ー・五倍速の夕食サバイバル
17時ジャスト。
「夕食サバイバル」のゴングが鳴り響いた瞬間、客室へと続く廊下は、一・五倍速で駆動する先輩たちの残像で埋め尽くされた。
114室同時の夕食提供。それは一分一秒の遅れも許されない時間との戦いだ。しかし、この戦場の真に恐るべきところは、単にスピードが速いだけではなかった。
事前に完璧にリサーチされた、お客様一人ひとりの「個別事情」への対応一ーそれすらも、このー・五倍速の猛スピードのなかに完璧に組み込まれていたのだ。
「〇〇号室、スタンバイ」
インカムから流れる鋭い合図とともに、先輩スタッフが特定の客室の襖を静かに開ける。
そのお部屋のお客様は、宗教上の理由、あるいは深刻なアレルギーで、通常の会席料理のメイン食材が食べられない方々だった。
普通の旅館であれば、料理を運ぶ手が一瞬強張り、現場に緊張感が走る場面だ。
しかし、先輩の笑顔には一ミリの動揺もない。ー・五倍速の流れるような身のこなしで、まずは周囲の同行者の方々へ美しく料理を配膳していく。
そして、その問題のお客様の前に膝をついた、その瞬間だった。
先輩は、それまでの明るいおもてなしの声をスッと潜めた。
周囲の会話の邪魔にならず、他のお客様の耳には決して届かない、少し低いトーンの心地よい低音。
「特別扱い」を周囲に誇示しない、そのお客様のためだけの、特別な囁きだった。
「お客様は、〇〇でいらっしゃいますね。・・・・・・・こちらといたしましては、別のこの品をご用意いたしました」
差し出されたのは、本来のメニューに勝るとも劣らない、美しく、そしてそのお客様の事情を完璧にクリアした特製の代替料理だった。
わざわざ大声で「特別メニューです」と言わない。
周囲に気を遣わせない。その徹底されたプロの配慮と、あまりに自然でスマートな神対応に、お客様の瞳が大きく見開かれる。
「・・・・・・!ああ、まさかここまで配慮していただけるなんて・・」
じわりと目頭を熱くし、深く感動するお客様。その光景は、このお部屋だけではなかった。
別の部屋では、高齢のお客様の好みに合わせて、一・五倍速で仕込まれた一口サイズのお肉が絶妙な柔らかさで提供され、また別の部屋では、海外のお客様に向けて、その国の文化に配慮した完璧な一品が、やはり「少し低いトーン」のスマートな説明とともに差し出されていた。
これほど複雑な個別対応が114室のあちこちに散りばめられているというのに、先輩たちのスピードは1ミリも落ちない。
それどころか、すべての部屋のお客様が、自分たちのためだけに用意された最高のおもてなしに、次々と静かな感動に包まれていく。ただ速いだけじゃない。この人たちはー・五倍速で走りながら、お客様の「心」にまで完璧に先回りしているのだ。
時計の針が19時30分を回る頃。
館内のあちこちの客室や宴会場から、「本当に美味しかった」「こんなに素晴らしい夕食は初めてだ」という、心からの大満足の声と幸せな笑い声が溢れ出していた。
114室、すべてのお客様が最高の笑顔で食事を終えたのだ。
すべての食器がマッハの速度で美しく下げられ、静まり返った厨房のなか。
やりきった表情の先輩たちに囲まれながら、一倍速の私は、その圧倒的なホスピタリティの余韻にただただ震えていた。




