エピローグ
王宮の温室は相変わらずうつくしい花々が咲き乱れている。
季節は春から初夏に移り変わり、外の庭園にも彩りが増えていた。近頃は忙しくてエミーリアはゆっくり散策する時間もとれないが、薔薇が見頃のはずだ。
「陛下? お時間はよろしいんですか? まだ公務が……」
「すぐに戻るから大丈夫だ」
そう言ってマティアスはエミーリアの手をとり温室のどこかへと歩を進める。迷いがないので目的は決まっているのかもしれない。
エミーリアたちの結婚式の直前、レオノーラの問題も無事に解決しようやく二人になれる時間がとれた。見えるかどうかの範囲にヘンリックはいるけれど、彼は気配を消すのがうますぎて完全に二人きりのような気がしてくる。
とはいえそれほど長い時間はとれないはずだ。エミーリアもマティアスも、結婚式にむけての最終調整が山のようにある。
「……これを見せたかったんだ」
マティアスの目線の先にあったのはさきみだれる薔薇だった。いくつかの鉢植えの植えられているからか、そのやわらかい緑色が目にやさしい。
「……緑色の薔薇、ですか?」
淡い黄緑色の、小さくて丸い形の薔薇だ。エミーリアは見たことがない。記憶が確かなら緑色の薔薇なんてなかったはずだ。
「新種の薔薇だ。先日グレーデン侯爵が作った」
「お義兄様が……! さすがですね!」
リヒャルトの研究については知っていたが、こうして目に見える形になるとよりそのすごさがわかる。
「『エミーリア』という名の薔薇だそうだ」
「……え?」
マティアスの言葉に感動も吹き飛んでしまう。聞き間違いだろうか、とエミーリアは首を傾げた。
「命名は君の姉だ。先を越されて悔しいので次は王妃エミーリアに相応しい薔薇を作るように侯爵には命じている」
マティアスがむすっとしながらとんでもないことを言ったのでエミーリアは聞き間違いでもなんでもなかったのだと理解する。
「な、なにをなさっているんですか!? いえそれよりもどうしてわたくしの名前が……!?」
新種の薔薇は、作った本人が名前をつける。それはわかる。だがそれなら、もっと相応しい名前があったはずだ。
「君をイメージしてこの色で薔薇を作れ、というリクエストだったらしい」
マティアスが付け加えてきて情報にエミーリアはもうなにも言えなかった。
(お、お姉様……!)
なにをしているんだと頭が痛くなる。家族のなかでも姉のコリンナは特にエミーリアを可愛がってくれているが、まさかこれほどとは。
「……わかりました、この薔薇の名前はもう仕方ないのして、さらに新しい薔薇にわたくしの名前は必要ありませんからね」
今からでもマティアスの命令を撤回させなければ、とエミーリアが釘を刺す。まだ研究だって始まっていないくらいのはずだ。
「この薔薇は素晴らしいが、それでもエミーリアの魅力をすべて表現するには足りないくらいだ」
それに、とマティアスが付け加える。
「君への愛で、他の誰かに負けるのは嫌だ」
「マティアス様……」
そんなことを言われるとエミーリアも文句を言いにくい。
(確かに他の誰かがマティアス様の名前をつけた薔薇を作ったとしたら……わたくしも嫌な気持ちにはなるわ)
こうして目に見える形で示されると、こちらも負けていられないという気持ちになる。なによりこの世に生まれた新しい薔薇が愛する人の名前と同じなのに、命名したのが自分ではないなんて。
(……それはちょっと許せないかも)
「わかりました。でも……お義兄様に無理をさせるようなことはしないでくださいね?」
新しい薔薇を作ることは簡単ではない。リヒャルトにそこを任せているのなら、急かすような真似はしないでほしい。
エミーリアの頼みにマティアスは「もちろん」と頷いた。これでひとまず安心だ。
小さな緑色の薔薇は、花弁がなめらかで触り心地がいい。そっと触れると、控えめな甘い香りが漂う。
久しぶりに訪れる穏やかな時間に、エミーリアはゆっくりと息を吐き出す。
エミーリア、と名前を呼ばれた。いつしかこの声が自分の名前を口にすることに慣れたけど、特別な気持ちになることは変わらない。
返事をする代わりにエミーリアはマティアスを見つめた。はい、なんですか。そんな声にならない声がたぶんマティアスにも伝わったのだろう。目が合うと思わず二人で笑った。
「……俺は、どちらかといえば言葉は足りないほうだし、君を不安にさせることもあると思う」
マティアスがエミーリアの手を取り、愛を誓うように言葉を紡いだ。
「それでも君以外の誰かと生きていきたいとは思えない。どんな困難も、君となら二人で乗り越えていけると思う」
その言葉を噛み締めながら、エミーリアはゆっくり頷く。
「……はい。わたくし、マティアス様の隣にいられるのなら、どんな困難も厭いません」
合図したかのようにどちらからかともなく、唇を寄せる。ふたつの影が重なり合うそばで緑色に淡く色づく薔薇が揺れていた。
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その日は世界のなにもかも祝福しているような天気だった。朝早くにわずかに天気雨が降ったものの、すぐにやみ、キラキラと輝く雨粒と大きな虹だけを残す。人々は口々に天気も今日の結婚式を祝っているんだねと笑っていた。
アイゼンシュタット王国の若き王がついに婚姻を結び、王都ではお祭り騒ぎだ。
大聖堂で愛を誓い合った国王夫妻は、そのまま馬車に乗り王宮へと戻る。その姿を一目見ようと通りには大勢の人でひしめき合っていた。
真っ白なドレスに身を包んだエミーリアは祝福する人々に手を振る。
王宮に戻るとバルコニーに出て、改めて国民にお披露目だ。王妃としての第一歩である。
朝から目まぐるしく息もつかないほどに忙しいが、それ以上に喜びが勝っていた。
(……ようやくこの日を迎えたんだもの)
恋をしたあの日から、エミーリアはずっとずっと、好きな人と結ばれるために努力してきた。
バルコニーへと続く扉を侍従が開けるために準備をしている。ガラス越しにも外からは歓声が聞こえてきた。これだけ大勢の人に祝福されていることを実感する。
「……陛下。わたくし、ずっと恋愛結婚がしたいと思っておりました」
好きな人と結ばれたい。愛し愛されたい。そう願ってエミーリアはひたむきに歩んできた。
「ああ」
相槌をうつマティアスの声はやさしい。
きっと、エミーリアがマティアスに同じことを言った日のことを思い出しているに違いない。
婚約者としてマティアスにはじめて会った日。エミーリアはあの日に告げた言葉を、一言一句忘れていない。
「わたくし、思ったのです。はじまりはたとえ決められた関係であったとしても、その方と恋をすれば……それは恋愛結婚と呼んでも良いのではないかと」
「ああ」
噛み締めるようなマティアスの声にエミーリアは胸がいっぱいになった。
「ですから陛下」
エミーリアが口を開くと同時に、バルコニーに続く扉が開かれる。
吹き抜ける風が心地よく、王都のあちこちで撒かれた花びらがふわりと部屋のなかに舞い込んできた。
「死がふたりを分かつまで、末永くわたくしと恋をしてくださいね?」
これはふたりにとってのもう一つの愛の誓い。
「……たとえ死がふたりを分とうとも」
微笑みながらマティアスを見上げるエミーリアの耳元に、マティアスはそっと唇を寄せる。そうしなければ互いの声が聞こないかもしれないほどの民衆の歓声が響いていた。
チョコレートのように甘く、はちみつのようにとろける声で一人の男は約束する。
「永遠に君に、恋をしているよ」
fin.
ご愛読ありがとうございました!




