第16話 新入社員の、物書かきさん
「トントントントン豚トントン、ナメ。トントントントン豚トントン、ナメ」
あの衝撃の「お札倉庫」の発見から数日。倉庫の山のような一万円札を娘のカイちゃんに一網打尽に回収され、相変わらず財布がすっからかんになった小丸よねさんは、何事もなかったかのように定位置でキャベツを刻んでいた。
「はあ・・・・・・相変わらず耳障りなリズムだな・・・・・・・」
私一一山田は、いつものようにその気持ちの悪い内股を眺めながら、深く重いため息をついていた。そこへ、今日から入るという新しいスタッフの女の子がやってきて、厨房の全員に向かって深々と頭を下げた。
「本日よりお世話になります!苗字が物書 、名前が、かきです!繋げて『物書かき』と申します!生まれた瞬間から小説家になる運命を背負った小説家志望です!よろしくお願いします!」
「...えっ?」
親からどんな呪いを受けたらそんなダジャレになるのか。
生まれた瞬間から逃れられない運命を背負った新人スタッフの登場に、私と佐藤さん、そして古株の子株さんは一瞬でフリーズした。
しかし、当のものかさんは、自己紹介を終えた瞬間に目をらんらんと輝かせ、キャベツを刻む小丸さんをロックオンしたのだった。
「・・・・・・素晴らしい。おでこの日本列島アザ、背中の詰みかけ将棋盤、そして背番号18のバスケの補欠・・・・・・!山田さん、この小丸さんという人、小説の主人公として完璧すぎます!現代のドストエフスキーでも思いつかない最高のミューズです!」
「あはは!かきさん、挨拶早々ドストエフスキーに謝って。これ、ただのクソジジイだからね?」
私がツッコミを入れるのも構わず、ものかさんはグイグイと小丸さんとの距離を詰めていく。
「小丸さん!その左手の光る指輪、プラチナの純度は何パーセントですか!?あと、そのボンドで固めた眼鏡の強度は!? 小説のディテールに必要なんです、教えてください!」
仕事の質問は一切しないくせに、クソジジイの生態に関する『ガチ取材』の熱量が凄まじい。
完全に調理の手が止まっている二人を見て、隣で大根の皮を剥いていた佐藤さんが、そっと私の肩をガシッと掴んだ。
「・・・・・・山田くん!面白いからもう止めなくていいぞ。あの二人は混ぜたら最高の化学反応を起こす。お土産屋『おいしいよ』のエンタメ枠として、じっくり観察しよう」
古株の子株さんも「まあ、小丸さんの奇行を喜んで引き受けてくれるなら、実質シフトが一人増えたようなものだし、何より見てて飽きないしね」と、相変わらずのドライさでお盆を拭いている。
「まだ、だしなさい、ナメ・・・・・・。もっと、わたしの魅力、ノートにかきなさい、ナメ・・・・・・」
すると、挨拶されたばかりで完全に調子に乗っていたはずの小丸さんが、急に包丁を握ったままピタリと動きを止めた。ボンドで固めた眼鏡の奥の目が、獲物を見つけた肉食獣のようにギラリと光る。
「・・・おまえ、なまえ、カキ、ナメ?」「はい!物書きです!」
「カキ・・・・・・柿、ナメ?牡蠣、ナメ?どっちでもいいから、おれに、カキ、くれ、ナメ」「えっ?え・・?」
予想外の方向からの食いつきに、ものかさんがポカンとした瞬間、小丸さんはキャベツ用の包丁を持つたまま、内股のステップを恐ろしい速さで踏み鳴らしながらすり寄ってきた。
「カキ、くれ、ナメ!おれ、いま、すっからかん、ナメ!おなかすいた、ナメ!カキ、だしなさい、ナメーーー」
「ひゃああっ!?な、何ですか!?小説のモチーフとしての前衛的なアプローチですか!?」「ちがうよ、ものかさん!そいつただの食い意地が張ったクソジジイだから!剥きたての牡蠣か完熟の柿を本気でカツアゲしようとしてるだけだから!!」
「カキ、くれ、ナメ!カキイイナメ!」と包丁を掲げて内股で爆走する小丸さんと、「す、素晴らしい!圧倒的な生命の躍動!!」と涙目でノートを抱えて厨房を逃げ回るものかさん。
(一一おいおい!!!最初の挨拶からこれかよ!!!クソジジイも新人も、これ以上俺を笑わせるカオスを増やすんじゃねえよ!!!)
普通の職場に戻りたくて真理を暴いたはずなのに、新しく入ってきた小説家志望の「物書きさん」が小丸ヨネさんの狂気に最高の燃料を注いだせいで、私のお楽しみ(兼ツッコミ)の時間はこれまでの2倍へと跳ね上がってしまった。
現実世界でも、彼女の書く原稿用紙の上でも、小丸さんの暴走を止める人間はもう誰もいない。
唯一の常識人であり、全方位へのツッコミ役を任されている私(山田)の、このおかしな職場での第二部が、さらなるワクワクと混沌を孕んで今、幕を開けるのだった。




