『マルチタスク・バイオハザード 〜かね こまる旅館の長い一日~』
第一章:死刑宣告は今日
我が厨房の掲示板に、一枚のシフト表が張り出されたのは今日のことだった。
そこには、職場の最高権力者である店長の非情な直筆で、こうデカデカと書かれていた。
『〇月〇日~〇日:社員旅行(全員強制連行・店は休み)』
「全員・・・・・・強制連行・・・・・・・?」
誰かが絶望に満ちた声を漏らした。居残り組という名の「勝ち組」すら許されない、逃げ場ゼロの地獄の宣告。その瞬間から、厨房は勤務が長い古参の人間から順番に、言葉を失って静まり返り、独特の重い空気に包まれた。
「社員旅行ですか?一度行ってみたいと思ってたんです。・・・どうしたんですか?みなさん暗い顔をして?」
社歴わずか数ヶ月の新人の私は、目の前で一瞬にして凍りついた職場の異常な空気を、肌で痛いほどに感じ取っていた。
すると私の隣で、同じく新人で小説家志望の同期の女の子ーーものかさんが、メガネの奥の目を爛々と輝かせて身を乗り出してきた。
「ちょっとこれ、やばくないですか!?『全員強制連行』ってワードセンス、最高の小説のネタになりますよ!」
何も教えてもらえていない私たちは、この時まだ、ただの無知な羊たちだった。
だが、私の問いかけに、社歴の長い古参たちは誰も答えない。ただただ本気でビビり散らし、拳を握りしめて静まり返っていた。
古参たちは知っているのだ。
全員が行くということは、あの小丸さんという存在がもたらす『真の恐怖』から、誰一人として逃れられないということを。
一ヶ月後、あの小丸さんと同じ空間に二十四時間幽閉される。その事実を前に、彼らの身体は、去年までの記憶で細胞レベルで拒絶反応を起こしていた。
「旅行、ナメ・・・・・。タダ飯、ナメ・・・・・・」
静まり返る厨房の奥で、すべての元区である小丸さんだけが、辿々しい日本語で大はしゃぎしていた。
嬉しさのあまり、キャベツを切る包丁の音が「トントントントン豚トントン、ナメ!トントントントン豚トントン、ナメ!」といつものー・五倍速の爆音で響き渡る。
内股ステップですいすいと動きながら、圧倒的な速度でキャベツを粉砕していく小丸さんの前で、古参たちはただその異常な爆音ステップに圧倒され、ビビり散らし、言葉を失って静まり返っている。
「温泉、みんなで,行くナメ・・・・・・・・・・・・・豚トントン、
ナメ」
ものかさんは「あのステップ、やばすぎ!キャラ立ちすぎてて筆が止まらない!」と大興奮でノートにペンを走らせ、私はその一・五倍速の爆音ステップをただ呆然と眺めていた。
いつも夢に出てくるから、もうやめて。悪夢だわ!
掲示板に今日張り出されたばかりのシフト表は、これから始まるあの長すぎる一日の始まりを冷酷に告げるように、エアコンの生温かい風に吹かれて不気味に揺れていた。




