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23グラムの旋律  作者: 雨水雄
18/52

そのXVIII

だからそれには思いやりの味があって、舌に残るスパイスがあって、飲み込む美味しさがあるんだ。

一人じゃないから。

相手がいるから。

そこにはきっと記憶のページに残る、隠し味がある。


毎週日曜日に投稿します。よろしくお願いします。

その日の夜は、母におやすみを告げてからすぐにベットに入ったことは覚えている。

けれど、色々と溜まっていたものを吐き出したせいか、はたまた自分でも驚くほど大泣きをしたせいか、どっと疲れがのしかかってきたせいで颯爽と深い眠りに落ちた。

…………意識を手放す直前ーー瞼を閉じた時思い浮かんだのは、紛れもなく彼女の慣れ親しんだ笑みを浮かべる姿だった。




朝目が覚めると、凍てつかせる空気で一気に眠気が吹き飛んだ。

「…………今何時?」

震える体を両腕で囲いながら、私は部屋の時計を見た。

まだ朝の5時……普通に早い。

でも、彼はもうすでに起きていてもおかしくない時間だ……。

その劣等感のせいか、それとも目が冴えるほどの寒さのせいなのか、私は二度寝する気にもなれなかった。

かといって、今からリビングに行ったところで母が起きてるわけでもないし、なによりあそこはここより絶対に寒いのにわざわざ向かう必要もないと思い、考えることをやめた私は体を丸めた。

「………………」

そのとき退屈な私の脳内が描いた想像図は。

そういえば、私……昨日、泣いたんだ。

そんな無様な過去をふと思い出して少し恥ずかしくなるようなものだった。

もう、泣くことなんてないと思っていたから……。

「お母さんも泣いてた……」

それこそ、母の泣き顔を見ることになるなんて思ってもみなかった。

私の知ってる母はいつも笑っていて、前向きで、あんなに不安そうで不安定になることなんてなかった。

だから、大人になって親になっても、私と同じなんだって、少しは安心できた……。その穏やかさと緩やかさが、私を泣かせたのかもしれないな……それはやっぱりずるいけど。

でも、たぶん私たちは違った涙を流していた……。

「お母さんは綺麗だった……」

母の涙は、私と同じで瞳からぽろぽろと溢れるものだったけど、だけど、なにか心に直接伝わる言葉みたいなものがあった。

それに対して私は、独りよがりな不平不満をぶち撒けるような、気持ちが爆発しただけの副産物に過ぎない。

独りじゃないと教えてくれた母のあったかさが嬉しくて、ただどうしようない私は居場所を感じただけだ。

彼女との思い出が詰まったあの教室を失ったこの心の穴が埋まることに安堵の涙が流れただけ……。

だから、似てるようで全然違うんだ、私たちの涙の意味は。

「私は結局、なにもできないんだ……」

いつももらってばかりで、なにもお返しできていない。

ここにいていいよって、ここに一緒に行きたいって、ここに帰ってきていいよって言ってくれるけど、そんなに私を甘やかしても私はその期待に応えることはできない。

それなのに、私の知っている世界はこんなに優しくて……あったかいのは……少し心苦しいじゃないか。

「…………トイレ」

私の思考はそこで凍ったかのように停止した。

代わりに抗えない生理現象のせいで、私は仕方なく部屋を出ざるを得なかった。




あれ……と階段を一歩ずつ降りるたびに違和感が強くなっていく。

普段ならこんなにも家の中が明るいことはない時間だ。

もしかしたらと思い、たたたと少し急足で下る。

先に用を済ませると、さっき通り過ぎたときに電気が点いているのを確認したリビングへ向かう。

入ると、そこには鼻歌を奏でる母の姿があった。

まるで昨日の哀愁にまみれた様子は皆無で、いつもの私が知っている母だった。

あれは偽物だったのではないのか……と瞬時、疑ってしまうほど綺麗にいつも通りが戻っていた。

「ふーふふふん……て、透華(とうか)……?」

えらくご機嫌な母は、扉を開ける音に気付き、恥ずかしげに動揺する。

「うん、おはよう」

「お、おはよう……こんな早くにどうしたの?」

「いや、寒くて目が覚めちゃってさ……お母さんこそこんな早くに何してるの?」

「お雑煮作ってるの」

母の手元でぐつぐつと煮えるその味が、リビングに充満する。

匂いだけで分かるその味は、やっぱり母そのものだ。

すると、おたまを持っていた母は、鍋をかき混ぜながら思い出したかのように硬直した。

「あ、そういえば……」

「……どうしたの?」

「明けましておめでとう、透華とうか

恒例の挨拶を忘れていたことを罰悪そうに、苦笑いしながら母は優しく新年を口にした。

「あ、うん……明けましておめでとう」

私も失念していた……と咄嗟に喉元まで引き上げる。

たった一日、昨日から今日のなんてことない間にこうして一つだけ大きく変化することは慣れない。

数字が一つ増えるだけ。年がまた一つ重なるだけ。

たったそれだけなのに、時計の針はそれでも刻み続けるのに、心がリセットされる感覚が、ひどく切ない。

たぶんそのとき改めて自分の未熟さに気付かされるからと。もう一つ……。

昨日までを去年だと言ってしまえば、それこそ私は彼女との間に境界線が生まれてしまいそうで……私は、私だけがその一線を超えてしまうのがたまらなく怖かった。

「さて、せっかく透華とうかも起きてるし、ちょうどいいから初詣でも行こうか」

「え……」

「本当はお雑煮ができたら悪いけど起こしに行こうかなって思ってたんだけど、ほんとタイミングばっちり」

母は「よし、できた」と一言呟いて、即座に私の前に寄ってくる。

「じゃあ準備できたら玄関に集合ね」

一瞬、肩に手を乗せてから、母はリビングを後にした。

立ちこもる家の味に囲まれたここに私は一人取り残される……。

「私に拒否権はないんだ……」

最初から断るつもりは毛頭なかったけれど。

でも私は久々に母の強行の道連れになった。


自室に戻ると、悩むことなく馴染みのある服を選んで身を包む。できるだけ厚着をして寒さを凌げるように……。

次に洗面台に行くと、母と遭遇した。

「あ、早い……」

「え、ごめん……」

「もうちょっと着替えるの時間かかると思って油断してたぁ……これなら私が先にここ使っとけばよかったね」

不運な鉢合わせに母はあちゃーと額に手をやる。

「まぁ、別に私は急いでないしゆっくりしてよ」

特別早く支度しないといけないわけでもないし、私に有意義な予定はないわけで。

ここで母の用意を待つことをもったいないなんて微塵も感じない。

強いて、この外出が母にとって有意義になるというなら、それこそ私には僥倖だ。

私は潔くその場を離れようとする。

「あ、待って透華とうか

しかし、それは母に遮られてしまう。

私は再び母の隣に並ぶが、それでも鏡までは一歩遠い。

「どうしたの?」

「髪、やったげる」

母はふふんと上機嫌に鼻を鳴らして、くしをかざした。

「え、えっと…………あ、ありがとう?」

「うん、ご遠慮なく。お嬢様」

お調子な口ぶりの母に合わせて、私は母に背を向けて髪を預ける。こうやって母に触れられて髪を梳かれるのは随分と懐かしい……。

心地のいい手の感触が、私の頭をほぐしていく。髪をなぞる指の隙間が快かった。

数分して、髪ゴムで結われると母に両肩を掴まれる。そのまま鏡の前まで引きつられてぱっと自分の姿が映し出される。

「どうでしょう? お嬢様」

「…………ちょっとやりすぎじゃない?」

そこに見える私は。

後毛を残して両端の髪が三つ編みでまとめられ、その束がまた後ろで結ばれている。いわば上品なハーフアップ。

…………やっぱりどう見てもやりすぎなのでは?

こんな髪型、滅多どころではなく私の記憶上では初めての試みである。

「ほんとはヘアアイロンでも使ってくるくるしたかったくらいだよ」

それはもう許容を超えて身の丈に合わないので恥ずかしさで外を歩けないじゃないか……。

これでも妥協したんだから……と少し不満げな母を横目に、私はもう一度自分を確認する。

この姿で彼女に会ったら、なんて言ってくれるんだろう……。褒めてくれるのか、それとも羨ましがってくれるのか。あわよくばお揃いにしたいなんて飛びついてくれたりするんだろうか……。

そんな小さな幸せの瞬間が、ぽつんと思い浮かぶ。そしてすぐにぱちんと弾けて消えていく。

「じゃあ行こっか」

母は私の肩をぽんと叩いて、その髪を揺らす。

「あ、うん……」

なにも施されていない長く整ったその髪は。

目を奪うほどしなやかで艶やかであるがゆえに。

私はその手を持て余してしまったのだった。


「てかさ、透華とうかの服適当すぎじゃない?」

「そう、かな……?」

「いや、そうでしかないでしょ」

母が運転する車の中。

ちらちらと目線が飛んでくるなと思った矢先、ついには言葉が降ってきた。

ちなみに、私が着ている服は。

黒色の無地のパーカーに、下は白のスキニー。上着は裏起毛のベージュのジャンバーに、靴は黒色のくるぶしくらいまでのブーツ。

確かにお洒落とは到底思えないが、そこまで気合を入れる必要もないので、妥当ではないだろうか……。

「女の子なんだからもうちょっと意識しないと……それこそクリスマスのときみたいに」

「え、あ…………あぅ」

やめてほしい……思い出してしまう。

それは彼女と出かけたあの日で…………私は入念に入念を加えていたことを。

あのとき、彼女は結局なにも言ってはくれなかったが、私は文句なしにお洒落を気にしていたんだ……。普段は手につけないほったらかしの化粧品まで引っ張り出すほど……。

「…………まぁ、透華とうかは分かりやすいよね」

きっと顔が赤くなってる私を見て、母は前を見て笑っていた。やめて……ますます熱くなるじゃないか。

それから近所の神社に着くまでの間、私と母はぽつぽつと会話を繰り返した。

最近学校は楽しい? とか友達とはどう? とか将来の夢は? とかそんな世間体を気にして建前で飾ってしまいそうなものじゃなくて。

今日は天気がいいねとか、今日はこの時間でも車混んでるねとか、また明日からはもっと寒くなるんだってとかそんな素直に受け入れられて、すぐに忘れてしまうものだった。


神社に着いた私と母は、特にこれといった目的もなく、ぶらりと歩いてはお賽銭にお金を投げては手を合わせて頭を下げて。

透華とうかはなにお願いしたの?」

「……内緒。お母さんは?」

「えーじゃあ内緒」

ふらっと寄ればおみくじを買って。

「あ、私大吉だ。透華とうかは?」

「…………え、凶」

「ぷっ……あははは!」

「ちょ、ちょっと、そんなに笑わないでよ……」

ちらっと目に入れば屋台を満喫して。

「あ、ベビーカステラ」

透華とうか、あれ食べたいの?」

「うん」

「じゃあ買っといで。私あっちでたい焼き買ってくるから」

「なんか似てる……」

「そりゃ親子だからじゃない?」

「そんなもん?」

「そんなもんじゃない?」

そして二人で紙包を持って神社を出た。


同じ景色を逆から眺めるだけの帰り道の車の中。

「そういえばさ、透華とうかはなにお願いしたの?」

「え、それまた聞くの?」

私は嫌な顔をしていたんだと思う。自分でも分かるほど眉間に皺が寄った感覚があった。

でも母はなりふり構わず、あ、と口を開く。私はその穴にベビーカステラを放り込む。

「むぐむぐ……ん。いやだってちょっと気になるじゃん? 娘の考えることってさ」

「そりゃそうだろうけどさ……」

私はベビーカステラを一つ摘んで、口に入れようとしたが手が止まった。丸くてふにふにした感触が離れない。

「私はさ、明日がちゃんと来ますようにってお祈りしたかな」

「え、どういう意味?」

明日は祈らなくてもやってくる。時計は狂わない。地球は止まらない。私たちは寝て起きたらもうその日は一つ進んでいるに違いないのだ。

「だって昨日と今日は違うじゃん?」

「うん」

「だから、今日というかまぁ今この瞬間もだけど、ちゃんと抱えて明日に向かいたいなって。明日は今日よりも優しくなりたいとか強くなりたいとか成長したいとか色々言ってる人いるけどさ。そうするには今日までを忘れちゃいけないわけ。どんなにカッコ悪くて、どんなに後悔してもちゃんと終わらせてあげないと、明日はたぶん今日のままなんじゃないかなって……」

それは追憶に近かった。

いつか聞いた彼女の言葉を三度、耳にしたような、まるで郷愁だ。

「空は明日も変わらないもんね……」

それは彼女が教えてくれた変化だ。

だから変わっていくのは私で、毎日見える空もまた綺麗なんだと。

「え、空……?」

母はそこで頭を曲げる。

「ううん、なんでもないよ。お母さんのその考え、私好きだよ」

「そう? 分かってくれるならなんか嬉しいね」

母は口角を上げて喜びを表す。そしてまた口を開けてそれを催促する。

これじゃなんか餌付けしてる気分……なんて思いながら私は失笑しながらずっと持っていたベビーカステラをそっと放り込んだ。

「ん、なんかあったかい……」

「……実はさ、私はなにも思いつかなかったんだよね」

「んぐ……そっか」

「私はなにになりたいとか、そんな強い気持ちもなくて、なにかに期待するようなこともないんだよね……情けないことに」

「じゃあ、とりあえず帰ってお雑煮食べよ?」

「え……?」

「今日の味は明日になったら変わってるからさ」

「う、うん……それが?」

「きっと、学校が始まって明日を繰り返してると、その味も忘れる……それくらい透華とうかの毎日も変わっていってるんだよ」

母はそのまま前を見ながら続けた。

「ちょっとずつでいい。変わっていくなにかを変えないように努力することも、また変わっていくことなんだよ。いやだな……って思ってきたことをまたいやじゃなくなるように頑張ること。それがきっと変わっていくことの近道だったりするってことなんだよ」

変わっているのは私たちのほうで。

でもそれは自動的なものではなく、必然的に能動的。

だから、それはすでに私の中に備わっていたりする……なんて勝手に解釈してしまっている私がいた。

実は……実は…………いやだと目を逸らしているものが実は、一番やりたいことなんじゃないかと…………。

透華とうか

呼ばれて私は母に向かうと。

またまたあんぐりと口を可愛らしく開いていた。

「え、もうないよ……お母さん食べすぎ」

「あ、あはは……」


家に着いて私たちはお雑煮を食べた。

茶碗の中に私はお餅を2個入れた。

でも母は1個食べたときにもう1個を私の茶碗の中に入れてきた。

それはもう子供のやることだろと私は呆れた……が。

誤魔化すように笑みを浮かべる母は、やっぱり変わらないでいてほしいと思う私がいたのもまた事実だった。




そして1週間が過ぎ、学校が始まった。

私は、お雑煮の味をもう微かに覚えているくらいだった。

どうもこんにちは雨水雄です。

最近はぽつぽつと雨が続いてますね……傘を持たない日が多いので大体濡れます。ちょっと落ち込みます。名前に雨が含まれているからと言って別に好きなわけではないんですよね。まぁ、嫌いなわけでもないですけど。

とまぁそんなところでですね。最近、雨水は悩んでおりまして……というのも、作品を書いてるとき。つまり今作品を、執筆しているときに限って大体次作品であったり次々作品のプロットが絶好調になりがちというやる気の行き所が別方向へ突っ走り気味になってしまうんですよ……まぁ悪いことではないんですが。

だから今作品が終わったとして、次作品を投稿するとき、おそらく今あるこの次作品へのモチベーションは穏やかな波打ちに変わるんだろうな……と。それがスランプだとは思わないんですが、きっとプレッシャーとか物語に直面する壁への逃避現象なんだと考えると情けないなぁ……と。

まぁ、なんにせよ。雨水は雨水らしく。楽しく。

書いていきますよ!さて、それはそれとして、それでも今週もここまで読んでくださりありがとうございます。

では来週もよければここで。

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