そのXIII
それは隠しているんじゃない。
隠蔽しようと思っているわけでも、そのうち隠滅させようとしているつもりでもない。
ただ、その言葉一つ。心の戸棚の中にあるそれを一つ握りしめては投げたとして。
上手く相手に届くかが怖いだけなのは、分かってるんだ。
毎週日曜日に投稿してます。よろしくお願いします。
「透華、お待たせ」
「うん」
「では帰りましょうか」
「そうだね……」
宵の色で空が埋め尽くされる。
それは鎮静や静謐や寂寥では片付けられないほど、ぽっかりとした空虚があって……。
それは私の今の器のような……。
それは、迷いや不安や緊張を呼び寄せる切ない形をしていた。
日没はその日の終わりを告げるように明るさも光も遮る。
「今日はなんだか不思議な日だったわね」
「まぁね、なんかいつもと違ったからかな」
「そうかしらね……」
明日はやってくる。寝ていればその内、それは当たり前のように訪れる。
だから私たちはこの漆黒の景色と同化するように瞼を閉じては、その暗闇に身を委ねる。
そうだ、今日はもう終わったに等しいのだ。
隣を歩く彼女とはもうすぐお別れをする。
まだ、こんなにも足りないのに……まだ今日は始まったばかりに思えるほど、彼女が足りていないというのに……。
「透華、今日はごめんなさい」
「え……?」
彼女は今日の反省を述べる。まだ、終わっていないのに……まだ、間に合わせることだってできるはずなのに。
私と彼女にはちゃんと帰る場所があって。
それは同じではない。大切な人で、いつまでも一緒にいたいはずの存在だけれど、その場所は違っていて……。
だから彼女は、今日を終わらせる話をしてしまうんだ。
「明日はあの教室でちゃんと待っているわ」
そして彼女はすでに明日を見てしまう。
私はまだ今日が終わってほしくないけど、それなのに歩調も道のりも、それは最短を辿っていた。
「うん、私もすぐに行くよ」
分かっている。終わらせることでしか始めることはできないということは。
今日、寝てしまったら全てがリセットされることはない。
明日になったら全く違った世界に変わっていることなんてない。
ただ、彼女を疑わなければ私はまたあの時間を過ごせるのだ。
「ええ、楽しみにしているわ。あ、そうだわ……」
「ん、どうしたの?」
すると、彼女は突如足を止めて私の目の位置に視線を送っていた。
少し進んだ私が振り返ると、彼女とその線が絡まる。
「今日、透華は、その友達さんの部室でなにをしていたのかしら?」
「え? あ、あぁ……なんかちょっと気になったことがあってさ」
「そうなのね、それはなんなのかしら?」
「なにがあれば、好きなことを好きだと言い続けられるのかなって……」
「まぁ…………そうなのね。それで?」
「なんとなくだけど……らしさなのかなって。誰かから色々言われるのも含めてさ。自分が、今の自分はこうなんだって証明する最善手がきっと好きなことなんだなって……その子の絵を見てると感じた」
「…………それしかないけれど、それだけが頼りなのよ」
誰かに届けるためじゃない、ぼそっと呟いた消え入りそうな彼女の声が微かに……かろうじて音として識別できた。
「……そんな感じなのかな」
目を向けてしまえば他に手段も方便もたくさん転がっているはずなのに。
それだけを貫くには……。
信念も矜持も、真芯も意味がなければ、価値がなければただの棒なんだろう。
「少なくとも、わたしはそんな感じよ」
「そっか……で、愛歌のほうは水島先生だっけ? と、なにを話してたの?」
私は踵を返すように彼女に近寄り、覗き込む。
しかし彼女はさっきまでとは打って変わって、解くようにその線を逸らす。俯いた彼女の表情はもう分からない。
「え、えっと……」
「……………」
「な、内緒よ……」
恥ずかしそうに震えた声でそう答える彼女は。
そこに秘密ごとを隠していることを露呈していた。
「…………そっか。じゃあいいや」
「じゃあわたしはこっちだから、また明日ね透華」
「うん、また明日」
手を振るとき、彼女はようやく顔を上げて笑みを浮かべた。
そしてそのまま駅のホームへ姿を消していく。
私の手は脱力を覚えてだらんと垂れ下がる。
「………………」
あぁ、そうだよ。
彼女のことを微塵も疑っちゃいないよ。
でも、でもさ……。
「そういうこと言われるとさ、信じるのはもっと怖いんだよ……」
私じゃなくてもいい彼女と。
彼女じゃないと駄目な私は。
思ったよりも遠かったようだ…………。
家に着いて、玄関を開けるとそこにはすでに見知った靴が一足、丁寧に揃えて置かれていた。
「あ、今日は早かったんだ……じゃなくて私が遅かったのか」
私は自分の靴をいつもよりは綺麗に揃えては、その黒いパンプスの横に並べる。
横一列に丁重に置かれている二足。
「汚いスニーカー……」
それは履き潰れているとか、汚れが目立っているとかではなく、私の普段の行いがその性格を顕著に教えてくれているような、そんな気がした。
私はそのまま自室へ直行しては荷物をそっと置いて、すぐにリビングを目指した。
母がいると分かっているリビングは、あたたかい明るさを放っていて、扉の前に立った瞬間から安心感が漂う。
「ただいま」
母が今いそうなキッチンに目をやってその挨拶をする。
すると、案の定そこで目が合った母が柔らかく口元を綻ばせて。
「おかえり」
それを返す。
当たり前で日常的。でもそれが嬉しい。
そんな幸せを、なんだろう……今になってだからか、今だからこそなのかはどちらでも構わないが、噛み締めた。
「もうすぐご飯できるから座って待っててね」
「うん」
「あ、でもその前に手を洗っておいで」
「あ、うん」
私は母の元まで近づき、調理場で手を洗おうとする。
母も横にいる私にもう一歩近づいて、近づきすぎて肩が触れ合う。
「なんか、久しぶりよね」
「え、なにが?」
「透華の方が遅いなんて」
「……まぁね」
「最近は寒いし暗いしで危ないから気をつけてね」
「うん、ありがと」
ふと、そんな気配がして私は母に顔を向けると、やっぱり母は私を見ていて、しっかりとこの双眸がその心配と愛情を入り交えたような複雑な瞳を捉える。
きっと本当は「もっと早く帰ってきなさい」とか言いたいんだろうな気はする。そう言いたい気持ちも分かる。
私個人がどうというわけではなくて、私のような立場は危険もそれなりに伴うから……だから母のもどかしくて歯痒い気持ちが痛いほど伝わってくる。
「ごめん、気をつける」
「いいのよ、透華はそういうのが分かるいい子だって知ってるから。だから私は何も言わない」
「うん……」
「それにあまり分かってることぎゃーぎゃー言われるといらいらしちゃうじゃない?」
「ま、まぁ……確かに」
「でもね」
母はそこで、一区切りを付けて私の頭に、その額を乗せる。
美しく染められた藍色の長髪が、わたしのグレージュとさらさらと絡み合う。
「そのいらいらが、たまに役に立つときがあるから。だから、私が心配してるかもなーって、ちょっとは覚えていて」
「うん、分かった」
母は優しいのだ。本来ならもっと語気を強くしたって、怒気も含んでいたって私は構わない。
むしろ、そうしてくれないから……だから私は余計に罪悪感を背負うのだ。
強く吐き出すと、その棘が相手を傷つける。その毒が心を蝕んでストレスになって、思い出す度に少し相手が嫌いになる。
それは人間関係の中でごく自然にある流れで、でもそれで離れ離れになることは、まぁ滅多にない。親子ならなおさら。
でも母は優しいから。そんなこと何度も何度も言って分からせる……その言うことに気が引けて一歩引いてしまうのだ。
それが母の役目だと分かっていても…………その葛藤に困っているのがひしひしと伝わる。
だからこそ私は、少し悲しい……。
いつも優しくて、素直で、あたたかい母だからこそ。
優しすぎるそのせいで、その愛が、建前で埋め尽くされていまうんじゃないかと……。
「よし、できた! じゃあ透華、冷めない内に食べよ!」
「うん、そうだね」
できあがったのは、私の好物であるコロッケだった。
それをいっぱいに盛り合わせた大皿を運ぶ母は。
私より少しだけ身長が高くて、すらっとした綺麗な線を描く体は。
いつも私のために頑張って働いて、それでも溢れんばかりの愛情を注いでくれて、でも大事にするあまり私の奥に触れてくれない母は。
「そういえば、お母さん」
「ん?どうしたの?」
「私、今年のクリスマスね。学校の友達と遊んでくる」
「あ、そうなのね……うん、分かった。楽しんでね!」
隠せていない悲壮感を匂わせる母も。
私の知らない誰かと、内緒の話をする彼女も。
本当を教えてよ…………。
どうも雨水雄です。
最近いいことがありましたか? と聞かれれば思いつくことがだんだんと少なくなっているような……と今できあがっている環境であったり人付き合いがそんな歪な形をしてるなぁ……となんかそんな風に寂しくなったりするわけです。唐突ですが。
そんな中、それでも自分を大切にしたいから。相手を大切にしたいから。その気持ちを届けたいから、動いている人もいるわけで。雨水も自分の大事な言葉が少しでもあなたに溶け込んでくれたらな……とも思っているわけで。
そういうわけで、雨水の今年の夏はライブに少し行こうかな、と。せっかく当選しましたし、人らしい元気をもらいに行きます!みなさんも大事なものは大事に、ですよ!
さて、今週もここまで読んでくださりありがとうございます。
では来週もよければここで。




