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11 守りたかったもの

 翌朝、大公の執務室で、一同は応接椅子に腰を下ろした。大公が人払いを済ませると、ジルベールは静かに真実を語った。


 四年前、国王はクロウリー伯爵の手によって毒を盛られていた。だがそれが明らかになったのは後のことで、当時、原因不明の病に苦しむ国王を案じる王妃とジルベールに対し、伯爵は治療薬を安定して供給すると申し出ていた。その条件として提示したのが、娘リリスとジルベールとの婚姻だった。ジルベールは拒否していたが、日を追うごとに衰弱していく国王の姿を見て、苦渋の末にそれを受け入れた。伯爵の治療薬は、一時的には国王によく効いていたからだ。


 だがこれが、伯爵の本当の狙いだった。強大な軍事力を抱えるヴァレンタイン公爵家が領地へ去ったのを機に、伯爵は一気に武力行使に打って出た。伯爵は最初から、国王の命を弄びながら、タイミングを冷酷に計っていた。そしてクーデターは成功する。

 両親を同時に殺害され、ジルベールは退路を断たれた。それでも最後まで剣を取り、王宮を守るために戦った。しかし、すでに反乱軍は王都を掌握し、勝敗は決していた。捕らえられたジルベールに、伯爵はすべてを明かした。国王の専属医の一人は伯爵の手の者であり、毒と治療薬の両方を操っていたのだと。

 伯爵は、予定通りリリスと婚姻し、自分に従うなら命だけは助けると言った。ジルベールはそれを拒否。たった一人、生き残っていた従者に毒を用意させ、自らそれを飲んだ。


 ジルベールは知らなかった。その毒が、死をもたらすものではなく、仮死状態に陥らせるだけのものだったことを。

 クーデターで積み上げられた死体置き場へ運ばれたジルベールは生きていた。息を吹き返し、助けに来た従者によって、その場から連れ出される。だが混乱の中負傷していた従者も、毒の影響があったジルベールもまともに動けず、運悪く二人は、クーデターで傷ついた兵士を狙う奴隷商人に捕縛される。そのままジルベールは闘技場の奴隷へ堕とされた。それ以後従者に会うことはなかった。


 まるで他人の身に起きた悲劇であるかのように語るジルベールを、ディアンヌは胸が張り裂けそうな思いで見つめていた。自分を遠ざけた理由も、彼がどれほどの地獄を生き抜いてきたのかも、すべてが明らかになった。あふれそうになる涙を、ディアンヌは唇を噛んで必死に堪えた。


「……毒が盛られていたことを見抜けていれば。医師を変えていれば。クロウリーの提案を拒否していれば。もっと早くに、アルベール大公家やヴァレンタイン公爵家に助けを求めていれば――」


 ジルベールは感情を失ってしまったかのように、淡々と言葉を重ねていた。


「奴隷の身に堕ちて、ずっと考えて、それから理解しました。失ったものは、もう戻らないのだと」


 大公妃が立ち上がり、ジルベールの前までいくと、彼の頭を抱えるように抱きしめた。嗚咽しながら、大公妃は精一杯の声を出す。


「……ジルベール、生きていてくれてありがとう」

「叔母上……」


 次に立ち上がったのは、最も年若いトリスタンだった。


「失ったものが戻らないなんて、そんなことはありません。王位は、ジルベール殿下が継ぐべきです。僕ではない」

「いいえ」


 それを否定したのは、他ならないジルベールだった。ジルベールは、自分から体を離した大公妃とトリスタンの顔を見て、はっきりと答えた。


「私は国を守れず、死を選びました。王位に就くべきではない。この国に必要なのは過去ではなく、未来です」

「……(にい)様」


 かつてジルベールを兄のように慕っていたトリスタンは、今にも泣き出しそうな顔になった。

 大公が立ち上がり、大公妃のそばに来ると肩を抱いた。それから大公は父とエドワール、そしてディアンヌに向けて頭を下げた。


「ジルベール殿下を見つけ出し、救ってくれたこと、改めて礼を言う」


 父は大公夫妻に一礼を返すと、皆が再び肘掛け椅子に戻るのを待ち、当時を振り返るように話し始めた。それは、ディアンヌにとっても初めて耳にする事実だった。


「クーデターの直後、我が城へジルベール殿下の従者だという男がたどり着き、ジルベール殿下が生きていると言い残して息絶えました。クロウリーの罠とも考えられ、秘密裏に探るほかありませんでした。おそらくあの従者は、奴隷商人の手から逃れ、ジルベール殿下のために最後の力を使ったのでしょう」


 父の話を聞いた時、ジルベールの瞳が大きく見開かれ、膝の上で固く握りしめた拳が震えたのが見えた。


「……マルセル」


 その名を呼んだ声は、過去を語っていた時の静かな声とは違っていた。きっと知らなかったのだろう。最後まで自分を守ろうとしていた従者の結末を。


「マルセルという名でしたか。こちらで弔っておりますゆえ、墓石に名を刻んでやるとよいでしょう」


 ぐっと唇を噛んで頷いたジルベールに、父はまっすぐな視線で続けた。


「両陛下を、そしてジルベール殿下をお守りできなかったことは、臣下として私にも責があります。ジルベール殿下が望まぬ限り、我が公爵家で保護を続けるつもりでした。ですがジルベール殿下は、自らここへ来られた。今はどう思われているのですか」


 ジルベールは少し視線を落とした。


「……公爵家に守られて、それでもただ生き長らえていただけでした。私は失われた過去の残滓にすぎず、死ねなかったから生きているだけで、未来を望むことなどできないと。けれど――」


 短い沈黙の後、ジルベールは吐息をこぼすように言った。


「諦めきれませんでした。失ったと思っていた自分が、まだ残っていることを知りました」


 そこで言葉を切って、ジルベールはすっと視線を上げた。その金色の瞳に、かつてディアンヌが愛した人の光が戻る。

 傷つき、諦め、それでもなお消えなかったもの。ジルベールは今、それをようやく自分自身に許したのだ。


「自分の死ぬ場所は、自分で選びたい。マルセルが命を懸けて繋いでくれ、公爵家が救い出してくれた命を、もう一度この国へ捧げる」


 ディアンヌの隣で、父が立ち上がった。父は胸に手を当て、ジルベールに向かって深く頭を下げた。エドワールと、そして涙を浮かべたディアンヌもそれに続いて礼を捧げた。


「我がヴァレンタイン公爵家は、尊き血筋とその覚悟に忠誠を誓います」


 父は顔を上げて続けた。その声は、力強くあたたかいものだった。


「ジルベール殿下。死ぬ場所などと、仰らないでください。死なせはいたしません。我々がお守りいたします。今度こそ、必ず」

「公爵――」


 ジルベールが唇を引き結んで、それからゆっくりと頷いた。その様子を見届けた大公妃が、涙の痕が残る顔を上げ、凛とした声で言う。


「トリスタンとディアンヌ嬢の婚約の話は、白紙に戻します。トリスタン、いいですね」

「はい。異論はありません」

「そうであっても、アルベール大公家とヴァレンタイン公爵家の絆は確固たるものと確認できました。国王派をまとめ、簒奪者を王都から排除します。我が兄と義姉(あね)の仇、必ず討つのです」


 もう、すれ違うだけの過去は終わった。

 ディアンヌはまっすぐにジルベールを見つめる。ジルベールもまた、その金色の瞳に確かな光を宿し、ディアンヌを見つめ返した。

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