男の証明、ボンド眼鏡の視界
後頭部の五円玉型ハゲから生える謎の三つ編みアンテナを目撃してから、また数日。
観光地のお土産屋さん兼食堂「おいしいよ」の厨房の空気は、今朝、小丸さんが出勤してきた瞬間から絶妙なざわめきに包まれていた。
理由は言うまでもない。小丸さんの顔面が、朝一番からただ事ではない状態になっていたからだ。
「トントントントン豚トントン、ナメ」
朝の仕込みの段階から、厨房に響くキャベツの千切り音。私は、自分の作業をしながらも、目の前にいる小丸さんの顔からどうしても目が離せなかった。
なんと、小丸さんの左目には、真っ白な眼帯がガッチリと貼られていたのだ。
(えっ、眼帯・・・・・・!?どうしたんだろ、ものもらいかな?それとも何かで目を突っついちゃったのかな・・・・)
いつもの奇行とは違い、今回はガチの病気や怪我かもしれない。
ふと横を見ると、ラーメンのスープを仕込み始めた鈴木さんも、おたまを持ったまま小丸さんの顔をじっと見つめていた。いつもは呆れている鈴木さんの顔にも、心なしか「おいおい大丈夫かよ」という本気の心配の色が浮かんでいる。
洗い場にいる佐藤さんも、皿を拭く手を止めて、遠くから「小丸さん、目、痛むのかしら・・・・・・」と心配そうに眉をひそめて首を傾げていた。
厨房の全員が、小丸さんの体の身を案じて遠巻きに見守る。そんな張り詰めた優しさの空気が流れた、まさにその瞬間だった。
小丸さんがキャベツを刻みながら、こちらに顔を向けた。
その瞬間、私と鈴木さんと佐藤さんは、同時に激しくズッコケそうになった。
なんと、白くて清潔なはずの眼帯のド真ん中には、太い黒のマジックペンで、堂々とこう直筆されていたのだ。
『男』
あまりの意味不明さに、私の腹筋が朝から崩壊の危機を迎えた。
大真面目に病気の心配をしていた鈴木さんは、眼帯の『男』の文字を視認した瞬間、ガクッと肩の力を抜いた。そして、さっきまでの心配顔はどこへやら、ニヤニヤと肩を揺らして「またあいつは・・・・・・」と楽しそうに呆れ始めた。
佐藤さんも一瞬ポカンとした後、すぐに「もう、人騒がせなハゲんだから.....」とクスリと笑い、呆れた顔で首を横に振っている。
(いや、何アピールだよ!!!!心配して損したわ
クソジジイ!!!!!)
私の中の「理性の壁」が、全力の裏切りに遭って脳内で大絶叫した。誰も聞いていないのに自分から「男の中の男」をアピールし始めたクソジジイに対し、鈴木さんは小さく吹き出し、佐藤さんは「もう、しょうがないわねえ」という顔で楽しそうに皿洗いに戻っていった。
小丸さんの左耳には補聴器らしきものが虚しくハマっているが、周囲が静かに見守る中、ズレまくったボンド眼鏡の位置を人差し指でクイッと直した、まさにその瞬間だった。
家で適当に接着してきたボンドの強度が限界を迎えたのか、パキッという虚しい音とともに、左側のフレームが再び完全にへし折れてしまった。
だが、クソジジイはまったく動じない。
おもむろにエプロンのポケットから、見覚えのある木工用ボンドを取り出すと、その折れた接合部に、今度はその場でこれでもかと分厚く塗りたくり始めたのだ。
しかもそのボンドのボトルには、油性マジックでデカデカとこう書かれていた。
『おいしいよ』
(お店の事務机から勝手に拝借してきたやつじゃねえかァアア!!!厨房に持ち込んで修理するな!!!瞬間接着剤を買えよ!!いや、っていうか新しい眼鏡を買えよ!!!!!)
折れたフレームの接合部には、はみ出たボンドが、白く半透明にブニュッと盛り上がったままカピカピに凝固している。
おまけに、お店のボンドでさらに強引に固められたせいで、眼鏡の角度は先ほどより完全に狂っていた。
右のレンズだけが不自然に斜め上を向き、左のレンズは眼帯に書かれた『男』の文字を無駄にドアップで拡大している。
完全に遠近感がバグっているであろうその歪んだ視界のまま、クソジジイは狂った角度のレンズ越しに、ボソッと呟いた。
「・・・・・・ナメ。視界が・・・・狭い、ナメ」
「「「当たり前だろ!!!眼帯外して眼鏡買い換えろ!!!」」」
私、鈴木さん、佐藤さんの、息の合ったトリプルツッコミが、狭い厨房に大音量で響き渡った。
「かっこいい、ナメ・・・・・・・」自分の『男』の文字と、お店のボンドで補強された眼鏡にうっとりと酔いしれたクソジジイは、また何事もなかったかのように内股を揺らし、「トントントントン豚トントン、ナメ」と、平然とキャベツを刻み始めるのだった。
みんなに最初は心配され、最後は遠くから呆れられながらも、どこ吹く風で作業を続けるクソジジイ。
そのブレないマヌケ姿を見つめながら、私だけが、今夜の悪夢にボンド眼鏡の豚が出ることを確信して泣いていた。




