第7話 あなたが英雄じゃなかったなら、
「オレ、ぜったいにお前のとこに戻ってくるから。だから……。だから、次もこの場所で会おう! ――約束だからな!」
王都の中心。突然の別れに泣きじゃくるわたしに向かって、幼い彼はそう言った。それが無謀な約束だっていうことはきっと二人ともわかってて。だけどわたしは、そんなか細い約束に縋ることしかできなかったのだ。
「……うん。ぜったいぜったい……、約束だからね。アル!」
今でもずっと、絡めた小指の温度を思い出す。あの時わたしが無理やりにでも彼を引き止められたなら、彼は今もわたしの隣にいたのだろうか。
彼の名はアレクシス。救世の英雄であり、わたしの――幼なじみだった。
◇◇◇
埃の積もる、薄暗い資料室。誰もいないその部屋で、わたしは机に置かれた木箱を開けて丁寧に並べられた水晶に魔力を込める。瞬間、駆動音とともに、映像が空中へと浮かび上がった。
『――もしもこの話に文句があるなら。僕に直接言いに来いよ』
『我々はいつでも君を待っている』
『あなたの作った平和な世界は、私たちが守るから。安心していてね』
救世の英雄、そう呼ばれる彼らの取材映像を、わたしはぼうっと眺めていた。魔王討伐の記念として撮影された勇者一行のインタビュー。彼らの取材の多くは、勇者アレクシスについての証言が占めている。
彼らが語るのは、――わたしの知らないアルの姿だ。
ぱち、という照明の音ともに、誰かが近づいてくる音が聞こえる。振り返ると、そこに立っていたのはよく見知った人物だった。
「あれ。ジゼルさん、そんなとこで何してるの? もうみんな帰ったよー?」
「すみません、編集長! つい映像に見入っちゃって……。すぐに出ますね!」
きょとんとする上司に向かい、わたしはにこりと微笑んだ。わたしが見ていたものがインタビューの記録映像だと気付くと、彼は納得したように小さく頷く。
「あー……、そっか。インタビューの投影、明日からだもんね。最終確認?」
「えっと、そんなとこです。不備がないかなーって気になっちゃいまして」
わたしの返答を聞くと、編集長は頭上の映像に視線を向け笑みを浮かべた。その笑みは、どこか晴れ晴れとして見える。
「そうだね。きっとこれは歴史的な映像になる。僕らも気を抜かないようにしないと。……それにしても、ジゼルさんは感慨もひとしおなんじゃない? ほら、勇者一行を一番追ってたのはジゼルさんだしさ」
「……あはは、そう、ですね」
編集長の言葉の通り、わたしは勇者一行の記事を数多く書いてきた。勇者一行が旅に出た当初は国民もみんな勇者に期待なんてしていなくて、わたしはそれが気に入らなかった。
だから少しでもアルを励ましたくて。アルはすごいんだぞって伝えたくて。アルに救われた人の言葉が彼に届けば、少しは彼の力になれると思って。
――わたしは筆をとったのだ。
「だからさ、本当はジゼルさんがインタビュアーの方がよかったと思うんだけど……。本当に辞退してよかったの?」
「はは、ほんとはわたしもそうしたかったんですよ? でも……、直で会ったりしたら緊張で何も話せなくなっちゃいますから」
そんなの全部建前だけど、と内心で呟いて、横で笑う編集長から視線を逸らす。わたしがインタビュアーを辞退したのは、直に会ってしまったら、わたしは口汚く彼らを罵ってしまうと思ったからだ。どうしてアルが死ななければならなかったのか、どうしてアルばっかりが、と八つ当たりをしてしまうと思ったからだった。
「そっかそっか、……でも仕方ないか。ジゼルさん、勇者一行の大ファンだもんね」
編集長の言葉に、わたしは曖昧な笑顔を返す。ファン、なんて軽い言葉で表せるほど、わたしがアルやその仲間に向ける気持ちは綺麗じゃなかった。だって今でもわたしは、アルの最も近くにいた彼らが泣かないことを、薄情だとすら思っているのだ。
編集長と普段通りに別れの言葉を交わし、わたしはひとり家路を急ぐ。王都中の皆が戦勝記念祭の前夜に浮かれていて、街角ではそこかしこで明るい笑い声が響いている。世間は勇者の犠牲を受け入れて、新たな平和を受け入れ始めた。だから。
きっとわたしだけがずっと、――王都にアルの訃報が届いたあの日に取り残されていた。
◇◇◇
太陽が辺りを照らし、爽やかな風が心地いい、よく晴れた朝。戦勝記念祭はその幕を開けた。街は人々の歓声や高らかな楽団の演奏が響き渡っていて、大通りには数え切れない程の露店が軒を並べている。
「……す、すごい人の数だぁ」
その人混みは、八年ほど王都に住んでいるわたしでも経験したことがないほどで、わたしはぐるぐると目を回してしまう。やっとのことで買えた果実水を手に、中央通りの勇者像の隅に滑り込む。こくと果実水をひとくち飲み込むと、薄い果実の風味が口に広がって、わたしはむっと眉を寄せた。
「……おいしくない。このお店、ケチりすぎだよ。せっかくのお祭りだっていうのに」
ぼったくりだ、とぶつぶつ文句を言いながら、わたしはふとアルだったらなんて言うだろうと考える。
「『うげ、ハズレだ。……仕方ないし、早く次の店いこうぜ』とかかなぁ」
くすくすと、アルのひどい表情を想像してわたしは笑う。
気分を変えようと出てきたはずの祭りでも、考えてしまうのはアルのことばかりで。あの屋台の串焼き、アルが好きそうだなとか。あの腕輪、アルに似合うかなとか。そんなこと、ばっかりで。
「……だめだなぁ、わたし。ずっと……、アルばっかりだ」
小さい頃の約束なんてアルも覚えてないかもしれないのに、ずっと縋って。たまに届く手紙をまだかなと待ちわびてしまう。アルの笑顔がどうやっても離れてくれなくて。ふとした瞬間に、アルのことを思い浮かべてしまう。ふらっと、なんでもないみたいに現れてくれるんじゃないか、なんて期待してしまう。
「勇者になんて……、ならなくてよかったのに」
ぽつ、と小さく声が零れる。だめだ、と思っても、一度溢れた感情は、堰を切ったように零れ落ちていく。
――あなたが英雄じゃなければよかった。
だって、あなたが英雄じゃなければ、あなたは今もわたしの隣で、果実水がまずいって、この串焼きおいしいって、そんなくだらない話で笑ってくれていたかもしれない。
魔王の被害なんてどこか遠くのことのように聞き流して。今日の晩御飯はどうしようってそんな話ができたなら。
わたしはそれで十分だったのに。
握りしめた果実水のカップ。薄く色付いた水面に、ぐしゃぐしゃに歪んだわたしの顔が映りこんだ。自分でもひどい顔だって、わかってる。だけどもう、抑えられなかったんだ。
「……あい、たいよ……。アル……っ!」
遠くではインタビューの映像が流れていて、それを喜ぶ人の声が聞こえる。勇者のアルを語る言葉を聞き流しながら、わたしはひとり嗚咽を漏らした。体に力が入らなくって、おもわずその場にしゃがみこむ。
「うそ、つき。ここで会おうって、……約束、したじゃん。アルの……、ばか……っ」
子どもみたいに、八つ当たりを繰り返す。いいじゃん。アルは勇者で、世界を救った英雄で、みんながアルを尊敬してる。わかってるよ。アルはみんなを救ったって。
だけどそれじゃあ、誰がアルを救えるの? アルの幸せを、願っちゃだめなの? アルにも笑ってほしいのは、わがままなの?
――そのときだった。
「誰が馬鹿だよ」
突然頭の上から、知らない人の声が降ってきて。でも知らないはずのその声が、どうしようもなく懐かしくって。
わたしは弾かれたみたいに顔をあげる。涙で歪んだ視界の中で、見覚えのない茶色い髪が、揺れる。その中心で、忘れられるはずない太陽みたいな、蜂蜜みたいな、優しい金色の瞳が輝いて――。
「……約束、したろ? ただいま、ジゼル」
わたしのくしゃくしゃな顔を見て、彼はうれしそうに微笑んだのだ。
次回、最終話です。ジゼルの元に現れたのは誰なのか。そして、勇者の死の真相とは。
ぜひ、最後までお楽しみください!
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