が思うに、選択があるだけ自由なんだろうな……と。選ぶ楽しさがあるんだから、人生もうちょっと広々と歩いてみようじゃないかと……今の雨水はそうやって耽りながら葉桜を眺めている今この頃でした。
いやいや湿っぽいのはちょっと苦手なんでね。てへへ……ここらへんでほっこりゆったり終わろうかと思います。
さて、今回もここまで読んでくださりありがとうございます。
では次回日曜日……よければここで最後までお付き合いください。




