ポニーテールといかりまんきんたん
前編
「これからは、原宿の時代じゃないナメ。五円ハゲ
ポニーテールの時代ナメ」
お昼の仕込み中、小丸さんは厨房の真ん中でトチ狂ったことを言い出した。
残りライフ3割の汚い白髪頭。その後頭部にある五円ハゲの「穴」から生えた、例の細い黒髪の一房。
小丸さんはそれを無理やり頭頂部へ引っ張り上げ、お店の輪ゴムでキツく縛り上げていた。
「どうナメ?トレンディナメ?」
毛根が限界まで引っ張られているせいで、おでこの日本列島アザが北へ向かってグニャリと歪んでいる。片方のフレームを木工用ボンドで固めた眼鏡も、角度が斜め四十五度になっていた。
小丸さんは内股のステップを刻みながら、おもむろにキャベツを刻み始める。
「トントントントン豚トントン!ナメ!トントント
ントン豚トントン!ナメ!」
激しく首を振るたびに、後頭部の貧相なポニーテールが、まるで生き物のようにビチビチと暴れ回った。そして、近くで皿洗いをしていた私の顔面に、その毛先がペチペチと鋭くヒットする。痛いし、興奮したジジイの体温で熱された湿布のニオイがダイレクトに漂ってきて、信じられないくらい鬱陶しい。
「あの、小丸さん、流石にその・・・・・・毛が料理に入ったらマズいので、せめて動かないで刻んでもらえませんか・・・・・・?」
私が入社数か月目の丁寧なトーンで必死に懇願しても、小丸さんは「男」と書かれた眼帯の奥の右目をギラつかせ、奥歯を「カチカチカチ!」と高速で鳴らすだけだ。
「これは私のソウルナメ!娘に新しいヘアゴムせびるまでは絶対に切らないナメ!」
店長すら怯むその狂気に、厨房の全員が絶望した、その時だった。
「さっきから、ガタガタうるさいんだよクソジジイ
が」
厨房の奥から、地鳴りのような低い声が響いた。
パートのドンであり、この店の裏の支配者、呑さんだ。彼女の怒りはすでに沸点を超え、文字通り『いかりまんきんたん』の状態だった。
呑さんは一切の躊躇なく、食材のパッケージを開けるための、巨大なキッチンバサミを右手に握りしめていた。
「あ、呑さん・・・・・・いかりまんきんたんはマズいナメ」
さしもの小丸さんも内股をガクガクと震わせ、ハンカチを握りしめて後退りする。
「ナメナメうるさいんだよ! 歯をカチカチ鳴らすんじゃないよ!」
呑さんの動きは電光石火だった。内股で逃げ遅れた小丸さんの懐へ一歩で踏み込むと、その体でジジイを完全にロック。そのまま、暴れるポニーテールの根元にハサミの刃を滑り込ませた。
「これ、切るなナメ!私の、私の二時十五分のポニテ
ーーナメ!」
「黙れクソジジイ!!」ーーチョキ。
小気味よい金属音と共に、小丸さんが命の次に大切にしていた一房の黒髪が、まな板の上にハラリと落ちた。
「ア、アアアアアアッツツナメっ!!!」
静まり返る厨房に、小丸さんの絶叫が響き渡る。
ポニーテールを失った五円ハゲの穴は、遮るものがなくなって、いつになく荒涼とした輝きを放っていた。
小丸さんはその場に崩れ落ち、新聞紙を取り出す気力すらなく、直筆の『俺』タトゥーが刻まれた首を震わせながら、ワンワンと泣き始めた。
「私のポニテが・・・・・・ナメ.・・・・・ナメエエエ・・・・・!!」
「ガタガタわめくんじゃない」
呑さんはハサミを腰に構え、フンと鼻で笑った。そして、次に使う包丁を丁寧に研ぎ澄ましながら、冷えた鋼の刃の向こうで小さく呟いた。
「手が止まってるよ!ほら、お昼の開店前までに、全部の仕込みを終わらせるんだよ!」
「はい!」
私は慌てて、再び皿洗いの作業に戻った。
水道から流れ出る冷たい水が、私の手に容赦なくぶつかる。その一秒一秒の冷たさを感じながら、私はまな板の上の黒髪と、崩れ落ちた小丸さんの後頭部を交互に見た。
これで、あの鬱陶しいポニーテールが飛び散る危険は、これによって完全に消滅した。
呑さんの圧倒的な武力によって、厨房には(小丸さんの泣き声を除けば)いつもの平和な空気が戻ってきたのだ。
これ以上ない、完璧なハッピーエンドだった。
小丸さんはボンド眼鏡を涙で濡らし、子供のように泣きじゃくりながら、それでも大人しくキャベツを刻み始める。
「ヒック・トントントン・・・・・ナメ・・・・・・エグッ・・・・•
トントントンナメ」
涙を流しながらも実直にキャベツを刻み続ける小丸さんの背中は、不思議とさっきまでよりも「今この瞬間」を力強く生きているように見えた。
中編
だが、そんな小丸さんが、まさか日本中を巻き込む大騒動を起こすなんて、この時の俺は夢にも思っていなかった。
ある日のランチタイム、店内に赤ちゃんの火がついたような泣き声が響き渡った。母親が必死にあやすが、一向に泣き止まない。他のお客さんもピリピリし始めた、その時だった。
「うるさいナメ・・・・・・」
小丸さんが内股で厨房からのっそりと出てきた。
舌打ちしながら床に落ちた伝票を拾うと、赤ちゃんの目の前でしゃがみ込む。その瞬間、小丸さんの後頭部の『五円ハゲ三つ編み』が、赤ちゃんの目の前にぶら下がった。(先日切られた髪がどうしてあるのかは次の話で語られます)
赤ちゃんが、本能的にその毛束をガシッと掴む。
「痛いナメ!」
小丸さんが顔をしかめたが、奇跡はその瞬間に起きた。さっきまでの大泣きが嘘のように、赤ちゃんがピタッと泣き止み、キャッキャと笑い出したのだ。
たまたま居合わせた客がその様子を動画に撮っており、SNSに投稿した。
【悲報?朗報?クソジジイのハゲ頭の三つ編みを掴むと、どんな赤ちゃんも一瞬で泣き止む件】
動画はまたたく間に数百万再生の超大バズを記録した。テレビのワイドショーでは「あの毛束の太さと硬さが、母親のへその緒の感触に酷似している」などと専門家が大真面目に分析し、ついに大手ベビー用品メーカーが動いた。小丸さんの頭皮をリアルに型取りした赤ちゃん用おもちゃ『かねこまるの髪』が商品化され、爆発的なヒットを記録したのだ。
巨額のロイヤリティを手にした小丸さんだったが、その金をすべて娘さんは秘密の口座に勝手に振り込んでスッカラカンにしてしまった。にもかかわらず、その日の夜にはまた娘さんに電話をかけ、「金ないナメ。あたらし、金くれナメ」とせびり始める始末だった。
「また金、ナイナメ。つぎ、どうするナメ・・・・・・」
浅草の観光地をトボトボと歩いていた小丸さんは、ふと、鏡に映る自分の姿を見た。
小丸さんはニヤリと笑うと、後頭部の三つ編みをぐいーっと頭頂部まで引っ張ってきた。地毛だから頭皮が引っ張られておでこがグニャリと歪むが、構わず残り少ない白髪と合わせ、木工用ボンドでガチガチに固定した。
完璧な『リアル丁髷』の完成だった。
rOh, Samurai! Is it a wig?
通りすがりの外国人観光客が面白がってその丁髷を引っ張った。
「痛いナメ!!ハナスナメ!!」小丸さんが激怒する。引っ張っても絶対に外れない、頭皮と完全一体化した『ガチの丁髷』だと知った外国人は驚愕した。
"Oh my god... He is a REAL LAST SAMURAI...!!!!
これが二度目の大バズりの始まりだった。SNSで「日本の観光地に、頭皮から直接丁髷が生えているサイコなリアル侍がいる」と世界中に拡散。外国人観光客が小丸さんを取り囲み、札束のようなチップが飛び交う。小丸さんは刃の代わりに包丁を構え、「チップ、よこすナメ!トントントントン豚トントンナメ!」と叫び、世界的な大スターへと上り詰めた。
狂熱の渦の中心で、小丸さんは高笑いをしていた。
だが、神様はそこまで優しくなかった。
ビューニーツ。
その時、観光地に一陣の冷たい突風が吹き抜けた。
激しい風が小丸さんの頭を直撃する。次の瞬間、木工用ボンドの接着限界を超えて頭頂部に固定されていた『あの三つ編み』が、スローモーションのようにペロンと剥がれた。
パチン。
気持ちのいい音を立てて、三つ編みは元の後頭部、五円ハゲの穴へと帰還した。
「......あ」
外国人たちの動きが、ピタッと止まった。
さっきまで目の前にいた畏怖すべきラストサムライは消え去り、そこには、内股の、ただの小汚いジジイが立っていた。
「「「・・・・・・」」」
見てはいけないものを見てしまった。外国人たちは誰一人として言葉を発さず、静かに、目を合わせないようにして、すれ違いざまに足元に小銭を落らしながら、サーッと引き潮のように立ち去っていった。一瞬にして、静寂が訪れる。
後編
誰もいなくなった観光地で、小丸さんは後頭部に戻った三つ編みを寂しそうにいじりながら、ポツリと呟いた。
「・・・・・・誰も、いなくなったナメ」
翌日。うちの店の厨房には、相変わらず元気にキャベツを刻む姿があった。
吞さんに巨大バサミで根元からチョキリと切り落とされたはずの後頭部の三つ編みは、なぜか何事もなかったかのように元の五円ハゲの穴へと帰還し、だらりと下に垂れ下がっている。一晩で毛根が超速再生したのか、あるいは落ちた毛束をボンドで頭皮に再接着したのか。普通ではないレベルの怪奇現象だが、私はあえて何も見なかったことにした。あのクソジジイの生態にいちいち真面目にツッコミを入れていたら、こっちの精神と体が持たないからだ。厨房の連中もみんな、復活した三つ編みを一瞥しただけで「まあ、あのクソジジイだからな」と一秒で納得して、それぞれの仕込みに戻っていた。
小丸さんはお客さんの残飯をタッパーに詰め、新聞紙で盛大に鼻をかんで鼻頭を黒くしながら、彼はいつも通りの呪文を唱える。
「トントントントン、豚トントン、ナメ!・・・・・・・トントントントン、豚トントン、ナメ!」
私は深くため息をつき、「世界進出までして、結局これかよ」と呆れ果てた。一応、これでも世界を沸かせた人だ。少しは優しくしてやろうと、私は言葉をかけた。
「小丸さん。まあ、切り替えていきましょう。あと、その新聞紙で鼻かむの汚いんで、お店の雑巾使ってください。雑巾の方がまだ綺麗ですから」すると、小丸さんは途端に不機嫌な顔になった。
「嫌ナメ・・・・・・」
呟くやいなや、奴は内股のままフンッと頭に力を入れた。
次の瞬間、後頭部からぐいっと伸びた例の三つ編みと、額の上の白髪が、まるで生き物のように頭上で激しく交差した。
綺麗に、そして大真面目に形成される「毛髪製のバツ印(X)」。
「ダメナメ。ダンコ、キョヒナメ」
「手でバツ作れよ!!!なんでわざわざ髪の毛でバツ印出すんだよ!!!うざいわ!!!」
私の怒声が厨房に響く中、小丸さんは頭上のバツ印をピコピコと揺らしながら、またキャベツを切り始めた。この人、絶対に反省していない。
私はこめかみを狂ったように揉みほぐしながら、今夜もまた悪夢を見ることになるのを確信したのだった。




