第十一話 シネラリアの悲哀路 (上)
Side...nanae
幸福と、悲しみの隙間。
ゆらゆら揺れて、いつしか離れて。
僕の世界には、叶わない恋しかないと思っていた。
だから僕は、恋などしない。
「───……」
ひらひらと雪が舞い散る、函館の冬。
綺麗に見える雪も、地面に落ちれば溶けて吸い込まれていく。
僕は鼻歌を歌いながら、馴染みの茶屋の長椅子に腰掛けていた。
「なんだ?その歌」
「?」
聞き慣れた声に振り向くと、心くんが山盛りのみたらし団子を持って僕の後ろに立っていた。
「こないだ遊郭に行ったんだ。その時、綺麗な女の人が琵琶を弾いてた」
「呑気にそれを聞いてきたわけだ」
「いいじゃん、依頼はちゃんと終わらせてたし」
心くんは、僕より年上の仕事仲間だ。昼は茶屋で働き、夜は殺し屋として暗殺の依頼を受けている。仲間っていうのは、殺し屋の方。前まで三人いたんだけど、今は二人。
「それより、みたらしー」
「はいよ」
「いただきます!」
昼間にすることがない僕は、いつもこの茶屋で時間を潰し、時々森で剣の稽古をする。
楽だから男装をしているが、僕は一応、列記とした女性なのだ。仕事のときくらいしか、女の格好はしないけれど。
「てかおまえ、遊郭でやったのか?迷惑すぎるだろ…」
僕の隣に座って、心くんがみたらし団子を頬張る。
「あ、ちょっと!僕の食べないでよ!」
「いいだろこんなにあるんだから」
ちなみに、僕が遊郭に行った理由は言わずもがな、暗殺の依頼を受けたからだ。
標的を一番確実に殺せる時期を見計らって、僕たちは仕事をこなす。
遊郭なんて久しぶりに行ったけれど、あの場所の明かりはあまり好きになれない。
夜は、暗ければ暗いほど良いのに。
「ほら、お客さん来たよ」
「お、ほんとだ。いらっしゃいませー!」
心くんは爽やかな笑顔を浮かべて立ち上がる。この店に女のお客さんが多いのは、心くんがいるからだ。
かっこよくて、優しくて、器が広くて、仕事も完璧にこなしてしまう。心くんはずるい人だ。
「…ふぅ」
僕は団子を食べきって、席を立った。女の人に囲まれる心くんを横目に、お皿を厨房に返そうと歩き出す。
「───おっと」
するとその瞬間、誰かにぶつかった。
「あ、すみません」
背の高い男の人の胸元に、顔面からぶつかってしまった。ふわりと良い香りが鼻につく。
「いえ、こちらこそ」
顔を上げると、穏やかそうな顔立ちの男の人が、僕を見下ろしていた。
身長は、心くんより少し高い程度。真っ直ぐに伸びた茶色い髪を、右耳の下でひとつくくりにしている。特別かっこいいわけでもないのに、何故か僕はその人に目を奪われた。
「…宗方に会いに来たんだが、今は忙しそうだ」
彼は心くんの方を見て、日を改めようと言って店を出ていく。
「お兄さん!」
僕は、その背中を呼び止めた。
「?」
振り返ったお兄さんが首をかしげる。
「あの、心くんのお友達なんですか?」
何か話題がないかと、僕は急いで考えて口に出した。
「そうだが、どうやら君も宗方と親しいようだね」
お兄さんが優しく微笑む。僕は必死に次の言葉を探した。心くんの話をしようかと思ったけれど、いまいち何も浮かばない。
「あ、はい、あの…お団子が美味しいお茶屋さんがあるんです!」
「それは、この店じゃなくて?」
「はい!良かったら、一緒に行きませんか?」
「……」
お兄さんが目をぱちくりさせる。そして、くつくつと肩を揺らして笑った。
「ふふっ、いいよ。行こうか」
「な、んで…笑ってるんですか」
「なんだか君が面白くて…くくっ」
笑われると、なんだか無性に恥ずかしくなった。自分でも、何故こんなことを口走ったのかよく分からない。
ただ、この人にとても惹かれた。
「君、名前は?」
「多賀 七依です」
「七依か、綺麗な響きだ。私は八辻 隆文」
お兄さんの、薄い唇が僕の名前を刻む。ただそれだけで、胸がきゅっと締め付けられた。
(…隆文さん)
僕も名前で呼んでみたかったけれど、緊張して言えなかった。
これが、一目惚れというものだろうか。
自分の立場も、思いも、何もかも忘れて彼を好きになった。
緩やかに音を立てて、僕が崩れだしていく。
彼は静かに、僕に衝撃を与えた。




