金小丸カイ 決定版
金小丸カイ 決定版
「ハゲへの郷愁で触りすぎたアザ」の事件から、さらに数日が経った夕方5時半。
店長の「よし、今日もお疲れさん!片付けが終わったら各自上がっていいよ」という掛け声とともに、観光地のお土産屋さん兼食堂「おいしいよ』のシャッターがガラガラと下ろされた。夜営業がないこの店は、終わるのだけは早い。
私が私服に着替えて事務所を通りかかると、店の固定電話の前に小丸さんが突っ立っていた。
まだ店の制服一一汚れた白衣にエプロン姿のまま。
てっきりこれから着替えるのかと思いきや、鈴木さんいわく「小丸さんは私服=制服だから、年中その格好のまま帰るよ」とのこと。お店の制服を完全に私物化している。足元は相変わらず気持ちの悪い内股だ。
携帯すら持っていないという小丸さんは、その内股をぎこちなくパタパタと動かしながら、無音でじりじりと固定電話へと近づいていった。ヌッと黒い受話器の前に立ちすくむと、おもむろにそれを上げ、無言でダイヤルを回し始めた。
「・・・・・・あ、もしもし、娘ナメ?金が、なくなったナメ。今、店の裏にいるナメ」
ギャンブルは一切しないと聞いているが、なぜかいつでも「競馬場で全財産をすったオヤジ」のような凄まじい敗北オーラを放っている。実際、彼の財布の中身はいつでも本当にすっからかんらしい。
制服姿で実の娘にガチでお金をせびる連絡を終えると、小丸さんは受話器をガチャンと戻した。
「借りる」の一言すら口にしない。きっと彼の中で「『借りる』って言うと、後で返すみたいになるからナメ」という、セコすぎる人生哲学があるのだろう。最初から無言で既成事実を作って踏み倒す気満々だ。
奥のデスクで事務作業をしていた店長は、その様子をチラリと見たものの、注意する気力すら失ったように深いため息をついてパソコンに目を戻した。
受話器を置いた小丸さんは、そのまま裏口へ向かうのかと思いきや、厨房の片隅にある「残飯回収バケツ」の前に内股でヌッと立った。
何をするのかと見ていると、小丸さんはエプロンのポケットから、丁寧に洗って何度も使い回しているとおぼしきペコペコのタッパーを取り出した。
だが、次の瞬間。私の目は、小丸さんの「手元」に完全に釘付けになった。
あの、いつも薄汚れていて、どこか不器用そうに見える小丸さんの手が、まるで魔法のタクトのように滑らかに動き出したのだ。
タッパーという狭いプラスチックの箱の中で、小丸さんの指先が踊る。
まず、バケツの隅から救い出した、乾燥してカピカピになりかけた白米。それが小丸さんの手にかかった瞬間、余分な水分が切られ、まるで炊き立てのようにつややかに輝く、美しい形のご飯としてタッパーの半分をどっしりと占めた。
その横へ、客が食べ残した冷や冷やの唐揚げを絶妙な角度で立体的に重ねていく。それはまるで威風堂々たる城郭の石垣のようにそびえ立った。さらに、水分が抜けてしなしなになったキャベツの千切りを、指先でふんわりと空気を含ませながらドーム状に添えていく。
仕上げに、バケツの底から手付かずのミニトマトと、一口サイズのブロッコリー、そして煮物のニンジンを神速で救い出した。
白、茶、緑、橙、そして赤。計算し尽くされた色彩が、安っぽいプラスチックの箱の中を、目にも鮮やかに彩っていく。
驚くべきは、見た目だけではない。ご飯とおかずのバランスはどこまでも完璧で、体に良い要素しかない。ただそれだけのことが、その狭い箱の中にこれ以上ない形で凝縮されていた。
(な、何これ......。めちゃくちゃ綺麗で、しかも栄養のバランスまで完璧なんだけど!?)
それは、まぎれもない「芸術」だった。
ただの客の食べ残しのはずなのに、小丸さんがタッパーに詰め直した途端、『おいしいよ』で実際に大皿で提供された時よりも、何倍も美味しそうで、何倍も美しく上品に見えるのだ。盛り付けのセンスだけで、B級グルメをミシュランの懐石料理に変貌させていた。
「よし・。できた,ナメ」
小丸さんは満足げにタッパーのフタを閉め、ボロボ口の袋に大切そうに仕舞い込んだ。
一人ぼっちの部屋で食べる残飯に、なぜそこまでの情熱を注ぐのか。このジジイ、ただのクソオヤジなのか、それとも天才料理人なのか、本当にわけが分からなくなる。
私はカバンを肩にかけながら、その芸術的な残飯タッパーをポケットに忍ばせ、内股で歩く怪異の後ろ姿を追いかけるようにして、お店の裏口へと向かった。
夕方5時半過ぎの深い夕暮れの中、お店の裏の搬入口に、一台の自転車がキキーッとブレーキの音を響かせて止まった。
乗っていたのは、至って普通の、むしろ少しお洒落で綺麗な女子高生だった。
「ちょっと、お父さん!」
自転車を止めるなり、彼女は制服のスカートをなびかせて小丸さんに向かってズカズカと歩み寄った。
「またお店の電話使ったでしょ!店長から私のスマホに『お父さんがまた無断電電
してる』ってラインが来たんだけど!」
無断電電・・・・・・。店長、焦りすぎてタイポしてるじゃん。
「金が、なくなったナメ・・・・・・」小丸さんは内股をさらに縮こまらせ、ボソッと呟いた。
「ギャンブルもしてないのに、なんで毎日毎日すっからかんなのよ!恥ずかしくないの!?」彼女はハァと大きなため息をつくと、慣れた手つきでスクールバッグから財布を取り出し、千円札を一枚、小丸さんのボロボロのエプロンのポケットに突っ込んだ。
「ほら、これあげるから。今日の夜ご飯はちゃんと自分で買いなさいよ。それと、その制服のまま帰るの本当にやめてっていつも言ってるでしょ!」
「カイ、ありがとナメ・・・・・・」
小丸さんはポケットのたった一枚の千円札を愛おしそうに手で押さえた。
その時、小丸さんの左手の薬指にある、離婚したはずのピカピカに輝く指輪が、夕日に反射して娘の目を射抜いた。
カイさんはその指輪を一瞬だけ切なそうに見つめ、すぐにまた怒ったような顔に戻って自転車に飛び乗った。
「じゃね!その千円、どうせ使わずに貯め込む気でしょ!ちゃんとご飯食べなさいよ!」夕闇に消えていく彼女の背中を見送りながら、私はふと、ベテラン調理師の鈴木さんから聞いた噂話を思い出していた。
あのおじさんの苗字は小丸。周りからの
あだ名は金小丸。
(もらったお金すら食べ物に使いたくなくて残飯を芸術的に持ち帰る、筋金入りのドケチだ)
そして、このクソジジイには「カイ」という名の、しっかり者の娘がいる。
繋げて呼ぶとーー『金小丸カイ(金に困るか
い?)』。
(......いや、めちゃくちゃ困っとるがな!!!)
私は心の中で限界まで声を大にして突っ込んだ。
娘の「カイ」を繋げて呼べば「金に困るかい?」。
名前だけは日本一縁起が良いのに、この父親のせいで現実の娘はめちゃくちゃお金に困らされている。
父親は、おでこに「ハゲへの郷愁」で出来た日本列島のアザを浮かべながら、もらった一枚の千円札をじっと見つめている。
去りゆく内股の怪異の後ろ姿を見つめながら、私はこの『おいしいよ』という職場の底知れぬカオスさに、改めて戦慄するのだった。




