表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/14

第十二話 シネラリアの悲哀路 (中)

 

 Side...nanae



 あの日から、時折いつもの茶屋で隆文さんと出会うようになった。

 つまらない僕の話を、彼は楽しそうに笑って聞いてくれた。その笑顔を見るたび、僕の頭は隆文さんでいっぱいになる。

 彼と過ごす時間はあっという間で、僕はなんだかいつも焦っていた。

 日々は駆け足で流れていく。置いていかれそうな僕は、ただ隆文さんの羽織の裾をつかむことで精一杯で。

 彼が少しでも歩調を早くしたら、僕の手が少しでもかじかんだら。

 離れて、もう会えなくなる気がした。



「…はぁ」

 冬枯れた街の寒空に、白い溜息が吸い込まれていく。

 僕はひとり、川沿いの道を歩いていた。ちらちらと雪が舞って、土や草を凍りつかせていく。

 着ている紺色の着物にも、灰色の袴にも雪の華が散って妙な模様になっていた。

 今日の雪はやけによく降る。このまま埋められてしまいそうだ。

 手で雪を払おうかと思ったけれど、冷たいからあまり触りたくない。

「───またねー、隆文先生!」

 そんなことを考えていると、どこからか子どもの声が聞こえてきた。しかも、僕のよく知った名前を呼んでいる。

 この辺りの屋敷の中からだろうかと、僕は立ち並ぶ屋敷を見上げた。

 すると、目の前の屋敷の門から数人の子どもが駆け出してきた。

「次は三段付き、教えてくれよな!」

 竹刀の袋を背負った子どもたちが、手を振りながら走っていく。

「気をつけて」

 それを見送っていたのは、剣道着を着た隆文さんだった。

「お兄さん!」

「…七依?」

 そういえば前に、道場を営んでいると聞いた。どうやらこの屋敷がそうらしい。こんなところで会えるとは思っていなくて、心臓が高鳴った。

「こんにちは、こんなところで何を?」

「えっと、散歩…です」

 本当は森へ一人稽古に行くところだったが、僕は苦笑いで誤魔化す。

「こんな雪の中、傘も差さずにか?」

 隆文さんが、僕の頭に積もった雪を軽く払った。優しい手が照れ臭くて、僕はぶんぶんと頭を振って雪を飛ばす。

「…ははっ、なんだ今のは」

 何が面白かったのか、隆文さんは腰を折って笑い始めた。

「君は犬か…っ、ははっ」

「……」

 目の前で、誰かがこんなに笑っているところを見るのは初めてだ。しかも、僕を見て笑っている。

 ───みんな、僕を見たら怯えるのに。

 夜の闇の中でも、僕の目にははっきり映る。泣きながら命を乞う人、叫びながら逃げ出す人、死に物狂いで僕に斬りかかってくる人。

 その全てを、僕は斬り殺してきた。首を裂き、息の根を確実に止める。

 死ぬ瞬間の人の顔は、しばらく忘れられない。僕を見ながら光を失っていく眼を、忘れたくても忘れられない。

 誰かの表情を、記憶に留めておきたいと思うなんて。

「…七依?」

「っ!」

 隆文さんに手を握られて、僕は我に返った。今、何を考えていたんだっけ。

「大丈夫か?こんなに体を冷やして…おいで」

 僕の手を引いて、隆文さんが門をくぐる。道場の前を通り過ぎ、庭の奥にある屋敷に向かって歩き出した。

 きっと、僕の手を握る隆文さんの手は温かいのだろう。けれど、冷えて感覚が鈍っている僕の手では、その体温を感じられなかった。

「…お邪魔します」

 足を踏み入れた屋敷は、とても大きかったけれど生活感のない建物だった。

 広いのに、人の気配が全く無い。

「こっちへおいで」

 玄関から一番近い部屋の襖に手をかけて、隆文さんがこちらへ振り向く。ぽかんと口を開けて廊下を眺めていた僕は、急いで彼の後を追った。

 八畳ほどの畳に、文机ふみづくえ衣桁いこう火鉢ひばちが置かれただけの簡素な部屋。隆文さんは火鉢を炊いて僕を手招く。

「こっちで温まるといい」

「ありがとうございます…」

 僕は火鉢のそばに正座した。炭の焼ける匂いと、隆文さんの香り。自然と口元が緩んでしまう。

 幸せな時間、ずっと続けばいいと思う瞬間ほど、瞬く間に過ぎていく。

 でも、いつか終わるならせめて今だけは、彼を誰より近くで見つめることが許されるだろうか。

「この家に住んでるのは、お兄さんだけなんですか?」

「そうだよ」

 隆文さんは僕に背を向け、衣桁の前で剣道着を脱ぐ。細い筋肉が綺麗についた上半身には、いくつか刀傷の痕があった。

(お、男の人の裸!!)

 見てはいけないと思いつつも、僕は目を離せなくなっていた。

「…ん?」

 凝視する僕に気づいて、隆文さんが振り向く。

「傷だらけで見苦しいだろう」

 少しだけ、自嘲したような微笑み。いつもの穏やかな眼差しが奥に隠れてしまったような、鋭い眼だった。

「そんなっ…そんなこと、ないです」

 僕は首を振って目を逸らす。痛々しく残った刀傷に、後ろめたさを感じながら。

 僕は、斬られたことがない。花室さんに隠密行動を仕込まれ、相手の背後から首を搔き切ることだけを得意としてきた。

 いくさのように、正面から剣を交えたことはない。斬られる痛みを、僕は知らない。

「…昔、会津あいづ藩主に仕えていたんだ。戦で蝦夷えぞまで来たが、そこで仲間を全て失った」

 隆文さんの声と一緒に、着物を着替える音が聞こえてくる。僕は俯いて、火鉢からじわりと伝わってくる暖かさに手のひらを向けていた。

「面倒だからきょうへは帰らず、ここで道場を開いたんだ。今の生活は気に入っているよ」

 振り返った隆文さんの表情は、いつも通りだった。そして気づく、穏やかな眼は奥に隠れたんじゃない。あの鋭さを、ずっと奥に隠していたんだ。

 今はもう、気配を感じない。

「…痛いんですか、斬られるのは」

 僕はほとんど無意識に、そんなことを口走っていた。今まで殺してきた人々の痛みなど、測れるはずもないけれど。

「もう、慣れてしまったよ。それに、傷跡になってしまえば痛みはない」

 着物の下に傷跡を隠して、隆文さんは微笑んだ。

 僕は、なんてことを聞いたんだろう。痛いに決まっているのに。本当は、その先を知りたかっただけ。どんな風に痛いのだろうと思っただけだ。そんなもの、言葉にできるわけがないのに。

「───さぁ、出かけようか」

 隆文さんは火鉢の炭に灰を被せ、すっと立ち上がる。

「どこに行くんですか?」

 つられて僕も立ち上がり、首を傾げた。

「大通りへ行って、どこかでお茶でも飲もう」

 開け放たれた襖の外は、真っ白な雪景色だった。このまま、冬の間は積もり続けるのだろう。

 何故だか、その白がとても恐ろしく見えた。

「……」

 嫌な予感がする、でもその正体が分からない。気のせいだろうか、さっき聞いた話のせいだろうか。

「…七依?どうした」

「っ、なんでもないです」

 隆文さんが微笑んで、僕の頭をくしゃくしゃと撫でる。頭の中は、もやもやしたものでいっぱいだった。

 屋敷を出て、隆文さんが番傘を差す。

「ひとつしかないんだ」

 同じ傘の下、歩調を合わせて白く凍りついた地面を歩いた。僕はまだ、顔を上げられない。

「!!」

 その時、門の向こうから殺気を感じた。人の姿はない、しかし確実に何かが待ち構えている。

「お兄さん!」

 門を出た瞬間、僕は隆文さんを強く押した。

「っ!?」

 倒れこむ僕と隆文さんの頭上を、銀の刃が横切る。刀が空を斬る音が間近に聞こえた。

「やっと見つけたぞ!滝島たきしまぁ!!!」

 ぼろぼろの茶色い袴を着た男が、怒声とともに刀を振りかぶる。その狙いは隆文さんだった。

「お兄さん下がって!」

 早口に言って、僕は着物の袖から苦無くないを取り出す。振り下ろされる一撃を受け止めようと構えると、後ろから肩を引っ張られた。

「下がるのは君だ、死にたいのか!」

 丸腰の隆文さんが、僕を庇うように前に出る。

「っ…」

 僕は彼の肩越しに狙いを定め、苦無を投げた。

 刹那、鮮血が舞い散る。

 男が振り下ろした刀は、隆文さんの右肩を浅く斬り裂いた。同時に、僕の投げた苦無が男の側頭部を掠る。

「うっ、ああああああぁぁ!!!」

 頭から血を吹き出した男が、刀を取り落として後ずさる。狙いは目玉だったが、少しずれてしまった。

 僕はさらに数本、苦無を取り出して構える。それを見た男は、刀を拾い上げると踵を返して去っていった。

「……」

 男は角を曲がってすぐに姿を消す。僕は苦無をしまい、隆文さんに向き直った。

「怪我はないか、七依」

「はい…」

 隆文さんの右手から、血が滴っている。切り裂かれた黒い羽織、藤色の着物が赤く染まっていた。

「良かった」

 彼は髪を結んでいた紐を解いて、自分の二の腕に巻きつける。左手と歯を使って強く結び、手早く止血を済ませた。

『───もう、慣れてしまったよ』

 少しも顔色を変えない隆文さんに、さっきの言葉が脳裏をよぎる。

(…傷つくことに、慣れているなんて)

 傷つけたことしかない僕には、計り知れない痛みだろう。それなのにこの人は、強がる素振りすら見せない。

「怖い思いをさせてしまったね。巻き込んですまない」

 隆文さんが、足元の番傘を拾い上げた。解かれた茶色い髪が、するりと垂れる。

「君のおかげで助かった、ありがとう」

 そう言って、彼は左手の指で僕の頬を撫でた。その指先に乗せられた雫で、僕は自分が泣いていたことに気づく。

「ごめん、なさい…」

「君が謝ることは何もない。危ないから、もうここへ来てはいけないよ」

 戦があった頃は、殺して、殺されることは当たり前だった。その頃に比べれば少ないけれど、僕は今も殺しをしている。

 でも、気づかないうちに侵されてしまっていた。この街の平穏に、彼の優しさに。

(ユキちゃんも、こんな気持ちだったのかな)

 今までの生き方を、時の流れに否定される。過ぎていく日々に置いていかれているような、そんな焦りをはらんで、愛情に手を伸ばした。

(届かなかったら、どうすればいいの?…ユキちゃん)

 揺れる思いは、悲しみに振れたまま止まってしまった。

 隆文さんは何も聞かない、何も言わない。きっと、もう二度と僕に会わないつもりだ。

 叶わないことなど、最初から分かっていた。

 希望がどこにもない恋なんて、しなければ良かったんだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ