そのXLIX
私は好きを知らない。
でも、好きだから、好きになるんだと。
彼は教えてくれた。
次回は木曜日に投稿します。よろしくお願いします。
その日は早くに起床した。
なぜこんなにも寝覚めがいいのか……。
それはたまたまなんだと思いたかったが、まるでこの時間に起きることが少しばかり習慣化されているような慣れがあることに違和感が隠せなかった。
「私、こんな時間になにしてたんだろ……」
時計の針は午前4時を示している。
こんな夜明けとも言えない闇夜の時刻なんて。
「進也くらいしか起きてないでしょ……」
昨日、桜を見に行くことは事前に進也に伝えていた。そこで進也がお供のパンを用意してくれることになった。
そして、せっかくだから私は進也の仕事風景を見学しようとこの時間に起きた。
でもそれは昨日だけの珍しい体験で、習慣化するほどの回数も繰り返してない。
それなのに、この拭えない体に刻まれている感覚はなんなのだろうか……。
振り払いきれないこの覚醒に私は困惑するだけしかできなかった。
まだ始発電車すら発車していない静謐のみで包まれた空の下。
こんなにも人気がなく生活音も一切ない虚無感の漂う夜道を進み、私はそこへ向かった。
その場所は、夜闇が纏う漆黒の景色の中で唯一明かりを灯していて。
まるで別世界の入り口のような、そんな特別な空気が匂う。
扉の前に立つと、不自然なほど躊躇いもなく私は中に足を踏み入れた。
普段なら開かれるはずのない扉が隙間を生み出して、外気が入り込む。その異変を察知した進也が厨房からこちらへ覗き込んでくる。
「透華……?」
「あ、どもども」
進也は私に気付くと、軽くお父さんになにかを伝えてこちらへ駆け寄ってきた。
「どうしたんだ?」
「いや、なんか目が覚めちゃってさ……これを返すついでに寄ってみた」
私はそこで借りていたバスケットを進也へ渡す。
受け取った進也は少し困惑していて、目を泳がせていた。
「…………それだけのためにわざわざこんな時間にここにきたのか」
「ちょっとね……でも、やっぱり今は大変だよね」
「…………ちょっと待ってろ」
進也はそう告げ、腰に巻いてある前掛けを厨房へ置いてはすぐさま戻ってきた。
「外で話すか」
「うん。ありがと」
外は相変わらず静かなままで。眠る太陽はまだ起きる気配すらない。
でも隣に誰かがいるこの道を歩くのは、さっきとは違っていて。
孤独感がないというだけで、私は何を今更、生きていることを実感した。
「それで、話ってなんだ」
「うん。まぁ、進也にとってはとてもしょうもないことだとは思うんだけどさ……」
「まぁ、言ってみろよ」
この男のことは多少なりとも理解しているつもりだ。
どうせ私がしょうもないことや、くだらないことを話したとしても。
進也は笑わない。真に受け止め、それを当人にとっては真剣な悩みなんだと捉えて答えをくれる。
自分があまりにも泥まみれでカッコ悪い姿のまま歩いてきたからこそ、私みたいな未熟やちっぽけな人間の夢物語ですらも夢だと思ってくれる。
夢は、夢を見た人にしか夢だと見れないと思わせてくれるいい男たちだ。
それがたとえ本当の夢だとして、泡沫のように強烈な現実に弾けてしまったとしても。
夢を見ているうちはまだ、叶う夢なんだと、背中を押してくれる世話焼きで、ある意味そんな性格をしている男だ。
だからこそ私は……進也にはつい弱音を吐いてしまうのだ。
「これからさ、私がこの夢を後悔したとして。でももう諦めたくないからさ、後悔したくないんだ……」
正直、頭の中がごちゃごちゃしたまま喋ったせいで、自分でもなにを言っているのか分かっていなかった。
でも、思いの丈がどんなものなのかだけはどうにか伝わってほしかった。
後悔するかもしれない……でも、そもそも後悔したくない。
それができれば誰だってそうしてる。常に自分の最善の選択が分かっていれば、誰もがその方向を選べる。
だから、これは傍若無人で唯我独尊の暴君が思いつきそうなわがままそのものだ。
自分のやりたいことだけして、食べたいものだけ食べて、寝たいときに好きなだけ寝て、そんな縛られない思考回路。
でもそうじゃない……私は縛られていて、苦しめられて、辛くて痛い茨に刺された削られ抉られる道を進むことを選んだ。
そんな私なのに、その選択が確実に間違いではないと思える結果を求めてしまうのは……あまりにも不条理だ。
やっぱり弱いなぁ……私ということを、やっぱり進也は真摯に聞いてくれた。
「おれもさ、よく考える。そんなこと」
「でも好きなのはなんで?」
「なんか前にも言ったような気がするんだけどさ……やっぱそういう人をおれは知ってるから」
「…………誰?」
「透華」
「なんで私なの? もう逃げたじゃん私。進也みたいに一途じゃないじゃん」
「でも戻ってきただろ。だから一途じゃねぇか」
「また気まぐれで逃げるかもしれないじゃん……」
「でも、桜はまたそこで咲くんだよ」
「え……?」
「おれが諦めそうになったとき、好きなんだって教えてくれたのは紛れもなく透華だ」
「私そんなこと教えてないと思うけど……」
「絵を描いていた。どんなときも楽しそうでさ。もうなんか生きる世界がそこなんだって決まってるみたいに見えてさ、おれもふらふらしてらんないなって……それが好きになることなんだってそんな透華の姿を見てたんだよ」
「そんな私……私は知らない」
「でも、おれは知ってる。まだ残ってる。たとえ今の透華がまだ蕾だったとしても、おれはあのころの透華を知っている。消さない限り、忘れない限り、おれは好きなことをしている透華を知ってるから」
「………………」
確かに、将来の夢を考えるとき。
いつも想像する自分は筆を握ってキャンバスに向かっていた。
でも変に現実を知っているから。これは理想であって、本来の私はこんな誰もを惹きつける絵を描くことはできないと目を逸らし続けていた。
「おれの親父の話なんだけどさ」
「え、うん……」
「親父は昔パン屋になりたくて、パン屋で働いてたけど心がぼろぼろになったときがあったんだよ。そこは今のおれじゃ想像もできないくらい忙しくて厳しくて過酷な職場だったらしいんだけどさ、親父はそこでなんのために生きてるんだってパンを見るのも嫌になるときがあったらしい」
「……それでどうなったの?」
「そのときに母さんと出会ったんだ。親父が作ったパンが好きだと言ってくれる人がいて、それが母さんだったんだ。それから二人はまぁ、なんていうか付き合って結婚したって感じ」
「そうなんだ……」
「だからまぁ、つまりなんだ。親父が言ってたのはあれだった。本当に好きなものを、好きじゃないと勘違いするときが一番後悔するんだって。親父は職場の機嫌取りや顔色を見てパンを作りたかったんじゃない。買ってくれる誰かが食べて喜んでくれるパンを作りたいんだと、母さんが好きだと言ってくれたときにようやく気付いたって言ってたな」
「じゃあもしそのときに、進也のお母さんがお父さんと出会ってなかったら、一番後悔する道を選んでたってことなんだ……」
「そういうことかもな。今のおれもここにいなかったと思う。だからさ、たぶん夢って形は変わらないんだよ。ずっと自分が思いつく形でそのまんまなんだよ。ただ、おれたちはそれを見る角度が違ったりするから嫌になったり逃げ出したくなったりする。でもまた違う方から見ると好きになれる。そうやって総合的にやっぱその形が好きなんだと言えるようになるんだ」
「夢の形か……」
「そりゃおれだって眠たかったら寝ちまうし、疲れてたら適当にパンを作っちまうときもある。でもやっぱそういうときは後々なんでだって後悔する。けどさぁ……そうやって後悔できるってことはそれだけ好きなんだなって実感できるときでもある。そう見るとそれが自分の好きなものだって肯定できるんだよ」
「…………やっぱあんたもうなんか大人だよね」
「バカ言え。まだ一人じゃなんもできねぇガキだよ」
「でも年取ったから大人になるわけでもないじゃん」
「確かにな。でもまだ子供でいたいな……きっと大人になると考えることが多くなるもんだよ」
「そのときも好きでいることが変わらないでいられるかな……」
「もはや腐れ縁だろ。親と子みたいに、それが当たり前になるもんだろ。続けることって、結局息をすることみたいなことに辿り着くんだとおれは思ってる」
「そっか。あぁ、そっかぁ……」
完璧に腑に落ちることはなかった。やっぱりまだ夢を実現できる保証はないから。
ただでも、続けなきゃ分からないことだらけだから。
まずは好きを真正面から向き合ってみるとした。
「ありがとうね進也」
「いや、なんの役にも立ってないと思うけどな。生かすも殺すも透華次第だろ」
「まぁ、大丈夫だよ。私は今救われた気がするし」
「今の進也からもらった言葉は私の中に残るから」
その日、学校へ登校する時間も早かった。
あれから進也と一緒にお店に戻って、ついでに朝食をご馳走になった。
それから制服で来ていた私は、そのまま進也と一緒に学校へ向かい、いつもの廊下で別れた。
教室へ向かう前に一度職員室を訪れたとき、目当ての鍵がなかったから、もう誰かが来ていることは明白だった。
もう、あの子がそこにいることは瞭然だった。
私は躊躇なくその扉を開ける。
「おはよう、このみ」
「え、あ……うん。おはよう黒田……透華ちゃん」
どうも雨水雄ですぅ…………。
やっちまったぁ……もうなんか鳥が鳴いてやらぁ……。
火曜日に投稿しますって言ってたのにもう水曜日だぁ……でもまだ外が暗いからセーフかな?ギリセーフ? あ、余裕でアウトですね……すみません。
もうすぐ、彼女たちの物語が一旦幕を引こうとするこの終盤で、取りこぼしている点がないかと確認をしていると……あちゃ日付変わっちまったなぁ……と思いつつも推敲していると今になっちまったわけなんですが。
まぁでも結局ね、いざ完成したときですらやり残した気持ちというのはきっと残るんだろうなとは思います。
でもそれでいい。彼女たちはまた自由に歩んでいくことでしょうから……ということで次の木曜日はちゃんと木曜日に投稿しますので!
ということで、今回もここまで読んでくださりありがとうございます。
ではよければ木曜日に。




