そのXVII
たとえ流した涙を誤魔化せたとしても。
そこに至る訳も理由も言い訳できなくて。
虚実も虚勢も、それは虚ろな嘘になって。
蓋を開けると、やっぱり気持ちは溢れてしまっているものなんだよ。
毎週日曜日に投稿します。よろしくお願いします。
彼女は私の目の前から姿を消した……。
そんな青天霹靂。
…………今はもう、それから一週間が経っていた。
「………………」
なにかをするべきなのだろうか。
いや、なにもできなかったんだ。
だから彼女は、もういないんだ。
「なんで…………」
私はリビングのソファーでうずくまっていた。
あの日、あのとき、あの瞬間ごとに、彼女は笑っていたはずなのに……。
あそこには確かな本物の気持ちがあったと、私は実感していたのに……。
あれは全て勘違いだったんだろうか? 私だけの独りよがりな幸せ? 独占力と過剰意識だけで成り立った自己満足の塊?
「分かんないよ………………」
もう、なにもかも分からない。
彼女がどこへ行ってしまったのかも。
彼女がなぜどこかへ行ってしまったのかも。
その全部が全部、私の中の一滴からも理解ができなかった。
なにもかも置き去りにされて、彼女は生きているのかもすら認識できない存在になってしまった。
そんなの……到底分かるわけがない。常識の範疇を遥かに飛び越えすぎている。
「…………………」
でも……たぶん。
彼女なら、そんなこともあるのかもしれないと。
私は不自然なほど、お気楽な頭で、自然とこの現実を受け止めている自分がいることは分かっていた。
だって、それはもしかしたらまだ、彼女がどこかにいるかもしれないという……可能性すら感じたから。
とは言ったものの……。
「私にはもうなにもないじゃないか……」
ただ、それ以外なにもかも残されていないだけで。
ただ、それでもこのまま死んでしまうだけじゃ、彼女に会えたかもしれないという確率を逃してしまうのが、怖いだけだ。
「会えたところで、またなにもできないくせに……」
ほんと、私はあまりにも。
簡単な人間だ。
今はまだ、冬休みの最中だった。
もう大晦日も終盤に差し掛かり、もうじき新年が始まろうとすらしているころ。
私はリビングで母と一緒にいた。
恒例の年越し蕎麦を共にして、適当に流している今年のクライマックスを派手に飾ろうとするテレビ番組を無気力にただ眺めていた。今ここで消してしまえば、この液晶には私の顔が映ることだろう。
それはさぞかし滑稽な有り様だということは、安易に想像がつく。だからうるさくても、うざったくても、テレビはこのままでいいやと放置していた。
そしてしばらくひたすらに息をしているだけの時間を過ごしていると、母が歩み寄ってきた。それはこの部屋に響くテレビの音量よりも、より鮮明に心地よく届く足音だった。
「はい、あったかいお茶」
「あ、ありがとう……」
「隣いい?」
「うん……どうぞ」
右端に座る私の正反対……左端に母は静かに腰を下ろす。
私と母の間にできた一人分の隙間は、母なりの気遣いだろうか……。それともそれ以上は私を理解してあげることができない拒絶だろうか……。
どっちでもいいけど、そんなに離れてちゃ腕を伸ばして抱きしめられることもない。それは一安心だ。
虚勢を張っている自覚はあるさ。だってそうだ、今ここで母にその両腕で包まれる時間がどれだけ心の許されるひとときになるかなんて言うまでもない。
でもそれを享受すると……きっと私は泣いてしまうから。
悲しさとか虚しさとか、悔しさを全部ごちゃまぜにした感情を吐き出してしまうから……そうしてしまうと、私は勝手に彼女を洗い流して一人で納得してしまいそうな気がした。
だから、この一人分の空間は私の心の穴そのものだ。
「今年ももう終わっちゃうねぇ……」
ぽつん……と雫を水面に一滴だけ垂らすように……。
母は一つ話題を放り投げる。
静寂な空気にいたたまれなくなったとか、あからさまに生気のない私を元気づけるとかではなくて。
ふとテレビを目にしてぽつりと零れたような、そんな独り言じみた声量だった。
たぶん反応を期待してるわけじゃない。私がここで無視しても母はどうもしないんだと思う。
「そうだね……もう終わっちゃうね」
だから、私は母の小さな一言を拾い上げることにした。
せめてこんな些細な束の間だけでも……大事にしないと。
また、失うのはいやだから。少しでも長く…………。
「透華にとって今年は楽しかった?」
今度は確実に、正確に母は私に話しかけてきた。
「…………うん。そう、なんだと思う」
返事をするものの、私たちの目が重なることはない。
私は沈黙をかき消すテレビに向かって声を出す。
「お、それはいいねぇ。新しい友達でもできたのかな?」
母もそこに私はいないのに、その液晶に問いかけている。
「そんなとこ、かな……」
でもそれが私に対しての質問なんだってことは言わなくても、見られなくても分かる。
そしてしばらく、私たちはそうやって不器用に心を通わせていた……。
「へぇ……羨ましいなぁ、そういうの。そんなの私くらいになるとそうそうないからね」
「……お母さんはまだ、友達欲しいの?」
「ん〜どうなんだろうね……そう言われると欲しくないからできないのかな。というより、もうそんな余裕がないのかもしれない」
「……大人なのに?」
「たぶん、大人だからだよ。周りに色んな人がいて、色んな人と出会って、色んなことが見えて、自分も色んなことを覚えていくなかで結局居心地のいい人だけと一緒に過ごすようになる。量より質みたいな。広さより、深さみたいな」
「みんな居心地が悪かったら……?」
「ん〜そういうときは一人になる。きっとその人にとっては一人こそが居心地のいい場所なんだと思うから。大人はそうやって自分のリスクが少ないほうへ生きていくんだよ」
「……それ、カッコ悪いね」
「はは……大人ってそんなに大きくないんだよね……だけど、それでも人は人を育てるんだよ。大きくなってほしいなって……」
「お母さんは私を産んで間違ったと思ったことはある?」
「…………ないよ」
「正直に答えて」
母のわざと空けたような間を追い詰めるように、私はそのときようやく母へ視線を刺した。それが絡まることは叶わなかったけど、母は続けた。
「ないよ。透華にそんなこと思ったことはない。でも、透華に産まれてくる場所を間違えたと思われるのが怖くなったことは何度もある。実際今も、透華になんて言ってあげたらいいのかいっぱい考えても分からない…………親失格なんだよね」
「そ、そんなことない……! お母さんは、お母さんは……そんなこと、思わないでよ…………だめなのは私のほうなのに……」
「透華…………ごめん」
「意味もなく謝らないでよ……悪いのは全部私なんだよ。お母さんはちゃんとご飯も作ってくれて、居場所もくれて、いつも笑ってくれて、毎日毎日……育ててくれてるのに、私はなにもできなくて……私こそ自慢の子供になれなくてごめんなさい」
「…………ねぇ、透華。今、透華は独りなの?」
「た、たぶん……もう、独りなんだと思う」
「それ、うそだよ。透華は自分にうそを吐いてるんだよ」
「え……?」
「人って結局独りにはなれないんだよ。だってそうだよ。独りになってるようで、ちゃんと生きてるから。周りに音とか、言葉とか、気持ちとかがあるから毎日夜は寝て朝は起きてるんだよ。そりゃそれらが全部間接的なもので触れ合いがないんだとしてもさ、それでも人は独りになれないんだよ」
……母の言うことはよく分からなかった。
だって私の心はもうすっかり栄養分が枯渇しているんだ。
もう、この器が一杯に満たされることはないんだよ……。
「でも、大切な人を失ったらもう独りと変わらない……」
「まだ透華は独りじゃない。だって心が生きてるじゃない。ちゃんと残ってるじゃない。もし、それでも独りだって言うんなら、それは透華の大切な子のほうだよ」
「…………残されたほうがずっと寂しいじゃん」
もし、たとえ彼女も同じように寂しさを抱えていたとしても、私たちはきっと同じじゃない。
私は置いて行かれて、彼女は置いて行ったのだから。
「でも、もういいやって。もうだめなんだって、諦めてしまったほうがもっと寂しいんじゃないかな」
「私、もう……どうでもいい」
「うん。でも私はそんな透華もどうでもよくないから」
「…………そんな期待されても親孝行とかできないよ」
「そんな期待なんかしてないよ。私は毎日、透華がここが居場所なんだって帰ってきてくれるだけで安心できるから」
「………………」
「私こそ」
「……?」
「透華がこんなに落ち込んでるのに、大丈夫の一言もかけられないのに……親だと思ってくれてありがとう」
そのとき、ようやく母は私の顔を見た。
私は母の泣いている顔を、初めて見た。
言葉以上の気持ちと、声以上のぬくもりと、笑顔以上のありがとうが、そこに詰まっていた。
私は独りじゃないから。母がいるから……。
だから母は…………美しく涙を流していた。
「…………それ、ずるいよ」
思わず膝に顔を埋める私の小さくなった体を。
母は力いっぱいに抱きしめてくれた。
たぶん、私はその日久しぶりに、声を上げて泣いた。
どうもおはようございます雨水雄です。
あぁ……もう一週間ですね。早い……。
あの思い出や記憶もすでに7日前のものになってると振り返ると、逆にこの7日間がなにかで圧縮されたかのように短く感じます。その割に楽しかったから早く感じたとか、そんな優越感も満足感もにないですが……。
はぁ……やはり月並みですけど小さな幸せは、毎日こつこつ、ですね。今日この日だって、転がっているなにかがいずれはちょっとした笑い話にだってなるかもしれないので。
読者にこうしてここまでお付き合いいただいてる今日もまた、特別だということですね。ありがとうございます。
では来週もよければここで。




