強制退去ナメ
「トントントントン豚トントン。トントントン
トン豚トントンナメ」
厨房の中に、その不気味なリズムの独り言が響き渡っていた。
この店の正社員になって数ヶ月が経つ僕一一山田は、自分のまな板に向かいながら、心の中でつぶやいた。
(はああもう耳タコだよ・・・・・・)
あまりにも毎日聞き慣れすぎているせいだろうか。
なんだか頭が洗脳でもされたかのように、ボーッとしてくる。
傷一つない綺麗なまな板の上で、自分の手がキャベツを刻むリズムに合わせて、思わず声が漏れてしまった。
「トントントントン豚トントン」
その時だった。
目の前の光景が、信じられないスピードでグニャリと歪んだ。
次の瞬間、僕たちの足元にあったはずの厨房の床は消え失せ、視界のすべてが鮮やかな緑色に染まっていた。
そこは、見渡す限りの大草原だった。
「......ナメ?」
隣から、あきれるほどいつも通りのぶっきらぼうな声が聞こえた。
小丸さんは内股のまま、きょろきょろと周りの大自然を見渡している。
「ここ、どこ、ナメ?」「もしかして.....?」
あまりの急展開に、僕の頭の中に深夜アニメでよく見る「あのシチュエーション」が浮かび、思わず声が出た。その時だ。
僕たちの目の前の空間がぐにゃりと歪み、まばゆい光と共に、神々しい後光を背負った異世界の神様が姿を現した。
神様は厳かな声で、僕たちを見下ろしながら語りかけてきた。
「ようこそ、異世界の迷い人よ。・・・・・・驚くことはない。先ほど、あなたたちが唱えたあの言葉こそが、我が世界へと繋がるいにしえの召喚の呪文。それを受け入れたからこそ、あなた方はここへ来ることができたのです」
(ええええええーーーっ!? あれ、呪文だったの!?『豚トントン』って、ただのクソジジイの不気味な独り言じゃなかったの!?)
僕が心の中でそう絶叫した瞬間、神様はフッと優しく微笑み、僕の目をじっと見つめてきた。
「声に出さずとも分かりますよ、山田君。・・・・・・そう、ただの独り言ではありません。小丸さんの声、そしてあなたの心にまで深く染み渡ったその『洗脳』。その二つの美しいハーモニーが完璧に重なったからこそ、我が世界の扉は開かれたのです」
(ハーモニー?嫌だわ、そんなクソジジイとのハモりなんて絶対に嫌だわ)
僕が心の底から嫌悪感を抱いたその瞬間、目の前の神様が「うむ」と深く頷いた。
「確かに、嫌ですね」
(同意した!?神様なのに僕の『嫌だわ』に普通に共感したぞ!?)
そんな僕たちのやり取りなどどこ吹く風で、小丸さんは首を傾げながら、目の前の偉大な存在をじっと見つめた。
「お前、神様、ナメ?......話、長い、ナメ。......一度、会ってみたかった、ナメ」
一瞬、神様の表情がパッと和らぎ、「おお、私の元へ来ることを望んでいたのですね」と言いたげに微笑みかけた。
だが、小丸さんはすかさず自分の上着のポケットからクシャクシャになった小銭入れを取り出し、中を覗き込んでチッと大きな舌打ちをした。たどたどしい日本語が、ここからさらに加速する。
「俺、いつも、娘のカイちゃんに、お金、借りてる、ナメ。神様、なら、俺に、1000円、くれ、ナメ」
小丸さんはそう言うと、親指と人差し指で円を作って、神様の顔の前にずいっと突き出した。
(異世界に来て早々、神様相手にお金をせびるなよ、このクソジジイ・・・・・・・!!)
僕こと山田は、目の前で繰り広げられるあまりにも恥ずかしい光景に、完全に呆れ返っていた。せめてせびるなら「一億円」とか、もっと異世界らしい「伝説の武器」とかにしろよ。リアルに娘さんから金を借りてる話を暴露した上で、要求する金額が「千円」ってどういうことなんだ。
小丸さんのそのセリフを聞いた瞬間、神様の美しい笑顔が完全に凍りついた。
差し出された小丸さんの指の隙間から、異世界の穏やかな風が虚しく吹き抜けていく。
神様はしばらく天を仰いで無言のままプルプルと震えていたが、やがて、ものすごく冷めた目で僕たちを見下ろした。
「・・・・・・あのですね。私があなたたちをここに召喚した理由は、この世界を苦しめる『魔王』の討伐をお願いしようと思ってのことだったのです。ですが・・・・・・」
神様はそこで言葉を区切ると、大きなため息をついて首を横に振った。
「やーめた」
その瞬間、神様の手元に、どこからともなく巨大な、真っ赤に燃え盛るプラスチックの板が現れた。
サッカーの審判が掲げるレッドカードの、何十倍も巨大なやつだ。
「さようなら、金せびりヤローーーーーーーーッ!!!!出禁です!!!秒で退場しなさい!!!!」
(やっぱりそうなったかぁぁぁーーーッ!!)
「強制退去ーーー
ーーーーーッ!!!!」
ゴオオオオオッ!!!と大草原に凄じい嵐が吹き荒れ、僕たちの身体は一瞬で光の渦に包まれた。
….....。
.....。
ドスンツ!!!
「痛てぇ・・・・・・メ・・・・・・・」
「ぶふおっ!痛たた・・・・・・」
僕が尻餅をついたのは、異世界の草原ではなく。
さっきまで自分が仕込んでいたキャベツの山が目の前にある、いつもの明るい飲食店の厨房の床だった。
ガシャーン!とステンレスのボウルがひっくり返る音が響く。
小丸さんは頭をガリガリと掻きながら立ち上がると、厨房の床を見つめてペッと唾を吐いた。
「・・・・・・ケチ、神様、ナメ」
そう呟いて包丁を握ると、何事もなかったかのように、また驚くほど鮮やかな手つきでキャベツを刻み始めた。
床にへたり込んだまま、僕はその背中を見上げて、心から、心の底から誓った。
二度と、絶対に、このクソジジイの真似事だけはしない、と。あの『豚トントン』に洗脳されて、一緒にハモるような真似だけは死んでもしない。
そう決意しながら、僕はその日の厨房勤務をなんとか乗り切った。
へとへとになって帰宅し、シャワーを浴びてベッドに潜り込む。
(あーあ、せっかくの異世界転生だったのになあ......。もし僕一人だったら、今頃は聖剣でも振り回して•・•・)
そんな未練を抱えながら、僕は深い眠りに落ちていった。
ハッと気づけば、夢の中の僕はまばゆい黄金の鎧を身にまとい、伝説の聖剣を手にしていた。
チート魔法を全開にして、立ちはだかる魔物の大群をバッサバッサと蹴散らしていく。
(これだよ!僕がやりたかった異世界無双はこれなんだーーーっ!)
絶大なパワーで世界を救う、最高にスカッとする無敵の勇者。
ついに僕は、世界の命運をかけた最終決戦の地、魔王城の最深部へとたどり着いた。
重厚な扉を開け放ち、不敵な笑みを浮かべて、玉座に君臨する宿敵を指さす。
「そこまでだ魔王!今日こそお前を倒して、この世
界に平和を一一」
だが、玉座からゆっくりと立ち上がったラスボスの姿を見た瞬間、僕の全身の血の気が引いた。
漆黒のローブの隙間から見えたのは、全体の30%ほどしか残っていない、あの汚らしい白髪。後頭部の『五円ハゲ』の穴の場所から生えた黒髪を、何故か三つ編みに結んでいる。
おでこには、どう見ても『日本列島』の形をした謎の大きなアザ。いつかお子様ランチについてる国旗を刺してやろうと思っていた、あのアザだ。
耳には補聴器らしきもの。
鼻の穴からは、見えそうで見えなさそうで余計に鬱陶しい、真っ黒な鼻毛がチラついている。
眼鏡はひどくズレていた。片方のフレームが壊れていて、木工用ボンドで白くベッタリと固定されている。
さらに左目には眼帯。そこには油性マジックで汚く『男』と書かれていた。
首には直筆で『俺』という漢字のタトゥー。
背中一面には湿布がびっしりと貼られており、周りの人を泣かせるほどの匂いを放っている。
そして気持ち悪いことに、足元はがっつり内股だった。
靴と靴下は、同じところで穴が開いている。それも3箇所。
腕に巻かれた時計は、娘のカイちゃんが幼稚園の時に作ってくれた折り紙製だ。カチカチ言っているから動いているのかと思ったら、自分の歯でカチカチと音を鳴らしている。
離婚しているはずなのに、左手の指輪だけは今日買ったのかと思うくらいピカピカに輝いていた。
(ク、クソジジイ・・・・・・!?なんで魔王が小丸さんなんだよ!!!)
夢の中の魔王は、さらに新聞紙を取り出して豪快に鼻を噛み、鼻の頭をうっすら黒くした。それから、お店の雑巾の方が綺麗なレベルのハンカチで口元を拭うと、邪悪な大剣をじられないほど鮮やかな手つきで構え、不気味に低く笑った。
「トントントントン豚トントン。......お前、勇者、
ナメ?叩き斬る、ナメ」
(うわああああああ!夢の中まで出てきたよ『豚トントン」!!悪夢だわ!!リアルに大悪夢だわ!!!!!)
「うわああああっ!!」
僕は大汗をかきながら、自分の部屋のベッドで跳ね起きた。
時計を見ると、もうすぐ厨房の出勤時間。
結局、夢の中でも小丸さんの洗脳から逃れられなかった絶望感に包まれながら、僕は重い体を起こして、またあの明るい厨房へと向かう準備を始めるのだった。




