そのXXXIX
今までありがとう。
それを言うには、今この瞬間のできごとが深く関わっていて。
ふと、ひょんな間違いが、その今までを瓦解させてしまっては、その瞬間に今は、今までになる。
常に接していたあなたとの時間は。
常に今までを背負っていたものなんだと。
私は知りました。
毎週日曜日に投稿します。よろしくお願いします。
「では、帰りましょうか」
私と彼女は、無事に手作りクロワッサンを食べ終え……。
彼女は、その後に残る余韻を微塵も感じさせることなく、淡々と立ち上がった。
先程まで目を輝かせながら焼き付けていた桜吹雪にも一切触れず、彼女は黙々と前だけを見ていた。
「あ、うん……」
余韻に取り残されていたのは私の方。
まだもう少しだけ上を見上げて、その美しい風貌を眺めていてもいいんじゃないか……そんな風に名残惜しい不安が胸を締め付ける。
それでも、シートを折りたたんであと片付けをする彼女を止められず、着々と事は進んでいく。
あぁ……なにか間違えたんだろうな……。
彼女の明らかな変貌に私はぎゅっと苦しくなった。私はどこかで選択を誤ってしまったんだと自覚した。
いや、たぶん。その間違いはそこなんだろうと自明なことだった。
さっきまで私たちが座っていた場所は、もうすでに事なきを得て、もう腰を下ろして見ていた彼女の姿は思い出の中だけ。
それも、突如として悄然として生気を失った彼女の容貌を……。
私が正しいと思ってやったことが、彼女を傷つけてしまったんだと思い知らされた瞬間だった。
でも、私はそこまで思い上がることはできない。
だから、彼女の気持ちを優先するのならば、それが正しいんだと思うほかなかった。
私にとって彼女が一番。だから彼女にとっての一番を与えてあげたかった。それゆえの幸せが、私にとっての幸せとしての報酬になるから。
ただ、それのみを求めていただけなのに……それすら見誤った。
正直、それを認めるのはまだ抵抗があったが……。
今の彼女は、もうすでにこの場から離れようとしていて、だんだんとあの燦然とした景色の中で生まれた思い出から遠ざかって行く……。
私はその後ろ姿をひたすらに見つめて、亡霊のような禍々しい空気を纏った彼女の曲がった背中に視点を集中させていた。
この絶望は、私のせいなんだ……。
もし、あのとき……。
果たして、私が自分のクロワッサンを彼女に見せてあげることができたなら。
もう少しだけ、この今はなにか変わっていたのかもしれない。
そのもしかしたらが、私の唾液を苦くした。
それを力一杯飲み込むと同時に駆け巡るこの不可解さは、どうも拭えない。
だって、私は知っている。自分の作ったクロワッサンがいかに彼に及ばないものなのか。一目瞭然のそのクオリティの差に私は一歩引き下がる考えしかでてこなかった。
それを間違いだというのなら……。
私の自己肯定感はもはや狂ってしまうじゃないか。
あんなものを彼女に食べてもらいたくて。それがどれだけ醜くても私のものだからいいよね、なんて……到底私には言えない。むしろ身を弁えるべきだ。
今まで挫折も妥協も乗り越えて橋を作り続けた彼や彼女たちのそばで、いい加減な結果でへらへらなんてしてられないじゃないか……。
だから、私はそれでいいと思っていなのに。
あぁ……あ。それが間違いだなんて、気付けるわけないじゃないか。
そして、彼女と歩いた先で、もうあの景色はなく、私たちの前には道路が現れた。
もうあとは帰るだけ……。目的はもうとうに過去に塗り替えられた。
「ねぇ、透華……」
ふと、彼女が私の名前を呼んだ。
呼んだ……そう、呼んだのだ。
でも、なんだうか……その声色に確かな異変を感じた。ものすごく重たい不穏ななにかが私を押し潰そうとしてくる。
「な、なに。どうしたの?」
「今日は、楽しかったかしら?」
「あ、うん……私は満足だよ」
嘘じゃない。本心だ。
私は彼女といられるだけでその幸福感が満たされるから。
この言葉に偽りはない。ない……ないから。
だから、ほんの少しでいいから、笑って?
「そう……ならよかったわ」
「あ、愛歌は……? どうだった? 桜見れてよかった?」
すごく震えていたんだと思う。お腹の奥の内臓まで揺れている感覚があった。
だめだ……冷や汗が止まらない。彼女が危ない……。
私はこのままじゃなにか最悪なことが起きると確信していた。
止めないと……でもどうやって? 間違えたのは私のほうなのに? でもこのまま彼女を放っておくと、もう後戻りできない気しかしない。
まるで、以前にも経験したかのような緊張感と焦燥感が私の体を襲う。なにをしようにもなにが最善なのか見出せず縛り付けられる。
それでも、刻一刻と彼女の色が違うものに染まっていく……濁って霞んで淀んでいく……。
もう、だめなの……? やっぱり私じゃだめなのかな……。
「ええ、楽しかったわ。だからありがとう透華」
とうとう、彼女はその頬を濡らした。
自らの瞳が流すその雫が、彼女を塗り替えていく。
私にはもう……言い訳はできない。
これは、生きる色から、死ぬ色に変わる前兆そのものだ。
彼女はこの涙とともに生きることを放棄しようとしている。私に失望したから……。
こんな取り柄がない私のせいで彼女が命の失うなんて、言語道断。
それならいっそ、私の方が……。
そうだと、至ったときには、私は動いていた。
「透華、今までありがとう……そして」
その口元が叫んでいたのは「ごめんなさい」だったんだと思う。
でも私にその声が届くことはなくて。
彼女の一番を考える私が、その一番を崩壊させてしまったというのなら。
私の方がいなくなればいい。
そうすれば、彼女はまた幸せを見つけられるから。
一方、私はもう彼女の一番になれないのだから。
生きていても、迷惑なんだろう……。
車が通り抜けると同時に体を傾ける彼女。
私はその手を強引に引っ張って、代わりに身を投げ出す形になる。
立場が入れ替わった私たちが待つ運命とは自明の理。
その日、私は生きていたことをやめた。
彼女の「ごめんなさい」は、ぶつかる鈍い音にかき消されて。
私の中に残った、彼女の最後の言葉は「ありがとう」で、よかったな……と、朦朧とする最期の意識で思ったことだった。
そして、私は死ぬことが始まった。
どうも雨水雄です。
すみませーん!!大大大遅刻です!
待っていてくださった方……はいるのかな? あぁ、分からないですけど誠に申し訳ありません!
あ、すぐにUPしますので、どうかお楽しみくださいませ。
うわぁ……やっちまいました……来週は!ちゃんと!日曜日に!約束しますので!
それでもここまで読んでくださった方、ありがとうございます。
では来週もよければここで。




