第17話 事実は小説よりも、割り箸(竹馬)
「トントントントン豚トントン、ナメ。トントントントン豚トントン、ナメ」
翌朝、私一一山田が出勤し、いつものように厨房のドアを開けた瞬間、凄まじい違和感に襲われて足を止めた。
「....あれ?」
厨房の定位置でキャベツを刻んでいる小丸よねさん。その後ろ姿が、どう考えてもおかしい。いつもなら気持ちの悪い内股で少し縮こまっているはずなのだが、今日の小丸さんは、なぜか頭一つ分、異様に背が高くなっていた。
「小丸さん、なんか今日、スタイル良くないですか・・・・・・?」
私が恐る恐る近寄り、白衣の裾からのぞく足元に目を向けた瞬間、私の脳内の物理法則が音を立てて崩壊した。
小丸さんは、コックシューズを脱いでいた。
そして、お店の備品である『木製の割り箸』を数本、輪ゴムで器用に縛り合わせた謎の物体の上に、両足で直にバランスを取って立っていたのだ。
そう、彼は割り箸でミニチュアの竹馬を作り、それに乗ってキャベツを刻んでいた。
「いや、おかしいだるオオオオオ!!!!」
厨房に私の絶叫が響き渡る。
長さわずか20センチ足らずの割り箸である。そんな細い木切れに、70キロ近い人間の体重が乗れば、一瞬でバキッとへし折れるのが地球のルールだ。それなのに、小丸さんの割り箸竹馬はしなることすらなく、内股のまま「カチ、カチ・・・・・・」と器用に足場を鳴らしながら、何食わぬ顔でキャベツをトントン刻んでいる。
「な、何ですかこれはあああああ!!!」
後ろから飛び出してきた新人のものかさんが、メモ帳を放り出して頭を抱えた。
「山田さん!これ、小説のネタとして書いたら絶対に読者から『嘘つけ!』『物理エンジンバグってんのか!』『リアリティが欠片もない!』って炎上します!編集者には一発で原稿をゴミ箱に捨てられます!!」
ものかさんがパニックで泣き叫ぶ中、私は冷めた目で淡々と言った。
「落ち着きなよ、ものかさん。小丸さんはお盆休み前でテンション上がると、たまに重力を無視するらしいからね。ほら、佐藤さんも子株さんも、普通にスルーして仕事してるでしょ?」
見れば、佐藤さんは「ああ、今日は割り箸の日か」と冷やし中華のタレを調合し、子株さんは「床が傷つかないなら何でもいいわよ」とフランクフルトを串に刺していた。誰も驚いていない。この厨房では、小丸さんの存在自体が物理法則なのだ。
「山田さん・・・・・・!あなたは、この異次元の狂気を手懐ける、本物の『現実の覇者』です!私の凡庸なイマジネーションなんて、あなたの足元にも及びません!お願いです、私を弟子にしてください!師匠と呼ばせてください、山田師匠!!!」「いや、弟子とか師匠とか、そういうの本当にいいから・・・・・・・」
私が全力で断るのを無視して、ものかさんは「山田師匠のツッコミ技術:ノート3冊目」とメモを書き殴り始めた。
その横で、割り箸竹馬に乗った小丸さんは、ボンド眼鏡をクイッと上げ、ドヤ顔でエアダンクのフォームを決めようとして一ー
そのまま見事にバランスを崩し、調理台の上に思いっきり上半身から突っ込んで「どっ!!!」と盛大にひっくり返った。
厨房にガシャーンと派手な音が響き渡り、千切りにされたキャベツが雪のように宙を舞う。
「小丸さぁぁぁあん!!」
ものかさんが悲鳴を上げる中、私は「はあ」と本日一番の深い、深いお灸のようなため息をつきながら、調理台の上でピクピク動いている小丸さんの足元を見た。
白衣の裾からのぞく、輪ゴムで縛られたお店の備品の割り箸。
70キロ近い人間が上半身からすっ飛ぶほどの衝撃を受けたというのに、その割り箸は、たったの1本も折れていなかった。地球の物理法則は、今日も小丸さんの前で敗北している。
「・・・ナメ」
調理台に突っ伏したまま、小丸さんが力なく呟いた。
「山田師匠・・・・・・・私、確信しました。このお店、お盆休みが明けたら、たぶん異世界と繋がります」「繋がらないよ。ただのちょっと変わった定食屋だから。ほらものかさん、片付け手伝って。開店時間に遅れるよ」
私はそっとおでこを押さえ、これ以上ツッコむのを諦めた。
まだ午前9時前だというのに、私のライフはすでにゼロに近かった。




