避難訓練と消化器の行方
観光地にある私たちの大きなお店全体で、年に一度の本格的な避難訓練が始まった。
客席からもけたたましく響き渡る非常ベルの中、日奈久蓮さんと私は、パニックになる観光客たちを店外の広場へと必死に誘導し始める。
しかし、肝心の小丸さんだけは状況がよく分かっていないようで、なぜか厨房の隅にあった消火器をカ任せにひっ掴むと、避難ルートとは全く違う方向へ内股で迷走し始めた。
小丸さんが内股でカサカサと迷い込んだのは、お店のすぐ隣にある観光客向けの広い公園だった。
そこではなんと、誰かのタバコの不始末か、枯れ葉の山から本物のボヤがモクモクと黒い煙を上げて燃え広がっている。
驚いた小丸さんだったが、消火器の使い方が全く分からないため、ピンを抜くどころか消火器の本体そのものを火元に向かってドゴォン!と力任せに投げつけた。
ひしゃげた消火器の本体から「ブシャアア!」と凄まじい勢いで消火剤が噴き出し、枯れ葉の火は一瞬で消し止められた。
その直前、公園から上がる黒い煙に気づいてこちらへ走ってきていた日奈久さんや消防署員たちは、その衝撃的な光景を目の当たりにする。
「まさか、いち早く異変に気づいて本物の火事を防いでくれるとは!」と、白い煙の中に立つ小丸さんは全員から拍手喝采でめちめられた。
「匂い、ナメ」
褒められたことが嬉しすぎて頭に血が上った小丸さんは、静かにそれだけを言い放った。
その一言に、日奈久さんや消防署員たちは「なんと素晴らしい野生の勘だ!」と深く感銘を受け、拍手喝采で彼を称え続けた。
そして翌日のことである。
厨房の隅から再び消火器を力任せにひっ掴み、お店を飛び出していく小丸さんの姿があった。
昨日の今日である。「もしかして、あの驚異的な鼻がまた火事を嗅ぎつけたのか!?」と、日奈久さんと私は顔面蒼白になり、大慌てでその後を追いかけた。
小丸さんが内股で猛ダッシュの末に突っ込んでいったのは、火事の現場ではなく「高価買取」と書かれたリサイクルショップだった。
カウンターに消火器をドンと差し出す小丸さんに対し、若い店員は困惑し、「すみません、消火器の買取はやってないんですよ」と冷たく断った。
しかし小丸さんは諦めるどころか、店内にいた他のお客さんたちへ次々と近づき、「これ、いい消火器。買うナメ?」と強引に消火器を売りつけようと声をかけ始めた。
店内のお客さんたちが次々と迷惑そうに逃げ出していく大惨事に、若い店員は頭を抱えて顔面蒼白になった。
しかし、ちょうど自分のお店に消火器が置いてなくて困っていたこともあり、「分かった、ウチが買い取るから早くそれを引っ込めてくれ!」と、ついに折れて小銭を差し出した。
小丸さんはまんまと消火器を小銭に交換することに成功し、手に入った硬貨を握りしめてホクホク顔で大喜びした。
そこに、息を切らした日奈久さんと私がようやくりサイクルショップへと飛び込んできた。
火事ではなく、ただの備品泥棒だと察した日奈久さんは、大喜びしている小丸さんの後ろに回り込むと、まるでUFOキャッチャーのアームのように彼の首根っこをガシッと掴み上げた。
「はい、さよなら!」と暴れる小丸さんをリサイクルショップから強引に引きずり出し、私たちはとにかく自分たちの職場へと彼を連行した。
お店の厨房へと連れ戻された小丸さんは、まだポケットの小銭を愛おしそうに握りしめていたが、それを見た店長が冷たく言い放った。
「小丸さん、勝手に売ったその消火器の代金、次の給料からキッチリ天引きだからな!」
せっかく手に入れた小銭以上の金額を失うことが確定し、その日の小丸さんは流石にがっくりと肩を落としていた。
しかし、さらにその翌日の朝のことである。
厨房に行くと、小丸さんは自分で赤く折ったペラペラの「折り紙の消火器」を小脇に抱えて、内股で立っていた。
彼がその自家製消火器を傾けると、中から細かく切られた五色の折り紙がパラパラと雪のように舞い散り、小丸さんはそれを頭から浴びながら、一人でスポットライトを浴びたスターのように悦に浸っていた。
日奈久さんと私は、前日の天引きへの反省が1ミリもないそのマヌケな姿に、ただただ開いた口が塞がらなかった。




