戦場としての更衣室(フロント集 合・完全決定版)
薄暗い電灯がパチパチと音を立てる更衣室。
温泉旅行という甘い幻想の代わりに、スチールロッカーの前に用意されていたのは、旅館の制服だった。
男子更衣室でも、隣の女子更衣室でも、言葉は一切なかった。
これまで親の命をローテーションさせ、歯石取りを盾にし、プチトマトを人質に取ってまで全力で抵抗を続けてきた古参の先輩たちは、もはや一言も発する元気が残っていなかった。全員が魂の抜けた顔で、トタン色のスウェットをゆっくりと脱ぎ捨て、重い足取りで旅館の制服へと袖を通していく。
私たちが胸元に留めたのは、小さくて薄いプラスチックのバッジだった。その頼りない手応えが、私たちの自由が奪われた現実を冷酷に物語っている。
「さあみなさん、着替えが終わったら速やかにフロントへ集合してください」
廊下から響く店長の冷徹な業務命令に促され、私たちはそれぞれ更衣室のドアを開けた。
きらびやかなシャンデリアが輝くフロントロビー。
そこへ一歩足を踏み入れた瞬間、私と、女子更衣室から出てきた同期のものかさんは、同時にその場に凍りついた。
フロントのカウンターの真ん中に、大量のキャベツの箱と巨大なラジカセを抱えた小丸さんが、威風堂々と待ち構えていた。バスを降りてからただ「じっと座っていた」だけの男が、今やロビーのド真ん中で圧倒的なオーラを放っている。
何より私たちの目を釘付けにしたのは、その制服の胸元で怪しく光る「あるもの」だった。
そこには、私たちのペラペラなプラスチックバッジとは次元が違う、一回り大きなゴールドのバッジが眩い光を放っていた。そしてそこには、太い文字で明確にこう刻まれていたのだ。
『支配人小丸』
「し、支配人・・・・・・!?」
私とものかさんの絶叫が、高い天井のロビーに一斉にこだました。あまりの衝撃に、私たちの頭の中は一瞬で真っ白になる。
嘘でしょ。あの厨房で一五倍速の爆音ステップを踏みながらキャベツを粉砕していた小丸さんが、この巨大な旅館の最高権力者である「支配人」だったというのか。
ちなみに、普段の私たちが働いているお店での小丸さんは、ただのクソジジイである。
仕事を頼んでも的外れなことばかりするし、日本語は通じないし、シフトに入れば爆音でキャベツを刻み散らかして周囲に迷惑をかけるだけの、ただの煙たがられているクソジジイなのだ。だからこそ私も心のどこかで完全にナメていた。
しかし、この場所に限っては違った。ここは彼のホームグラウンド。ここでの彼は、私たちの給与も、シフトも、この職場における生殺与奪の権をすべて握っている、絶対権力者としての真の支配者だったのだ。お店でのあのクソジジイっぷりは、一体なんだったんだ。
隣を見ると、これまでどんな過酷な状況でもノートを手放さなかったものかさんが、ペンを握ったままガタガタと震え、完全に驚愕してアゴが外れそうになっていた。
「ちょっと・・・・・・やばいですこれ・・・・・・。ただの狂気的なクソジジイ担当キャラだと思ってた人が、物語の根幹を揺るがす絶対的なラスボスだったなんて•・・・・!叙述トリックのレベルが高すぎて私の脳内プロットが完全にバグを起こしています・・・・・・!」いつもは冷静に状況を分析していたものかさんすらも、想定外のどんでん返しにノートを持つ手が激しく震えている。
私たちが腰を抜かさんばかりにビビり散らかしている中、古参の先輩たちは誰も驚いていなかった。彼らはただ、そのゴールドのバッジを見つめながら、さらに深く深く首をうなだれて絶望に身を震わせているだけだった。
彼らは最初から知っていたのだ。お店を離れ、ひとたびこの場所へ足を踏み入れたら、あのクソジジイが牙を剥き、その「マルチタスクな支配」から誰一人として逃れられないということを。
支配人となった小丸さんが、口にくわえていたマジックペンを再び床へペッと吐き出した。そして、満面の笑みを浮かべたまま、制服姿の私たちをじろりと見つめた。




