XXIX
私が好きなものを押し付けるのは簡単で。
でもそれを貫くことは決して簡単ではなくて。
それでも、好きな人が夢中になっていることなら、
私はきっと簡単に好きになれるんだろう。
毎週日曜日に投稿しています。よろしくお願いします。
パン作りとは、思っていた以上にきつかった……。
簡単ではないと覚悟はしていた。お菓子作りだって滅多にしない私だ。器具に触れるのもそうそう機会がないし、料理だってたまに母の隣で手伝うくらい。
それに、作るものはいつだって、あくまで自分が食べるものだったから。
誰かに食べてもらうためにこうしてなにかを作るのは、責任感という重圧が一気にのしかかる。
まず、粉と水が合わさるそれだけでこんなにもこだわりがあって、緻密な調整があって、なおかつ適切なタイミングがあることに驚いた。
「親父、今日は晴れっぽい。全体的な吸水はどうしたらいい?」
私の隣に並ぶ彼は、そこからミキサーを回しているお父さんに声をかける。
「大体昨日と一緒でいい。ただ今日は乾燥しているから思っているよりは入ると思うぞ」
「分かった。捏ね上げ温度は?」
「それは任せる。学校に間に合うように進也が調整してやれ。ただ、あんまり高くすると成形中にオーバーするから気をつけろよ」
「おう、分かったありがとう」
という二人だけの馴染みのある会話が繰り広げられる。
おそらくパンを作る上で、パン屋を名乗る職人方の間では当たり前の会話なんだろう。
私でいえば、今回はこんな景色を描きたいからこの画材を使おうとか、光の強さはこれくらいに抑えたいから影はこれくらいの薄さにしようとか、消失点はここにして少しアオリ気味にしてみようとか、人の関節や筋肉の動きとか、それを守らないと結果的に思うような絵は描けない。
実際、なにも考えずに上手く描ける人もいる。才能の一言で賞賛され、努力の汗の味も知らない恵まれた人だっている。
でも、伝えたいなにかがあるなら。気持ちが強いなら。
私は知っていなければいけないことはあると思うし、そうでないと結局満足した想いを届けられる自信がない。
きっと私はしんどい思いをしようとしている。だけど今の彼を見ていても、やっぱりカッコよく映るから。
知ろうとして、身を削ってでも、時間を割いてでも、そこに意思を注いだ方がどんな成果でも後悔しないから。また前を向く活性剤になるから。
「ってことで、あらかた情報は整ったとこで、透華はなにを作りたいんだ?」
彼の視線は再び私に戻される。隣に立つ彼はいつもと別人みたいで、とても同い年とは思えなかった。
ここでは私は赤子のようなもので、彼はなにを聞かれても私の要望に答えてくれる先生のようなもの。
これが、積み重ね。やってきた人間と、やってこなかった人間の一番分かりやすい景色の見え方の違い。
「私は愛歌が一番喜んでくれるものがいいんだけど……なにが好きなんだろ……」
「…………透華はなにが好きなんだ?」
「え? 私……? なんで?」
「いや、まず自分の好きなものをあげてみたりとかでいんじゃね?」
彼は私の好きなパンを彼女にあげればいいと言っているが、私は首を振った。
「いやいや私の好きなものあげても意味ないよ。あくまで私の勝手で始めたことだし、私は愛歌の好きなものをあげたい」
「…………そうか。そういうものなのか」
彼は間を空けて歯切れの悪い返事をする。
なにか嫌な感じだった。彼と意見の相違がちくりとした。
でも、曲げようとは一切思わなかった。だってこれは私が喜びたいものじゃない。自己満足じゃいけない。
せっかく彼女が私を花見に誘ってくれたのだ。私はそれだけで嬉しい。だから、私はもったいないことはしたくないのだ。
自分の幸せだけを押し付けるような真似はしたくない。
「そういうものなの。だから、愛歌のことを考えたものが作りたい」
「っていっても冬崎さんが好きなものは知らないんだろ?」
「うん……」
不甲斐ないし、面目ない。
啖呵切って彼に反発したくせに、肝心のアイデアは思い浮かんでこない。これじゃただの天邪鬼だ……。
黙りこくっても、刻一刻と学校までの時間は迫ってくる。
どうしよう……私、本当何も知らないんだな。
「じゃあ、クロワッサンでいいんじゃないか?」
すると、彼からぽろっと振り落ちてきた。
「え……? く、クロワッサン?」
あれ? と一瞬目が大きく開いた。瞬時に彼を見た。
でも彼の顔はただ思いついたことを告げただけの表情で、他意はなさそうだった。
たまたま……なのかな?
そう怪訝な思いを秘めたまま、彼の続きを待った。
「成形は慣れれば簡単だし、発酵時間もそんなに長くない。折り込みに時間はかかるが、それは前日の放課後にやれば次の日に持ち越せばいいだけだし」
「そ、そっか」
なにを言ってるのかさっぱりだったけど、一番の最適安を説明してくれてるのは分かる。やっぱりたまたまだったんだ。
「あとは好きな材料を巻き込んでアレンジもできるし、焼き上がったあとは切り込みを入れてサンドもできる。上にチョコがけして味変もできるし……てことでどうだ?」
色々とメリットの部分をリストアップして指折り数えては私を見る。私もそれはすごいなと感心して、今度は首を縦に振った。
「うん、それでいいよ。ありがとう色々とさ試してもらっちゃって」
「いや別にこれくらいは。自分の土俵で頼られてるんだ。こっちだって期待に応えたいしな」
彼は照れ隠しに鼻を鳴らす。
自分の土俵か……彼はそう言えるだけそこに足跡を残してきたんだ。
「よし、じゃあ決まったことだしさっそくやっていくか」
そして彼は踏み慣れたその土俵で、私を指南するように優しく見つめる。
こんな人になら誰だってついていこうと思える。そんな強い眼差しをしていた。
「うん、よろしく」
私も、彼の言うことを聞いてもいればきっと上手くいくと、選んだ道が正しいと胸を張れた。
それは最も、私と彼の距離を示していたけれど。
追いかけない限りまた離れてしまうだけだから。
これから始まる努力の汗の味を一筋でも覚えてやろうと私は心に誓った。
あとは……。
「ありがとね、進也」
最後に、彼の背中に声をかけた。
すでに私の元から離れて材料を取り行く彼は、振り向かない。私の声は聞こえていなかったみたいだ。
まぁ、別にいい。これは私の個人的な感謝だったから。
彼が知っていることではないし、見ていたわけでもないだろうから。伝わったところで、意味が分からないと首を傾げることだろう。
それ、私が一番好きなパンなんだよって言うまでは。
どうもこんにちは雨水雄です。
みなさんもうすぐ12月ですね……もうほんと朝が寒いので体調は気を付けてくださいね。
好きなことを続けるのにもまずは体調管理からですので!
さて今週もここまで読んでくださりありがとうございます。
では来週もよければここで。




