おでこのユーラシア大陸
夏は怪奇の季節というが、うちの厨房の怪獣・小丸さんの進化は、夏の暑さとともに留まるところを知らなかった。
頭の大葉を店長に「おおばかもの!」と没収された翌日、小丸さんは朝から機嫌が悪かった。
厨房に潜む夏の天敵ー「蚊」に、こっぴどくやられたらしい。
「痒いナメ・・・・・・・痒くてキャベツが切れないナメ・・・・・・・」
小丸さんは内股の膝をガクガクと震わせ、ハンカチで、おでこをゴシゴシと乱暴に擦りながら出勤してきた。
「ちょっと小丸さん、おでこどうしたのそれ。......
って、うわあ!」
仕込みをしていた私が悲鳴を上げた。
店長と、パートのドンである呑さんも一斉に手を止め、小丸さんのおでこを凝視する。
元々、彼のおでこには「日本列島の形をした謎のアザ」があった。
だが今、その日本列島のすぐ横の位置を蚊にピンポイントで刺されたらしく、猛烈に赤く、巨大に腫れ上がっていたのだ。
その腫れ方のシルエットは、誰がどう見ても、広大な『ユーラシア大陸』そのものだった。
「嘘だろ・・・・・・・」店長が戦慄した声を漏らす。「蚊に刺されただけで、日本列島の横にユーラシア大陸まで出来ちゃったよ・・・・・・・!」「何がユーラシアナメ!痒くて死にそうナメ!」小
丸さんは興奮のあまり奥歯を「カチカチカチカチ!」と猛烈なスピードで鳴らし始めた。
傷口の痒みに耐えかねた彼は、背中から剥ぎ取った使用済みの湿布を小さくちぎると、おでこのユーラシア大陸のド真ん中にペタリと貼り付けた。
強烈なメンソレータムの臭いが厨房に爆発する。
「よし、今だ!」
店長が叫んだ。店長の手には、いつか刺してやるうとずっと狙っていた、お子様ランチについてくる小さな国旗の爪楊枝(日の丸)が握られていた。
「おい、動くなよ!」
店長は素早いステップでおでこの日本列島へ国旗を突き刺しようとしたが、小丸さんが「危ないナメ!」と内股で身をよじったため、手元が狂った。
チクリ。
「アー」
国旗の楊枝が刺さったのは、日本列島ではなく、蚊に刺されて腫れ上がったユーラシア大陸のど真ん中だった。
「あっ、間違えてユーラシア大陸の方に日本の国旗刺しちゃった」と店長が呟く。
「領土問題ナメ!!国際紛争ナメ!!」
おでこに日の丸をハタハタとたなびかせた小丸さんは、顔を真っ赤にして大絶叫した。
小丸さんは狂ったように包丁を握り直した。
「トントントントン豚トントン!ナメ!トントント
ントン豚トントン!侵略ナメ!」
おでこに広大なユーラシア大陸(湿布つき)と日本の国旗を掲げた小丸さんが、生声で呪文を連呼しながら超高速でキャベツを切り刻む。
「うるさいんだよ!国際紛争なら私が鎮圧してやるよ!」
吞さんが巨大なキッチンバサミをシャキシャキと鳴らしながら、いかりまんきんたんの表情で迫ってくる。
そしてあろうことか呑さんは、どこからともなく海賊旗を取り出すと、小丸さんのおでこのユ
ーラシア大陸あたりに力任せにブッしました。
それを見ていた私こと山田は、あまりの暴挙に目を覚えながら叫んだ。
「ドンさん!そこは大陸ですよ!海なんてありません!っていうか、日本の国旗が刺さって国際紛争になってるのに、海賊旗を上から刺して解決するものかなあ!?」
しかし、ドンさんはフッと鼻で笑って、巨大バサミをシャキリと鳴らした。
「関係ないね」
「えっ」
「関係ないね。小丸さんには!」ドンさんは、いかりまんきんたんの表情のまま、おでこに「日の丸」と「ドクロ」を同時に掲げられて完全なカオス状態に陥った小丸さんをビシッと指差した。
「これで国際紛争もおしまいさ」
結局、今日も誰も救われない、泥仕合の夏が、ダラダラと更けていくのだった。




