『ビアガーデンと黄金のビールかけ』と『地獄のダブルワーク』(全編)
夏真っ盛りのある夜、居酒屋「おいしいよ」の仲良しメンバーである私、店長、そしてパートのドンである呑さんの3人で、駅前の屋上ビアガーデンに行くことになった。
日頃の疲れを冷えたビールで流そうという、平和な息抜きのハズだった。
「俺も行くナメ!連れて行かないと明日からキャベツをトントンしないナメ!」
どうしても付いていくと内股をガタガタ震わせ、包丁をチラつかせて脅してきたクソジジイ・小丸さんを、お情けで連れて行ったのがすべての運の尽きだった。
小丸さんの全財産は、今日、娘さんから泣きついてせしめたという、シワシワの千円札がたったの一枚のみ。
「まあ、千円じゃ一杯とツマミ少しで終わりだし、暴れもしないだろ」
店長の言葉に、パートのドンである呑さんがフッと鼻で笑った。
「そうね。あのジジイに千円分だけきっちり使わせて、あとは私らのツマミを少し恵んでやりゃあ大人しくしてるでしょ。夏のご愛嬌よ」私たちはそんな甘い見通しを胸に、小丸さんを連れて駅前の屋上ビアガーデンへと向かった。
だが、店長のその甘い見通しは、屋上に上がった直後に粉々に打ち砕かれることになる。
夜風が心地よい満席のビアガーデン。
小丸さんは席に着くなり、最初の一杯を喉に流し込んだ。
プハア、と豪快に息を吐いたその瞬間、クソジジイの脳内で、何かしらのリミッターが完全に吹き飛んだ。
小丸さんは突然ガタッと立ち上がると、満タンに入った大ジョッキの生ビールを両手で掲げ、あろうことか、
「トントントントン豚トントン!ナメ!優勝ナメー
ーー!!」
と叫びながら、プロ野球の優勝記念パーティーさながらに、周囲のテーブルの客たちに向かってビールを激しく撒き散らし始めたのだ。
「ぎゃあ!何すんだジジイ!」「冷たっ!服がビー
ルまみれだ!」
悲鳴と怒号が、夏の夜空に響き渡る。
小丸さんは狂ったように首を振りながら、自分と周囲の客に黄金の液体を浴びせかけ続けた。撒き散らされたビールの臭いが周囲に充満し、一瞬で地獄のような空間に変貌する。
「ちょっとクソジジイ!何やってんだよ!」「やめなさい!いかりまんきんたんだよ!!」
店長が止めに入り、呑さんが唐揚げ用のトングを武器に立ち上がるが、ビールまみれで内股ステップを踏むクソジジイの動きは素早く、誰も捕まえられない。
「・・・・・・おい,そこのグループ。今すぐ全員出て行け!!」
突然、ビアガーデンのロゴ入りTシャツを着た屈強な店員たちに囲まれ、私たちは席に着いてからわずか五分で『即退去命令」を下された。
駅前の路上につまみ出された私たちは、一杯しか飲んでいないのに全員ビールでびしょ濡れだった。店長は頭を抱えてしゃがみ込み、呑さんはトングを握りしめたままワナワナと震えている。
当のクソジジイはといえば、強制退去のドタバタに紛れて、他人のテーブルからちゃっかり持ち出してきた枝豆とフライドポテトを、路上で驚くほど美しく盛り付け直していた。お店に出せるレベルの、見事な「残飯アート」がアスファルトの上に完成していく。
「とんだ飲み会だったわ・・・・・・」
私がため息をつくと、小丸さんはビショビショの顔を拭き、自分の奥歯を「カチ、カチ」と虚しく鳴らした。
「千円余ったから、明日またビール飲むナメ!」
ピールと路上に広がる枝豆の入り混じった最悪のニオイを放つクソジジイを真ん中に挟み、私たちの最悪な飲み会は、何のオチもないまま強制終了するのだった。
とんだ飲み会から、わずか12時間後の翌朝。
「おいしいよ」の厨房に、駅前のあのビアガーデンから、分厚い「損害賠償請求書」が届いた。
撒き散らしたビール代、汚された客の衣服のクリーニング代、そして営業妨害の迷惑料。お金がない小丸さんに払えるわけもなく、彼はその日の夕方から、体一つでそのビアガーデンへ『強制収容』されることとなった。タダ働きによる労働弁済だ。
「ざまあみろ、しっかり絞られてくればいい」店長と、パートのドン・呑さんは、内股でトボトボと連行されていくクソジジイの背中を、塩を撒く勢いで見送った。
これでしばらく、うちの厨房にも静寂が戻る。誰もがそう確信していた。
・・・・・・・しかし、事態は私たちの想像を遥かに超えた斜め上へと爆走し始める。
「ちょっと店長!駅前のビアガーデンのSNS、大変なことになってます!」
強制収容から三日後、私はスマホの画面を店長に突きつけた。そこには、あのクソジジイが写っていた。相変わらず反省の色など微塵もない、いつものあの姿だ。
続く
彼はビアガーデンのステージ上で、満席の客たちを前に、大ジョッキを両手に持って内股ステップを踏んでいた。
『ナメ!ナメ!トントントントン豚トントン!ナメーーー!!!』
なんと、ビールかけの現行犯として罰せられているはずの小丸さんが、「ビールかけのファンサービスをしてくれる、バカ売れ中の流行語おじさん」として、ネットで大バズりしていたのだ。
若者たちは「リアル・ナメ見つけた!」「トントンダンス最高すぎる」「生ビールかけ浴びたい」と大狂乱。今やビアガーデンは彼を見るための客で連日満席、キャンセル待ちが続出するほどの聖地と化していた。
「な、なんだか人気が出てしまったよ・・・・・・」店長が果然と呟く。
気になって仕事終わりにビアガーデンを覗きに行くと、そこには「おいしいよ」の厨房にいた時とは比べ物にならないほどチヤホヤされ、調子づきまくっている小丸さんの姿があった。
客が残していった焼き鳥の串やトマトの皮を、ステージ上のテーブルで「超芸術的な凱旋門」へと盛り付け直すたびに、客席からは「天才シェフ!」「ブラボー!」と大歓声が沸き起こる。
「みんな、ありがたいナメ!ビールを浴びるナメ!」
小丸さんは他人のビールを高級シャンパンのように客席へぶちまけた。もはや強制労働ではなく、完全なるワンマンオンステージだ。
「おいクソジジイ、調子に乗るんじゃないよ!」
客席の後方から、巨大なキッチンバサミをカバンに忍ばせたどんさんが、本日最大級の『いかりまんきんたん」の表情でジジイを睨みつけていたが、歓声にかき消されて届かない。
小丸さんはビショビショの顔を拭うと、豪快に鼻を噛み、奥歯を「カチカチカチカチ!」と響かせた。
「おいしいよには、もう戻らないナメ!俺はここで、スターになるナメ!」
損害賠償を払うどころか、お店の売上に大貢献して莫大なボーナスを稼ぎ出しそうなクソジジイ。
熱気あふれる夏の夜空に、小丸さんは光っていた。
夜は数百人の観客を熱狂させるカリスマも、昼間の厨房では、パートのドンの圧倒的な武力の前にはただのうざい小丸さんに元通りだった。
「おはナメ!店長、仕込みナメ!」
翌朝、小丸さんは何事もなかったかのように「おいしいよ」の厨房に出勤してきた。ビアガーデンで大バズりし、今や夜の街のニュースターとなった男だが、本業であるうちの店のシフトには、きっちり穴を開けずにやってくる。
謎のプロ意識だ。
「おい小丸さん、夜のスター様がなんでうちの安い時給で働きに来てんだよ。そのまま向こうに引き取られろよ」
店長が露骨に嫌そうな顔で愚痴をこぼす。
「向こう、骨ないナメ!芸術足りないナメ!キャベツの芯、サバの骨、これ不可欠ナメ!」どこまでも狂ったこだわりを叫びながら、小丸さんは包丁を握った。
「トントントントン豚トントン!ナメ!トントント
ントン豚トントンナメ!」お昼の十四時十五分。
時間と共に、小丸さんの包丁のリズムがさらに加速する。
一心不乱にキャベツを刻み続けるその爆音が、厨房中に響き渡っていた。
「・・・まあ、夜にどれだけチヤホヤされても、昼間に真面目に仕込みをしてくれるなら、これ以上は何も言わないけどさ・・・・・・」
店長が諦めたようにため息をついた、その時だった。
「ちょっと小丸さん!なんだいその態度は!」
厨房の奥から、地鳴りのような声と共に呑さんがすっ飛んできた。
「夜にスターになったからって、お昼の仕込み中にサバの骨で変なアートを作って遊ぶのをやめなさい!厨房が散らかるじゃないのさ!」
呑さんの怒りは、本日も『いかりまんきんたん』の限界値を突破していた。
「芸術ナメ!凱旋門ナメ!」
「言い訳するんじゃないよ!ほら、さっさと汚したテーブルを拭きな!」
呑さんに一喝され、小丸さんは内股をガクガクと震わせながら、「ナメ・・・・・・ナメ・・・」と小さくなり、大人しく掃除を始めざるを得なかった。
昼は「おいしいよ」の怒られ役、夜は「ビアガーデン」のビールかけキング。
朝から夕方まではうちの店でキャベツをトントンと刻み、休む間もなく夜はビアガーデンのステージでビールを撒き散らしながら内股ステップを踏む。そんな常人なら一日で音を上げる殺人的なスケジュールを、小丸さんは謎のプロ意識で何日もこなし続けていた。
しかし、人間の肉体の限界は非情だった。
連日の朝から深夜に及ぶ過酷なダブルワークのツケは、ある日突然、最悪の形で回ってくる。
「おい小丸さん、さっさとサバの骨を片付け・・・・・・」
厨房の奥から呑さんが声をかけた、その瞬間だった。
ガラガラガラッ!!と激しい金属音が響き渡る。
振り返ると、小丸さんが洗い立てのバケツやトングを巻き込みながら、床へ派手に崩れ落ちていた。ピクリとも動かない。
「ちょっと小丸さん!?冗談はやめなさいよ!」「おいおい嘘だろ、おい!しっかりしろ!」
どんさんが悲鳴を上げ、店長が血相を変えてすっ飛んでくる。
いつもは不敵に「ナメ!」と吠えていたあの小丸さんが、完全に意識を失って白目を剥いていた。
ピーポーピーポーと夜の街にサイレンを響かせ、小丸さんは救急車で近くの総合病院へと搬送された。
付き添いとして乗り込んだ店長と呑さん、そして私は、病院の待合室で生きた心地がしないままパイプ椅子に座っていた。
「・・・・・・・店長、あのジジイ、本当に大丈夫かねえ」
呑さんがカバンを握りしめ、心細そうに呟く。店長もただ無言で、額の汗をハンカチで何度も拭うことしかできなかった。
静まり返った廊下に、カツ、カツ、と重々しい足音が響く。
「小丸さんの、ご関係者の方ですか」処置室のドアが開き、疲れ切った顔をした初老の主治医が、カルテを片手に私たちの前に現れた。私たちは弾かれたように立ち上がる。
「先生!小丸さんは・・・・・・小丸さんは大丈夫なんですか!?」
店長が詰め寄ると、医者は眼鏡の奥の目をそっと伏せ、重苦しい口調でこう告げた。
「・・・・・・あの、小丸さんですがね。ただ爆睡してるだけですが?」
「え?」
私たちの動きがピタリと止まる。医者は心底呆れたようにカルテをパタンと閉じた。
「検査をしましたが、どこも悪くありません。連日の寝不足が一気にきたんでしょう。非常に健康的なイビキをかいて、ただひたすら深く眠っているだけです。......というか、どうして病院に連れて来たんですか?」
どてっ。
静かな病院の廊下に、私たち3人が同時にズッコケる鈍い音が響き渡った。
(続きは『病院編』へ)




