第三章:密室のカウントダウン(乗車口の 一悶着編)
旅行当日の朝、駅前のロータリーにチャーターされたマイクロバスが停まっていた。
そこは温泉旅行の集合場所というより、完全に敗戦兵の招集所のようだった。古参の先輩たちは全員、これから処刑台に上るかのような悲壮な面持ちで、重い足取りで集まってきた。
だが、やはり大人しくバスに吸い込まれるような先輩たちではなかった。乗車口のタラップを前にして、最後の悪あがきによる一悶着が勃発したのだ。
まずは、今回「絶対に来ない(絶対にバックレる)」と全員から確実視されていた古参の先輩が、なぜかボロボロの状態でバスガイドさんに引きずられるようにして現れた。
「ガイドさん・・・・・・もう勘弁してください・・・・・・」
「いいえお客様、これもプロの仕事でございます」笑顔のバスガイドさんは、息一つ乱れていない。なんと彼女は、この先輩が深夜に夜逃げ同然で自宅を脱出するのを見越して、昨夜から先輩の自宅前でガチの張り込みを敢行していたというのだ。
「まさか朝の四時に、自宅の生垣から制服姿のガイドさんが飛び出してくるとは思わないじゃん・・・・・・!」
「お客様の『確実にバックレる」というオーラを事前リサーチで察知いたしておりました。我が社の職人魂にかけて、お客様一人たりとも置いていくわけにはまいりません。さあ、ご乗車を!」もはや優秀な捜査班である。戦意を完全に喪失した最重要マークの先輩が、トボトボとバスへ収容されていった。
その様子を見ていたベテランの先輩は、慌てて乗車口の手前でわざとらしく頭を抱えて叫んだ。実父の危篤ローテーションを見破られた先輩である。
「店長!本当に申し訳ありません!集合場所に来る途中で、家の鍵を閉め忘れたことに気づきました!
泥棒に入られたら困るので、一度帰らせてください!」
店長が困惑した表情を浮かべたその瞬間、バスガイドさんは寸分の狂いもないプロの笑顔のまま、流れるような手つきでクリップボードを掲げた。
「鍵の閉め忘れでございますね?大丈夫でございます!当社の『安心ご旅行サポート』により、お客様の地域の防犯パトロールへ即座に通報を入れ、現在重点巡回中でございます!はい、ツアーの遅延に繋がりますので、こちらへどうぞ!」
「民間企業が警察並みの包違網を敷くなアアア!」
プロの迷いのないエスコートにより、ベテランの先輩も流れるようにバスの中へと吸い込まれていった。
すると今度は、歯石取りの先輩がわざとらしく自分のポケットやカバンをガサゴソと漁りながら、裏返った声で悲鳴を上げた。
「あっ、あれ!?大変です!お財布を忘れました!
これじゃ現地で何も買えません!完全に家に置いてきました!すぐに取りに帰ります!」
カバンから手を離して今すぐ駅に引き返そうとする先輩。しかし、そのせこい嘘を見透かしたように、バスガイドさんは間髪入れずに首から下げた端末をシャキーンと構えた。
「はい、お財布をお忘れでございますね?大丈夫でございます!」
「えっ?」
「車両は最新のキャッシュレス決済および、ガイド個人による超低金利での立て替え融資に対応しております!只今より、お客様のスマートフォンへ審査用の電子契約書をお送りいたしますので、三分で即日融資可能でございます!旅の恥はかき捨て、どうぞ借金まみれで極楽の旅へお進みください!」「借金まみれで極楽に行けるか!っていうかカバンの中に財布あるから!嘘だから融資手続きやめてぇえ!」
職人魂の塊のようなガイドさんの容赦ない『融資攻め』に負け、先輩は泣く泣くカバンの奥から本物の財布を差し出し、魂の抜けた顔で通路の奥へと引きずり込まれていった。
極めつけはプチトマトの先輩である。先輩はバスの乗車口のドア枠に、文字通り爪を立ててしがみつき、必死の抵抗を試みていた。
「嫌です!私は乗車拒否します!泊まりの旅行なんて行ったら、ベランダのガーデニングにお水やりができないじゃないですか!私のプチトマトが死んでもいいんですか!」
もはやただの駄々っ子である。しかし、プロのバスガイドさんの職人魂は、プチトマトごときに屈しはしなかった。彼女は胸のポケットから、一本の不気味なボトルを取り出した。
「園芸愛好家のお客様、ご安心くださいませ!弊社はお客様からお預かりした顧客情報を元に、あらゆるトラブルを想定しております!こちら、一度撒けば一週間水分を保持する特殊保水ジェルでございます!先ほど先輩の自宅を張り込み突破した際、ついでにお客様のご自宅ベランダへも猛ダッシュし、すでにすべての土壌への散布を完了させております!」
「えっ!?事前リサーチのストーカーっぷりが怖すぎるし、なんで勝手に入り込んでるのオオ!?」
プチトマトの先輩が戦慄した瞬間、ガイドさんは一切笑顔を崩さないまま、恐ろしいほどの腕力で先輩の手をドア枠から引き剥がした。
「お客様、プチトマトの命は、この私が責任を持ってお預かりいたしました。さあ、一秒でも早いご乗車を!」
「ひ、人のベランダに勝手に入らないでええ!」
泣き叫ぶプチトマトの先輩は、ガイドさんの華麗な誘導によって、文字通り強制的に座席へと格納されていった。
そんな地獄の乗車手続きを特等席で眺めながら、同期のものかさんは「プロの執念が織りなす、完璧な強制収容・・・・・・!これぞ日本の職人魂!」と大興奮でノートにペンを走らせている。
私はといえば、「最近のバスガイドさんって、深夜の張り込みから顧客のトマトの世話までしちゃうなんて、日本のサービス業って本当に凄いなぁ」と、まだ呑気に感心していた。これから始まる本当の恐怖を、私はまだ何も知らなかったのだ。
全員を収容し、逃げ場のない完全な密室となったマイクロバスは、非情にも旅館へと向かって発進した。




