28:秘される訪問者
応接間に両親がいるというのでエミーリアがマティアスと二人で向かってみると、ヘンリックがぐったりと疲れ果てていた。
「どうかなさったんですか、ヘンリック様?」
「いえまぁその、いろいろと……」
エミーリアはきょとんとした顔をしているが、マティアスにもヘンリックにもシュタルク公爵がピリピリと怒りを発しているのは一目瞭然だった。その隣でふふふ、と笑っている公爵夫人もただ者ではないが。
「今回の突然の訪問については、その、申し訳なかった」
なんとも歯切れの悪いマティアスにヘンリックは心の中で必死に声援を送る。無作法だった自覚があるので、ここで一番の権力者が負けてしまうと困るのだ。
「未婚の女性を訪ねてくるような時間ではないと思いますが」
公爵の低い声音は冷ややかで、室温さえ下げているような錯覚を覚える。
まさに公爵の言う通りなのでマティアスも言い返せなかった。さっそく旗色が悪くなった。マティアスは根が真面目なのでここで国王だからと偉そうにできないのだ。
ヘンリックがマティアスと二人で平謝りかなと考え始めたところ、エミーリアがすっと一歩前に出てきた。
「お父様、これはわたくしたちの将来のために必要なことだったのです」
だから許してください、見逃してください。そんな雰囲気ではなかった。必要なことだったのだから目くじらをたてるほうがおかしいとでも言いたげだ。
「事前に連絡もなく、突然、国王陛下がやってくることが?」
「ええ、だって明日では手遅れだったかもしれませんもの」
きっぱりとエミーリアが言い切る。
決して嘘ではなかった。明日ではエミーリアの心がボロボロになってしまっていたかもしれない。すれ違いはすれ違いのまま、エミーリアとマティアスの心が重なることはなかったかもしれない。
すべてもしもの話でも、今日あの瞬間にマティアスが決断して会いに来てくれたことは、エミーリアにとって運命だったのだ。
「わたくしを救うためにマティアス様はいらっしゃったんです。わたくしの恩人ですよ、お父様」
一緒に叱られるとマティアスには言ったものの、エミーリアは叱られるつもりはまったくなかった。いささか常識はずれの逢瀬だったが、咎められるようなことはなにひとつしていない。やましいことなどないのだから堂々としていたほうが父は攻略しやすいと知っていた。
アウグストは眉間に皺を寄せたままため息を吐き出した。
「……今日、当家に来たのはアドラー卿だけだ。私も妻もなにも見ていない。娘は陛下を恋い焦がれるあまりに夢でも見たんだろう」
「ふふ、そうですね。わたくしったら夢を見たみたいです」
つまりマティアスは公爵邸に来ていない、ということにするのだ。その決断にエミーリアはにっこりと微笑みながら同意する。とても素敵な夢でした、なんて一言添える余裕すらあるらしい。
穏便に話がまとまったことでヘンリックはほっと胸を撫で下ろし、マティアスはなんとも言えない顔をしていた。自分のやったことの尻拭いをエミーリアにされたのだ、少しばかり複雑な気分にもなる。
マティアスはシュタルク公爵家にやってきていない――ということになったので、当然見送りもエミーリアだけだ。本来ならば一族全員で、使用人たちも並んで見送るべき相手だが、なにごとも例外はある。
「……おやすみ、エミーリア」
「おやすみなさいませ、マティアス様。……きちんと休んでくださいね? 執務はほどほどに」
おそらくマティアスはこのあと城に戻っても残してきた執務をするに違いないとエミーリアはしっかり釘を刺しておいた。
*
帰りの馬車のなかでしばしマティアスとヘンリックは無言だったが、おもむろにヘンリックが口を開いた。
「……シュタルク嬢ってどちらかと言えば夫人に似たのかなと思っていたんですけど」
朗らかで人当たりもよく、いつもにこにことしている公爵夫人とエミーリアは確かに似ている。顔つきや髪の色が違っていても、雰囲気が似ているのだ。
しかし。
「……しっかり公爵にも似ているんですねぇ。最後まるっとまとめてしまうところ、ちょっとおっかないです」
「……まぁ、親だから似ているのは当然だろうな」
ヘンリックのおっかないという言葉にはあえて反応せず、マティアスは苦笑した。
こんな髪の色はいや、お父様にもお母様にも似ていないと泣いていた女の子を思い出す。ちゃんと両親のすごいところを受け継いでいるじゃないかと伝えたらきっと彼女は「え?」と困惑するだろう。自覚がないはずだから。
「そういえば公爵から、貴族としての振る舞いをちゃんと勉強しろって言われたんですけど」
「……レーヴェンタールはそのあたり疎いだろうな」
一言でヘンリックの言いたいことをしっかり受け取ってくれるあたりマティアスは優秀な友人だ。
「どのあたりの人に教わればいいんですかね、俺は」
ヘンリックはあくまでマティアスの駒だ。それはこれから貴族の一員になるとしても変わらない。だからこそマティアスの意向は確認しておかなければならないのだ。
「クルトでもダメだろうな。……いっそルドルフに頼むか。今は領地から戻ってきているだろう?」
マティアスの筆頭書記官であるクルトは優秀だが少々変わっている部類の人間だ。貴族らしさというものは持ち合わせていない。マティアスの周囲にいるのはそんな人間ばかりだ。
唯一彼ならばと思いつくのがルドルフ・シュタルク。エミーリアの兄だ。今日は姿を見せなかったが。
「ルドルフって……え? シュタルク家の? いやいいんですか?」
「内密にやるなら身内になる人間のほうが楽だろう? 彼は父親より穏便だからおまえも困らないはずだ。身内というならグレーデン侯爵もそうだが……」
身内といってもそれはマティアスの身内であってヘンリックの身内ではない。これからマティアスの治世において重用される人間という意味では身内のようなものかもしれないが。
「それは俺でもわかりますよ、貴族の振る舞いを教えてもらう相手じゃないでしょ。いやあの人はわかっていてもやらないんでしょうけど」
コリンナと結婚してからはマシになったが、それ以前は寝癖だらけの髭面のまま平気で城にやって来ていたような人間だ。貴族らしい振る舞いを学ぶ相手としては相応しくないだろう。
「となるとやはりルドルフが適任だな」
「いやー……だってほら、公爵家の御曹司じゃないですかぁ……」
「おまえの目の前に座っているのは国王なんだが」
「知ってますけど?」
それがなにか? という顔をするヘンリックにマティアスは笑う。
国王相手にそんな態度をとれるのに、公爵家相手に緊張するのも不思議な話だ。




