背番号18の、ディフェンス
小丸さんの下の名前が「ヨネ」だと判明し、厨房がなんとも言えない不穏な空気に包まれた翌日のこと。
小丸さんは、お気に入りのお札でも身に纏うかのように、今日も白衣の下にあの『こまるよね」の体操服を着込んで出勤していた。
ランチのピークが過ぎ、キャベツの仕込みを終えた小丸さんがふと後ろを振り向いた瞬間、隣で作業していたベテランの佐藤さんと古株の子株さんの目がギョッと見開かれた。
体操服の背中。そこには、これまた薄汚れた四角いゼッケンが縫い付けられており、そこには黒マジックでデカデカと『18』という数字が踊っていたのだ。
「じ、18番・・・・・・・!?」
佐藤さんがゴクリと息をのんだ。
野球界において『18』といえば、チームの命運を背負う絶対的な「エースピッチャー」にのみ許された栄光の背番号だ。
佐藤さんの脳内で、勝手な妄想がマッハの速度で膨らんでいく。
(・・・・・・待てよ。おでこの日本列島アザ、背中の詰みかけ将棋盤、そして背中の『18」。そうか!このクソジジイ、若い頃は甲子園を沸かせた伝説の剛腕エースだったんだ!夢破れてこのお土産屋の厨房に流れ着いた、悲劇のヒーローだったんだ・・・・・・!)
一瞬にして、小丸さんのボロボロの後頭部が、夕日に黄昏れる元投手の背中に見えてくる。佐藤さんは勝手に一人で感動し、目頭を熱くして涙ぐみ始めていた。
(......って、ちょっと待て待て待て!!!感動して涙ぐんどる先輩、妄想のスピードがマッハを超えて光速の域に達しとるがなアアアアア!!!!!!悲劇のヒーローの要素が1ミリもねえだろ!!!あいつの名前は『困るよね』だぞ!!!!!)
新人の私が心の中で必死に現実のブレーキを踏んでいる横で、元名投手(※ただのハゲ)は、ボンド眼鏡をクイッと指先で直した。
そして、背中の『18』をこれでもかと佐藤さんの涙目の前に突き出しながら、内股を「スッ・・・・・・」と捻り、虚空を見つめてボソッとじられない一言を放ったのだ。
「・・・これ、ばすけ、ナメ。じゅうはちばん、えーす、ディフェンス、ナメ」
(バスケかよオオオオオ!!!!!! 18番は普通エースじゃねえだろオオオオオ!!!!!!しかもサッカーのディフェンスのつもりだったのかよ、完全にポジションと背番号の概念がごちゃ混ぜになってんだろオオオオオ!!!!!!)
私の脳内が激しく大絶叫する。しかし、そんな私の困惑を置き去りにして、佐藤さんは完全にヒロイズムの深淵に呑まれていた。
「小丸さん。あんた、昔はマウンドで輝くエースだったんですか・・・!?」佐藤さんがたまらず興奮気味に、震える声で食い下がった。
すると小丸さんは、相変わらず気持ちの悪い内股をモジモジと縮こまらせながら、おもむろにその場で大きく振りかぶった。
「ナメ」
左足を高々と上げ、右腕をぐっと後ろに引き絞る。
それは、まぎれもない天才ピッチャーの美しいワインドアップ投法一ー。
「おおっ!やっぱり剛腕ピッチャー」
私と佐藤さん、開いた口が塞がらない子株さんまでもが息をのんでその右腕の軌道を見つめた、その瞬間だった。
小丸さんは、振りかぶった勢いのまま真上に小さくジャンプすると、両手で何かを上から叩きつけるようなポーズをとった。
「だんく、ナメ!!」
「ダンクううう!?」
厨房に響き渡る私の絶叫。
マウンドからホームベースに向かって投げるかと思いきや、まさかのバスケのリングにボールをブチ込む「ダンクシュート」の着地。しかもジャンプカはたったの3センチ、内股のせいで着地と同時に思いっきり膝がカクンと内側に折れている。
混乱する一同に、小丸さんは息を荒くしながら、トドメの一言を放った。
「これ、ばすけ、ナメ。ほけつ,ナメ。ずっと、べんち、温めてた、ナメ」「どっちも中途半端に混ざっとるがな!!!!」
野球のエース気取りのフォームから、バスケの補欠のクソ下手くそなエアダンク。
ずっとベンチを温めていた実力で、なぜか天才ピッチャーの予備動作だけをマスターし、たった3センチのジャンプで膝を痛めそうになりながら「ディフェンス、ナメ」とドヤ顔を決めるクソジジイ。そのあまりにも中途半端で高すぎるプライドと、底が浅すぎる運動神経の格差に、私の頭痛はすでに臨界点を突破していた。
期待した熱い感動を時空ごと歪めてドブに捨てられた衝撃に、私、佐藤さん、そして古株の子株さんまでが綺麗に息を合わせて、調理台の上に思いっきり上半身を突っ伏して「どてっ!!」と大ズッコケをかました。
(って、私と佐藤さんと子株さん、全員きれいにシンクロしてズッコケとるがなァァァアア!!!!!!日常に戻るスピード感のディフェンス力、高すぎねえかァァァァア!!!!!!)
大ズッコケする私たちを余所に、小丸ヨネさんは何食わぬ顔で内股のままトボトボと定位置に戻ると、再び包丁を握り直した。
そして、周りの空気など関係なく何事もなかったかのように、猛烈な勢いでキャベツを刻み始めたのだ。
「トントントントン豚トントン、ナメ。トントントントン豚トントン、ナメ」
厨房に再び鳴り響く、いつもの呪いの怪音頭。
「はぁ・・・・・・やっぱりこれよ・・・・・・」と肩を落として包丁を握る佐藤さん。
知りたくもない本名と、くだらなすぎる補欠の過去をぶち撒けておいて、最後はいつものリズムで強制終了。
去りゆく内股の怪異の後ろ姿と、相変わらず脳を侵食してくる「豚トントン」のシャワーを浴びながら、私はこの『おいしいよ」という職場の底知れぬカオスさに、改めて深く戦慄するのだった。




