薬指のルネサンス、輝け!プルタブの誓い
足元に『三色信号機』と『国旗掲揚ポール』を同時に爆誕させたクソジジイの天変地異から、また数日。
観光地のお土産屋さん兼食堂「おいしいよ』の厨房の空気は、今朝も小丸さんを中心に、相変わらずの生暖かさに包まれていた。
「トントントントン豚トントン、ナメ」
もはや伝統芸能の域に達したキャベツの千切り音。
だが今日、新人の私の視線をどうしても惹きつけて離さなかったのは、小丸さんの左手の薬指だった。
彼がキャベツを刻み、内股を揺らすたびに、その指先からギラリ、ギラリと、厨房の蛍光灯を反射して眩いばかりの光が放たれている。
汚れた白衣、ボンドで直した眼鏡、新聞紙インクの黒い鼻。そんなクソジジイのスペックの中で、その指輪だけは、まるで今日高級宝石店で買ってきたばかりかと思うほど、一点の曇りもなくピカピカに輝いていた。
(.いや、本当に何であれだけあんなに輝いてるんだよ。離婚したって噂なのに、どんな執念で磨いたらあんなプラチナの輝きになるんだ?)
私が作業をしながら本気でその『格差』に困惑していると、隣で冷やし中華の準備をしていた鈴木さんが、私の視線に気づいてフッと鼻で笑った。
「おいおい山田くん、お前また小丸さんの指輪見てんのか?あんなの、どうせ缶ジュースのプルタブか何かを指にハメて、毎日必死に磨いてるだけだろ」
遠くの洗い場で皿を洗っていた佐藤さんも、「ふふつ、そうよねえ」と、いつもの人騒がせなハゲの奇行として、楽しそうに笑い声をあげている。
だが、私は確信していた。あの左手の薬指から放たれる輝きは、アルミのゴミが放つ安っぽい反射などでは断じてない。あれは、紛れもない、本物の最高級プラチナリングの重厚な輝きだ。
何より、あの夕暮れ時。娘のカイちゃんがこの指輪を一瞬だけ、あんなにも切なそうに見つめていた姿を私ははっきりと覚えている。「お父さん、まだそれ、つけてるんだね」とでも言いたげな、あの寂しげで優しい瞳。あれは間違いなく、離れ離れになった本物の家族の思い出に対する目だった。
(そうか。小丸さんは、どれだけ周りにバカにされようと、あの人騒がせなハゲという仮面を被りながら、家族との唯一の思い出であるこの指輪だけは、今でも命がけで守り続けているんだ・・・・・っ!)
新人の私が、クソジジイの隠された哀愁と家族愛に本気で胸を打たれ、危うく涙をこぼしそうになった、まさにその瞬間である。
周囲の勝手なプルタブ扱いに気づいたのか、クソジジイは「トントントン」と刻む手をピタッと止め、ボンドで固めた眼鏡をクイッと直した。そして左手首の折り紙時計を誇らしげに揺らしながら、内股を「スッ・・・・・・」とさらに捻り、例の老朽化で開いたコックシューズの3つの大穴をこちらに近づけてきた。
(.....え?今度は足元で何アピールだよ?)
私が思わず視線を落とした瞬間、さっきまでの感動の涙がすべて乾き果て、私の腹筋が朝から完全に崩壊した。
コックシューズの3つの穴の奥、剥き出しになったクソジジイの足の指。
信じられないことに、その足の指にだけは、ガチで缶ジュースのプルタブがガッチリとはめ込まれていたのだ。
(いや、鈴木さん!!!プルタブ、ハメとったわ!!!手じゃなくて、足の指にガッツリとはめ込んどったわあこのクソジジイ!!!!!)
私の脳内が、今日一番の激しいツッコミを炸裂させる。手首には本物のプラチナリング、足指には本物のアルミのゴミ。あまりにも格差が激しすぎるアクセサリーのハイブリッドに眩量がしてくる。立場上、直接突っ込めないのが本当にもどかしい。
しかし、今日のクソジジイの「暴走」は、足指のプルタブ程度では終わらなかった。
「・・・・・・あつい、ナメ」
小丸さんはボソッと呟きながら、汚れた白衣の前ボタンを乱暴にブチブチと外し始めた。
(おい嘘だろ、また脱ぎ出すなよ!湿布将棋盤も昇り流ももうお腹いっぱいだわ!!)
私と鈴木さんと佐藤さんが、条件反射で一斉に身構え、ゴクリと息を呑んだ、まさにその瞬間だった。
はだけた白衣の下、小丸さんの広く丸まった胴回りに、何やら大きな丸いプラスチックの輪のようなものが、ガッチリと、不気味に巻きついているのが見えた。
(・・・・・な、何あれ。今度は一体どんな呪いの装備だよ!?嫁から逃げるための隠密工作か、あるいは自作の浮き輪か何かなのか・・・っ!?)
厨房の全員が、そのただごとではない胴回りの異物に完全に恐怖し、ガタガタと震えながら静まり返った。
すると、クソジジイは内股をさらにモジモジさせながら、虚空を見つめてボソッとじられない一言を放ったのだ。
「・・・・・・これ、だいえっと、ナメ。さいきん、おなか、でてきた、ナメ」
(ただのフラフープダイエットかよオオオオオオオ!!!!!そこだけ急に一般人みたいな健康意識に目覚めるなアアアアア!!!いつも残飯漁りしてるくせに何フツーに中年太り気にして大真面目にフラフープ巻いとんだよ!!!!!)
私の脳内が、厨房の天井を粉々に粉砕するほどの勢いで脳内大絶叫を炸裂させ、その場にいた鈴木さんも佐藤さんも、あまりの「真面目な肩透かし」にガクーーーッと膝の力を抜いて、調理台に突っ伏して同時に激しくズッコケた。
(っていうか、フラフープはベルトじゃねえだろォオオオオ!!!!!!どんなサイズ感の胴回りしてんだよ!!!!!完全にピチピチのコルセットみたいになってんじゃねえか!!!!!)
間髪入れずに放たれた二の矢のツッコミ。常人離れしたビジュアルをこれでもかとフル装備しておきながら、胴回りに宿した目的も使い方も致命的に狂っている。そのすさまじいギャップとくだらなさに、私の頭痛はすでに臨界点を突破していた。
調理台に突っ伏したまま、おたまを冷やし中華のタレの中にポチャンと落とした鈴木さんは、「・・・・・・アホくさ。まーた深読みして損したわ。おい山田くん、もう仕込み戻るぞ」と、呆れ果てた笑い声をあげてフラフラと作業を再開した。
佐藤さんもさっきまでの静かな怯えが嘘のように「もう、本当に人騒がせなハゲなんだから!ダイエットする前にキャベツもっと細く切りなさいよ!」と、クスクス笑いながら勢いよく皿洗いに戻っていった。
「さいれんと、ナメ・・・・・・・」みんなを本気で恐怖させ、最後はいつも以上の呆れ顔でスルーされたリアクションに大満足したクソジジイは、白衣をはだけたまま、お腹のフラフープを『無言」で、ゆらゆらと不気味に高速回転させ始めた。
コックシューズと靴下の穴を完全にシンクロさせ、足元の信号機ポールをパカパカと点滅させながら通気性抜群の作業を続けるクソジジイと、それをただ静かに見流す厨房の大人たち。
その姿を見つめながら、新人の私(山田)の脳内だけが、今夜の悪夢に出てくるモノクロパンダカラーの達筆な豚が、フラフープを口にくわえて突進してくる様子に恐怖するのだった。




