そのXVI
そこへ至る目にした景色とは一体。
積み重ねた時間があるから。
培った思いがあるから。
動き出した今があるからこその唯一無二がある。
だから、それは一体全体、みんなと同じではないんだよ。
毎週日曜日に投稿します。よろしくお願いします。
その中の閑静さといえば。
まるでこの場で眠る絵画たちを起こさないようにそっとしているような緊張感があった。
私と彼女がいるのはまだ出入り口だというのに、その静けさには、息を呑んで、足音を殺して、ただ見つめ合った。
「透華、すごく静かね……」
「……うん、そうだね」
私たちにしか聞こえないくらいのふたりごと。
それから、中を進んでいき案内所で当日券を買うと同時に、当館での注意やルールを一通り聞き終えると、あとは自由だった。
「透華、どうする? どこから回ればいいのかしら?」
彼女は妙にそわそわした様子だった。
別に普段からおしゃべりなせいでこの空気感が落ち着かないというわけではなくて。
それは私も同様で、こう言う場所に初めて来る困惑と、勝手が分からない不自由さがそうさせていた。
「……とりあえず一番近いところからぐるっとしようか」
「ええ、そうね」
そう言った通りに、私と彼女は二人で並んでぎこちない足取りで、丁寧に飾られたそれぞれの絵画に目を通す。
知らない人が描いた、知らない絵ばかりがずらりと私の視界に入り込んでくる。
どこに目をやったって、すごいのかどうかも分からないものばかりで、自分がどこかに迷い込んでしまったのではないかというくらい幻覚のような世界観の違いで、私の思考回路は絡まっていく……。
「透華」
そんなとき、彼女は私の袖を強く引いた。
「どうしたの、愛歌?」
その小さな手からは微かな興奮を感じられた。純粋なその感触は、ほのかに私に安堵を教えてくれる。
「この絵、とっても綺麗だわ……」
そして、その手が引く方へ私は視力を預ける。
私の見える感覚を全て、彼女が言っているそこへ向ける。
「あ…………」
飛び込んでくる力強い星の光。
沈みかけている夕陽の眩い茜色と、溶かし込むような夕闇の黒色の中で輝くたった一つの小さな星が、対称的に描かれていて、圧倒的に力不足な星のそれは、どこか私の中のなにかを惹きつける力があった。
「こんな景色があればいいわね……」
同じように目を奪われている彼女は、ぽつりとそんな羨望を口にする。
ありえないと、非現実的な現象だと理解していても、そこに飾られた一枚は、確かに私たちの見ている景色そのものだと思えた。
「確かに、こんなずるい景色があったら少しは明日が楽しみになるのかな」
あぁ、分かっている。私たち二人とも、それが日常化されれば、それはそれでまた今日と変わらないなんでもないものへと同化してしまうことくらい。
「ええ、それは楽しみで仕方ないわよ」
それでも、今だからこそ、こうして理想なんだと認識しているからこそ、明日を少しでも明るい希望であってほしいという……安弱なご所望だ。
「見て透華。どうやらここは素敵な景色でいっぱいみたいよ」
彼女はそうして、辺りの絵を散歩するような歩幅で見過ごして行く。
「私の知らない世界ばっかり…………」
先を進む彼女の後ろで、私はぽつりと無気力な声を吐いた。
隣には、虹色の雲がゆらめく鮮やかな空があったり。
隣には、桜色をした雪が吹雪いていたり。
隣には、透明色で様々な色を反射するガラスのような花があったり…………。
見たことないものばかり。
見ようともしなかったものばかり。
それは全部、私では思いつくこともたどり着かない絵だった。
「みんな、好きなんだな……」
それは。
あれは、いつか見たあの子の絵のような親近感があった。
その子にしか分からない好きな景色で、でもそれから伝えたい大事なものだけがちゃんと心を通っていく、あの教室の絵と同じなにかがあった。
いや、好きがあった。大好きの筆が踊っていた。
「ええ、そうね。みんなみんな名前も顔も知らない人ばかりだけれど、好きなものはきっとこれなのよね。みんな素敵な人だわ」
「…………うん」
すごいな……でも、悔しいな。
不甲斐なく、情けなく、私は内心でこうも嫉妬していた。
捨てたものを物惜しそうに求めるその醜さ。
「ねぇ、透華」
そんな自己嫌悪をしている私を彼女が呼んだ。次に言いたいことはなんとなく分かった。
「……うん」
「もしよければ、透華も絵を描いてみてはどうかしら?」
「……どうだろ。もう随分と描いてないから思い通りに描けるか分かんないや」
「それでも、なにか描きたいものが浮かんだのではないかしら?」
今日、彼女がこの選択をしたのは初めからこれが目的だったんだろう……おそらく。
だから、私もそれなりに覚悟を決めてこの場に着いてきたのだ。無論、不満なんてものはない。
でも、今の私なんかが……彼女の欲しいものをあげられるかなんて………………。
「…………愛歌が望むなら、描いてみようかな」
無理かもしれないけど、彼女がわざわざ連れてきてくれてまで伝えたいことがあったとしたならば。
せめて、私の全てをそこに注ぎ込むくらいは……。
「そう…………なら、考えておこうかしら」
そして私の答えを聞いた彼女は。
なぜか中途半端な笑みをこちらに向けていた。
なんで、そんな顔をするの……?
私の手は、寒くのないのに震え始めた。
私と彼女がそのあと美術館から外を覗くと、そこはもう夜空の準備が整う頃合いだった。
「もう暗くなってきたけど、次はどこか行きたいところある?」
私がなんの変哲もないごく自然な投げかけは。
「………………」
あまりにも不自然に返ってこなかった。
「え、愛歌?」
距離が遠いわけでもない。周りが騒がしいわけでもない。
ましてや、彼女が私を故意的に無視することも考えられない。
だから少し……いや、内心かなり恐怖を覚えながら、また私は彼女を見やった。
「え……? あ、透華……ごめんなさい少しぼーっとしてたみたいだわ」
すると今度はしっかりと通じたようだった。
しかし、その安心感がなぜだろうか……やはり怖かった。
もしかすると私は、ここでなにかを間違えてしまったんじゃないかという悔恨のような不安が押し寄せてくる。
いやでもここで、なにかを間違えるようなことはなかったはずだ。私たちはただ純粋に絵を楽しんだんだ。
見て、感じて、その気持ちを交わし合って、そして些細な約束をした。
それのどこが間違っていると言えようか……。
否、ありふれた中の私たちだけの至福は確かにそこにあったのだ。
だから……だから…………大丈夫だ。
彼女は本当に、疲れてしまっているだけだ。
それはなぜ? そんなの分からないけど……。
「大丈夫? 疲れたんならどこかで休もうか?」
よく思ってもない常套句がすらすらとでるもんだ。
「いえ、大丈夫よ。まだあのたくさんの絵が頭の中でぐるぐると回っているみたいなだけよ。だから心配しないで」
「う、うん……」
彼女はつまり、余韻で頭の整理がまだ追いついていないということを言いたいんだろう。
だから、それくらいこのひとときは充実していたということ。すなわち、間違いはなかったんだ……。
「さて、じゃあ行きましょうか!」
彼女はもう曇りも影もない、意気揚々とした声音で私に手を差し伸べる。
「あ、うん。分かった行こう」
私はもうなにかいやな予感を払拭して、軽くなった心で彼女な手を縋るように掴んだ。
彼女がこうして私を見てくれるのなら……。
なにも怖いことなんてないじゃないか。
それは半分、無理矢理言い聞かせているような邪推も少し混じり気を覚えながら、私は彼女の引く力に身を委ねた。
私たち二人は、もう特に目的も目標もなかった。
ただ単に、手を繋いであてもなくのんびりと歩く時間を過ごしていた。
だから、これはほんの偶然ではあったのだが。
「あら透華、あれを見てちょうだい! とっても綺麗だわ!」
「本当だね…………」
ぐるりと、イルミネーションの光色が飾る街の風景の中歩いていると、一際輝きを放っている大きな木がそこにあったのだ。
それは作られたものなんかじゃなくて、生まれて、生きて、大きく成長した樹木だった。そこにたくさんの飾り物や光り物、しまいには天頂には星形があったりなんかして、天然のクリスマスツリーがそこにあった。
確かにそれは、綺麗なわけではないかもしれない。
よく見る形よりもかなり歪で、どちらかといえば不細工なんだと思う。
でも、生きているから。
ちゃんと生き続けて、立派にこうして大きく成長しているから、魅力がある。どこか勇気や元気を与えてくれるような、そんな生き物としてのシンパシーがあった。
「これは……きっと、ずっと忘れられないクリスマスツリーね」
「そうだね、これは特別だね」
歪だからこそ故に、誰もどれもなにも、真似できない。
それはいわゆる唯一無二というもので、私たちはこの場で、見たツリーはもうどこかで見ることは叶わない。
そう思うと、私はこのツリーのらしさが急に羨ましくなった。
そして、今、私たちがここでこれを眺めているのが随分と長いように感じたとき。
「ねぇ、透華。一つ、お願いをしてもいいかしら?」
「……う、うん」
「また、きっとまたわたしとここに来てくれるかしら?」
「そんなことでいいの?」
「そんなことがいいのよ……」
「分かった。愛歌がそう言ってくれるなら、来年も、また再来年も私は愛歌とここに来るよ」
「ええ、ありがとう……本当にありがとう」
「ううん、こちらこそ……ありがとうかな」
そんな、他愛なく、限りなく厳重な鎖のかかった約束を。
私たちは紛うことなき、交わしたはずだった。
「さて、じゃあそろそろ帰る?」
そのときはもうすでに暗くなってきたどころではなく、夕飯時ももうじき過ぎようとしていた。
「それかどこかでご飯でも食べて行く?」
正直、あまり空腹ではなかったが、彼女に合わせようと、私は提案してみた。
今だと、逆にもうどこの店もちらほら席が空いてくるころかもしれないしどう転んでも好都合だし。
「……いえ、いいわ。あまりお腹は空いていないみたいだわ」
「そっか、私も。じゃあどうする? そろそろ帰る?」
「ええ、そうね。わたしはもう十分だからそれでも構わないわ」
私たちはついに帰ることにした。
そして、帰路を辿る道中。
そこは交差点前だった。私たちは信号待ちをしていたとき。
「透華ありがとう。今日はとっても楽しかったわ」
エンドロールのような、時間が始まった。
「私こそ。色々連れて行ってくれてありがとね」
「透華は楽しかったかしら?」
「うん、当たり前」
「それならわたしは本当に幸せだわ……」
「それなら私も幸せかな……」
それは、いわゆる相思相愛というものに近い幸福感だった。
私たちはちゃんと通い合って、通じ合って、交わり合って、混じり合って、結ばれているような確かな強い繋がりを感じた。
だから、次に彼女が。
「でも、わたしは…………少し悲しいわ」
そんなことを言うなんて、思ってもみなかった。
「え、なんで……?」
そして。
「透華、ごめんなさい。本当にごめんなさい」
「愛歌……? ま、待って! まだ…………!」
そこはまだ青になりきっていない赤信号前だ。
あと数秒でも待っていれば、私と彼女は、確かに安全圏を歩いていたはずなのに……。
ーーあいしているわ。
私は、彼女の唇がそう動いているように見えただけで。
私は、 なにもできなかった。
そして、車と車のライトが交差する中、私は眩しさで目を細めた逸らした瞬間。
ドン…………と。極めて大きく乱暴な音を立てて。
まるで蒸発したかのような……。
彼女は跡形もなく、消えた。
どうも雨水雄です。
今回は東京の街並みに囲まれながら送りしたいと思います。
まぁ、ざっと感想を述べるなら……歩き疲れました……。
でもやはりそこはかけがえのない時間がありました。
そこはパワーがあるからこそ向かう意味がありました。費やした疲労もまた充実感や達成感の糧になりました。
人は歩く力があって、思いの力をいただいて、きっと前に進む力が生まれるんだと思います。
だからもし、辛くてしんどくて苦しくて疲れたときは、休めばいい。目一杯目を逸らしてやればいい。そこはあなたの前ではないと言い聞かせればいいんではないかと。
道は、自分で歩くためにあるんですから。
今のこの圧迫感や窮屈感、虚無感や不甲斐なさは行動力と罪悪感の反比例の基盤となって身動きを封じていることでしょう。
だからこそ、言葉があって綴る文章があって、語るストーリーが少しでも勇気や邁進力に繋がればな、と。
雨水は動いた先の無意味さを、そうではなかったと証明できるように今日もまた、次の言葉を紡ぎます。
さて今週もここまで読んでくださりありがとうございます。
では来週もよければここで。




