そのXXVIII
それがたとえ私だけが満たされるわがままなんだとしても。
それがきっとあなたの幸せに繋がるなら。
頼って甘えて口答えして、納得して……。
生まれた言葉を形にして、返せたらなって思うんだ。
毎週日曜日に投稿してます。よろしくお願いします。
「お、お邪魔しまーす……」
耳元で蚊が飛んでる方がましだと思えるくらい弱った声でおそるおそる彼の家に足を踏み入れる。
中に入ると、なにやら奥の方でガコンガコンと激しい機械音がしているようだった。当然、私のぽしょぽしょした挨拶なんて彼の耳に届いているはずもなく、駆け寄ってくる姿はなかった。
「行っていいんだよね……」
もう一度大きな声で挨拶するよりも、私が近づけばいいかと考えた。同時に、いやでも急に現れたら不法侵入みたいに思われるかな……? とも不安が過った。いやいやでも約束して来たわけだしなんの問題もないのでは……? と葛藤した挙句、私は借りてきた小動物並みにその場で怯えていた。
しかしやはり待たせるわけにもいかない……と乗り込もうとした。
そしてちょうど現場から抜け出した彼と遭遇した。
「あっ…………お、おはよ」
「お、おう。おはよう……てかびっくりした。もう来てたんだな、悪い待たせた」
「ううん、今来たとこだから。それよりも私、本当にお邪魔じゃないかな?」
「あぁ、気にしなくていい。本来なら親父一人でも店を回してるから、少し厨房を借りるくらいなら別になんの問題もねぇよ」
「そ、そっか。ならよかった……。で、私はまずなにをしたらいい?」
「とりあえずそうだな……まずは着替えるか」
「うん」
私は彼に案内されるままに後ろをついていく。
前を歩く彼の後ろ姿は、いつも見てる学校の制服姿とは違って大きく感じた。
別にお店の制服が大きめのサイズで、彼が着太りしやすいとかではなくて……。
なんだか、人として培ってきた自信や度胸が立派に育ったような……上手く言えないけど、なんとも敵いそうにない、
むしろ畏敬が芽生えるまである大きさだった。
でもそれと一緒くらい、悔しいなって……思った。
いつも隣を歩いてる彼が、前を歩いている。ただ前を歩いているわけじゃなくて、もう進んでいる。
私が棒立ちでなにもしてこなかった時間が、この差を生み出したんだと実感させられた。
どうせちょっと頑張ればなんとかなる。少し無理を続ければどうにでもなる。
そんな軽い気持ちで埋められるような……。
彼の本気は、そんな陳腐な烏合の衆に足元を掬われるほど、拙いものではない。
「だからこそ頑張らないと……」
そう、だからこそ……だ。
たとえ追いつけないとしても、もう逃げられないように。
もし隣に立てないとしても、背中だけは見逃さないように。
私だって、人生に真っ当に向き合ってみたい。
「なんか、気合入ってんな。まぁ、そこの部屋にロッカーがあるから荷物入れてもらってこれに着替えてくれ」
彼は嬉しそうに声を弾ませながら、私に一着の服を渡す。
聞かれていないと思っていた独り言だったのに……と私は少し顔が熱くなった。
「あ、うん……ありがと」
照れ臭くなって、彼の顔も見れずに制服を受け取ると、彼は私から離れていく。少しして足音が消えたってことは、たぶん私が着替える間だけ目の届かないところへ移動してくれるんだろう。
彼を待たせないためにも、私はすぐさま着替えに取り掛かる。制服を広げると、それは今彼が着ている店のロゴが入ったTシャツの色違いだった。
彼が着ているのはオレンジ。対して、私が渡されたのは薄いピンク色だった。私が女の子だからかな……まぁ、深い意味はないんだろう。
私はそれに着替えると、あとは下半身を覆うエプロンをつける。そして最後に手癖を頼りに髪をがばっと大きく束ねる。
「ごめん、お待たせ」
「おう、じゃあ早速行くか」
「うん、よろしく」
私たちは、更衣室をあとにする。
パンを製造する厨房へ向かう戻り道も、彼は先導していた。
特に交わす言葉もなく、静けさがより際立つ薄暗い空の下を進む。
それは今まで知らなくて、きっと知ろうと思ったこともなかった景色。
こんな時間に起きることがあったとしても、こんな切迫した気持ちで目を開けていることなんてないし、これから働こうなんて気持ちだって微塵も湧いてこない。
でも彼からすればそうやって嫌だと思うことも、仕事だから。好きな仕事だから苦痛にもならないのだ。
彼にとってはそれが当たり前で、今でこそむしろ嫌だと思うことすら嫌なんだろう。そう思ってしまえば好きな気持ちは破綻するし瓦解するから。
側から見れば辛いことも、しんどいことも、めんどくさいことも、その峠の向こうで拝みたい頂があることが分かっているから。
だから、私がここに立っている理由が彼女と交わる中で出会えた副産物みたいなものなんだとしても。
目の前の彼が、私を突き動かしたことには変わりないから。必死で前進する姿に私が惹かれたことは間違いないから。
せめて、彼が見ているその先を、少しでも覗いてみたい。
私は、まだその大きな背中から目を離さないでいた。
「んじゃまずは生地から作っていくか」
「うん、よろしく」
厨房に足を踏み入れると、もわっとした熱気と小麦の香ばしい香りが中で充満していた。
奥に進むと、大きなミキサーを回している彼のお父さんと出くわし、挨拶を交わす。粉が舞うからだろうけど、マスクをしていてその表情はうかがえなかったが、目元からは優しそうな雰囲気を感じれた。
そして手を洗い終えて今度は巨大なまな板が敷かれた作業台の前まで移動して、今に至る。
まずはパンの生地を作る。たぶん、基本中の基本なんだろうけど。
なにもかもが初めての私はやっぱり緊張して萎縮してしまっていた。
「まぁ、おれらは学校もあるしそんなに時間のかからないやつにしよう。一応日を跨いで寝かせておいて作るやつもあるけど……最初は生地に慣れるとこからだな」
「う、うん……」
「なんか緊張してんだな」
「ご、ごめん……」
なんか、自分でもなんでこんなにも縮こまってしまっているのか説明できなくてもどかしくて、ごめんしかでてこない。
たぶん、もし……自分が逆の立場だったならって考えると。
自分が本気で、一生懸命やってることに、茶々をいれられてるんじゃないかとつい考えてしまうのでは……と。
私自身、そんな軽率な気持ちでここに来てるわけじゃないし、彼がそんな風に今回引き受けてくれてるなんて邪推も甚だしいんだけど……。やっぱり気を遣う。
「気にすんなよ。別に邪魔とかそんな風には思ってないからな。むしろこんなおれがやってることでも興味をもってもらって、なんか……嬉しいし」
「え……?」
なんか、私の頭の中を覗かれたような、心臓が飛び出そうな驚きに私は目を皿にした。
「お前は昔から人のことばっか気にするからさ。今もそんな緊張してるっぽいのはなんていうか……そういうことなんじゃないかと思ってさ。だからおれのことは気にしなくていいから」
「…………ありがと」
「おう。じゃあとりあえずこのままだと時間がもったいない。さっさとやっていくぞ」
「う、うん!」
彼は私に背を向けて粉袋に手を突っ込む。
一瞬、彼の瞳が泳いでいるように見えてなんかほっとした。案外遠くないなって思えた。そりゃ、敵わないと思うことばかりだけど、でも離れないものも確かにあるんだなって安心した。
私は、彼の見えないところで、よし、と握り拳を作った。
どうもこんにちは雨水雄です。
とうとう物語も中盤です。なにか特別な展開があったり、転の兆しが見えたりなんてことはないですけど……たぶんまだないですけど。まぁそれもこれも彼ら彼女たちが次にどう動きたいかによって変わったりします。
人それぞれ求めるもの望むものがあって、それがお金なのか人なのかそれとも一人だけの創造物なのか、その食い違いが仲違いになったり、すれ違って間違いになったりするわけですけども……。
それでも雨水は思うことがあります。
それはやさしい人間というのはきっとやさしいだけではないんですよ。人を大切にする、思いやるなんてことも当たり前で、その上で自分ができるやりたいことがその人の幸せの灯火になるような……まぁよく分からないんですけど、雨水は昨日より今日、今日より明日またやさしくなろうと思います。牧之原翔子さんの素敵な言葉を大事にします。
雨水はちっぽけな人間なんで、人一人を変えたりなんて大きな力はなくて、その人の在るべき形を丁寧に守っていくしかないので、嫌だなとか駄目だなとか人を傷つけることが平気な人とは距離を置いてしまう癖がついてしまってますが……。
それでも、今、雨水が見えている思い浮かぶ人たちが幸せになれるような言葉を、また届けたいと思います。
もうあっという間に一年も終わるなぁ……と思っていると、ふと感慨深く考えてしまった結果、今週のあとがきは雨水語りになってしまいました。また今から、頑張りますよ!
さて今週も長々とここまで読んでくださりありがとうございます。
では来週もよければここで。




