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魔法使いと皇の剣  作者: 123
3章 神の肉
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プロローグ

 レグラス・オーデントは、幼い頃から胸の奥に重い石を抱えて生きてきた。それは、自身の存在そのものに対する疑念と劣等感だった。


 父でありオーデント王国の統治者であるハンベルグ・オーデントの第二子として生まれた自分


 しかし、兄であるアーベン・オーデントのような知性や政治力もなければ、弟のケイオス・オーデントのような卓越した武力とカリスマも持ち合わせていなかった。


 彼が努力を重ねても、その成果は常に兄弟たちの影に埋もれてしまう。どれほど剣術を磨いても、弟の武勇には及ばない。どれほど書物を読み知識を深めても、兄の洞察力には敵わない。



「なぜ自分だけが…」


 その問いは、常に自分を縛り付けているようだッた。

 父ハンベルグの厳しい眼差しも、その要因だった。


 幼い頃、父に褒められる日を夢見て奮闘してきたが、その夢は叶わないまま、歳月だけが過ぎていった。


 ある日、宮殿の庭園で一人黄昏ているレグラスのもとに、侍女のエリシアが近づいてきた。彼女は幼い頃からレグラスに仕え、ただ一人彼を「普通の人間」として接してくれる存在だった。


「レグラス様、今夜の舞踏会の準備はいかがなさいますか?」


「舞踏会か…。兄と弟が輝く場で、俺が行く意味などあるのか?」


 彼の自嘲的な声に、エリシアはため息をついた。



「レグラス様、私はあなたが兄君や弟君に劣っているとは思いません。それに…」


「それに?」


 彼女は少し言い淀んだ後、そっと囁くように続けた。


「あなたがお優しい心を持っているのは私は知っております」


 レグラスは目を細めた。優しい心など、武勇や知性の前では何の役にも立たないと、自分では思っていた。


 しかし、エリシアの言葉にはどこか揺るぎない確信があった。


「優しい心か…。それが何の役に立つ?」


「役立つかどうかは、レグラス様次第です。でも、誰かを導く力は、優しさがなければ持つことはできません。」


 エリシアの言葉に、レグラスは答えられず、視線を下に落とした。


 自分にはわからない。誰かを導く力など、兄と弟にこそふさわしいものだろう。


 しかし、エリシアはそれ以上は何も言わず、微笑みを残してその場を去った。


 レグラスはそれ以降も悩みをエリシアに話し、エリシアはレグラスの重しを溶かしっていた


 二人の子供が生まれてからも。


 子供が生まれた頃、自分の人生には新たな意味が芽生え始めていた。


 子供たちの純粋な笑顔や、小さな手で彼の指を掴む感触は、レグラスの心に灯をともすような感覚をもたらした。


「お父様!見て、剣を振れるようになったよ!」


 長男のライナスは、父の剣術練習を見て真似をし、小さな木剣を振り回していた。


 その姿を見て、レグラスは微笑を浮かべた。かつて自分が父の期待に応えようとして必死だった頃を思い出しながらも、ライナスには「無理をさせたくない」と心から願った。


「お父様、私はお花の冠を作ったの!一緒に遊ぼう!」


 次女のメリアは庭で摘んだ花を繋げて冠を作り、レグラスの頭に乗せた。


 その小さな手の温もりを感じながら、彼は自分が父から受けた厳格さとは異なる形で愛を注ぐことを決意した。


 エリシアもまた、子供たちに向けるレグラスの優しさを誇らしく思いながら見守っていた。


 彼の中にあった劣等感の重しは、少しずつ薄れていった。彼が自らを比較する対象は、もはや兄や弟ではなく、目の前の家族だった。レグラスにとって重要なのは、子供たちの成長を支え、彼らの未来に希望を託すことだった。


 しかしレグラス達は王国から離れた領土でひっそりとした暮らしをするしかなかった。侍女との婚姻は父だけでなく、兄弟や貴族達からも否定されていたからだ


「レグラス、お前は王家の一員だ。その自覚が足りないのではないか?」


 父ハンベルグの声は冷たく響いた。


 幼い頃から聞き慣れたその声は、今やレグラスにとって痛みそのものだった。


「身分を弁えない者を王族の妻に迎えるなど、国の恥になる。」


「父上、エリシアはただの侍女ではありません。」


 レグラスは胸を張って言い返した。


「彼女は、私の…唯一の支えです。」


 その言葉にハンベルグは眉をひそめ、苛立ちを隠さなかった。


「支えだと?王族が平民に頼るなど、愚の骨頂だ。お前にはもっと国に貢献する方法を考えるべき使命がある。己の感情だけで動いてはならん。」


 兄アーベンは困ったにような笑みを浮かべ静かに口を開いた。


「レグラス、私たちが背負うべきものは個人の幸福ではない。お前がエリシアを想う気持ちは理解するが、国のために犠牲にする覚悟もまた必要だよ。」


 そんな中、弟ケイオスは、まるで獲物を見る目で冷たくレグラスに言い放った


「兄上、侍女を娶るのはどうでもよい。だが貴方の妻は信仰者ですな?」


 その言葉に、空気が一瞬で凍りついた。弟ケイオスの冷たい視線がレグラスに突き刺さる。


「信仰者、だと?」


 レグラスは眉をひそめながら問い返したが、その声には明らかに動揺が滲んでいた。ケイオスは口元に不敵な笑みを浮かべる。


「そうだ、兄上。知らないとは言わせない。エリシアが信仰している神⋯慈愛のオルフィーナ。悪神とまではいかずとも、我らが今現在、戦をしているホイスタリン⋯いや、暴食の神と同じく忌々しい神だ」


 その言葉は、レグラスの耳に鈍い衝撃となって響いた。


 エリシアが信仰している「慈愛のオルフィーナ」が、国家の敵対者であるホイスタリン国――暴食の神グルンと同じ異端の枠組みで語られることを、彼自身も危惧していた。


 しかし、ケイオスの冷酷な指摘が、真実を容赦なくさらけ出したのだ。


「エリシアが…神を信じて何が悪い?確かに暴食の神グルンは忌むべき物だ、だが慈愛のオルフィーナ様が何をした?同じ神だからか?そんな馬鹿な話が…」


 レグラスの声は震えていた。エリシアが語る慈愛の教えは、決して国に害をなすものではなかったはずだ。むしろ、彼女の持つ慈悲と優しさこそが、レグラスを救ってきた。


 だが、王家や貴族たちにとっては「事実」こそが問題だった。


 ケイオスはさらに追い打ちをかけるように言葉を続けた。


「兄上、今やこの国は神から独立して人の世を築く始まりの国へときています。民の目は厳しい。もし我らの血筋に神への信仰が入り込めば、国は神からの独立に歩めない。兄上がそれを望むというのなら…愚か者の極みです。」


 レグラスは反論したかった。

 だが、言葉が喉に詰まったように出てこない。彼が抱える葛藤を見透かしたかのように、ケイオスは嘲笑交じりの声をあげた。



「あなたが守りたいのは何ですか、兄上?もし私の道に立ちはだかるのならば例え血を分けた兄弟であろうと⋯剣の錆にする迄だ」



 レグラスは、ケイオスの冷たい言葉に鋭く胸を刺されたような感覚を覚えた。その場を取り巻く空気は張り詰め、誰一人として口を開こうとしない。


 兄アーベンは何かを期待している眼差しで静観していたが、父ハンベルグの表情は間違えなく自身を心配している物だった。久しく感じていなかった父を感じ取り、レグラスは深く息を吸い込んだ。


 そして、胸の奥に渦巻く劣等感や迷いを押し込みながら、自分の中で一つの決意を固めた。


(もう、逃げるのはやめよう。)


 レグラスは静かに立ち上がり、広間に張り詰めた空気の中、自分の声が震えないよう努めた。


 レグラスはまず、弟ケイオスの鋭い視線に向き直った。


「ケイオス、お前の言う通りだ。私は弱い。剣もお前には敵わず、知性も兄上には及ばない。だが、だからこそ私はこうして立ち向かうのだ。」


 話す言葉には不思議と力がこもっていた。


 冷笑を浮かべていたケイオスも、ほんの一瞬だけ表情を引き締め


「お前の言葉にある通り、この国は神から独立しようとしている。それが国のためになるのならば、私も反対しない。だがな、ケイオス、もしこの国が強さを誇るあまり、慈愛や思いやりを失うのだとしたら、それはもはや私たちが守るべき国ではない。」


「慈愛だと⋯?」


 ケイオスの声には明確な嘲りがあった。


「そんなものはただ神に逃げた人間の言い訳だ。この世で生き残るのは己を信じれる強者のみ。その現実から目を背けるな、兄上。」


 レグラスはそれを受け流すように、小さく首を振った。


「自身を信じれる強者が生き残る。それは事実だ。だが、強者が人を導き守るためには、そこには誰かの優しさが必要だと、私は信じている。」


 レグラスはそのまま父ハンベルグに向き直った。その目には、久しく見せなかった決意が宿っていた。


「父上、私はこの場で誓います。エリシアを守り、その信仰がこの国に何の害も及ぼさないことを証明します。そして、ケイオスが言うような力の支配ではなく、思いやりと共存による国の未来を築きます。それが私の道です。」



 父ハンベルグは息を飲むようにレグラスを見つめた。


 その厳しい表情の中に、一瞬の驚きと喜びが垣間見えた。だがすぐに、それを覆い隠すように厳粛な声を発した。


「レグラス、お前の意志は理解した。だが、それを証明するには結果が必要だ。私は、お前の行動を見届けよう。」


 その言葉に、レグラスは深く頭を下げた。



 広間から退いた後、レグラスは冷たい夜風を浴びながら深呼吸を繰り返していた。


 胸の中に残る重い葛藤が完全に消え去ったわけではない。しかし、心には新たな炎が灯っていた。


「私は逃げない。自分の信じた道を貫く。」


 エリシアの元へ戻ると、彼女は不安げな表情で待っていた。

 だが、レグラスの顔を見るや否や、その不安は薄れ、彼の決意を感じ取ったかのように微笑んだ。



「エリシア、私はこれから証明する。この国が君と同じよう信仰を受け入れ、神と人が共存できる場所であることを。そして、それがただの理想論ではなく、現実になるということを。」


 エリシアは彼の手をそっと握りしめた。

「私は信じています、レグラス様。あなたが選んだ道が、きっと未来を変えると。」




 翌朝、レグラスは宮廷を出発した。


 その目的地はホイスタリンとの国境地帯――暴食の神グルンを信奉する勢力との戦火が続く危険な地域だ。そこで慈愛のオルフィーナを信じる人々が迫害を受けているとの報告があった。


 レグラスは、エリシアの信仰が「異端」ではないと証明するため、まずその現場に立つことを選んだのだ。


 レグラスの旅は、苦難と孤独との戦いだった。


 レグラスは近衛兵達をつけずに赴いていた。これは自らの決意を示すための試練でもあったからだ。


 旅の途中で、飢えに苦しむ村人たちと出会った。暴食の神グルンを信奉する軍勢が村を襲い、食料を略奪したという。そして村人たちは国の守護も届かず、絶望の中で自らを飢えにおいやった、暴食の神に縋った


 レグラスはその場で宣言した。



「私はオーデント王家のレグラス・オーデントだ。この村を見捨てることはしない。共に立ち上がろう。」


 最初はレグラス信じる者は少なかったが、レグラスの行動は次第に人々の心を動かした。


 自らの食料を分け与え、村の防衛を指揮し、力のある者を募って小さな自警団を結成した。


 そして、数日のうちに再び村を襲おうとした略奪者たちを撃退した。


 その噂は瞬く間に広がった。


「王家の忘れられた第二王子が、民を救った」と。


 レグラスの行動に心を動かされた近隣の村々からも、協力を申し出る者が現れた。


 レグラスはただ剣を振るうだけではなく、村人たちの声に耳を傾け、共に戦略を考え、共に苦しみを分かち合った。


 ある夜、村の長老が彼に語りかけた。


「殿下、私は長年この村で生きてきましたが、王家の方がこのような辺境の地で、私たちに寄り添う姿を見たのは初めてです。あなたこそ、慈愛の象徴⋯この国の未来を導く方なのかもしれません。」


 その言葉に、レグラスはただ静かに微笑み、答えた。


「私が導くのではありません。この国を変えるのは、共に歩む私たち全員です。」



 レグラスの活動は徐々に規模を広げ、やがて暴食の神グルンを信奉するホイスタリンの軍勢と対峙することとなった。


 圧倒的な数の敵を前に、村人たちは怯えたが、レグラスは静かに言葉をかけた。


「私たちが戦う理由は憎しみではない。この地を守り、未来を築くためだ。共に立ち向かおう。」


 その言葉に鼓舞された人々は、自らの力を信じて立ち上がった。レグラスの指揮のもと、彼らは巧妙な戦術を用いて敵軍を打ち破り、ついに国境地帯の平和を取り戻すことに成功した。


 その後ホイスタリンはケイオス率いる七騎士による圧倒的な武力によって滅ぼされた。


 その知らせは、国境で平和を取り戻したばかりのレグラスにも届いた。


 だが、その勝利の影には多くの無実の命が犠牲となったことも伝えられていた。


 レグラスの心は重く沈んだ。彼が目指したのは、暴力によらない未来だった。


 しかし、現実は力による支配が続き、慈愛の信仰者たちへの迫害はむしろ強まっていた。


 数日後、ケイオスがホイスタリンから帰還するとの報が入り、レグラスは宮廷で再び弟と対面することとなった。


 広間に現れたケイオスは、勝利の余韻を漂わせながら堂々とした足取りで進み出た。


 彼の鎧には未だ戦の痕が残っており、背後には彼の率いる七騎士が控えていた。その姿は、まさに武の頂点を体現していた。


「兄上、私の勝利を見届けてくれたか?」

 ケイオスの言葉には誇りが満ちていた。


 レグラスはゆっくりと立ち上がり、弟を見据えた。その目には静かな怒りが宿っていた。

「ケイオス、お前は勝利を得た。しかし、その代償としてどれだけの命が失われたかを理解しているのか?」


 その言葉に、ケイオスは眉をひそめ、冷笑を浮かべた。

「兄上、戦に犠牲はつきものだ。それを受け入れられぬ者に王族としての資格はない。」


「犠牲を受け入れることが王族の務めだと?」

 レグラスの声が広間に響く。


「その剣や七騎士が持つ武具がお前の言う務めか⋯!」


「ならば、私はそんな務めを拒否する。お前の力による支配がこの国を守る方法だと言うなら、私は違う道を行く。民を守るのは剣ではなく、共に生きる希望だ。」


 ケイオスは目を細め、一歩前に進み出た。


「兄上、貴方は無知だ⋯そして弱い。だからこそ優しさにすがり、優しさを渡そうとする。だが気づくべきだ。その場を取り繕った優しさ⋯甘さが既に神に歪められた慈愛だと言うことに」



 レグラスはケイオスの冷徹な言葉に対し、わずかに息を飲んだ。しかし、その目には迷いではなく、強い光が宿っていた。広間の静寂の中、レグラスは一歩前に進み、ケイオスの鋭い視線を受け止めた。


「歪められた慈愛だと言うのか?」


 ケイオスはその言葉に鼻で笑いながら、もう一歩近づいた。その動きには獲物を狙う獣のような鋭さがあった。


「兄上、貴方が握るその幻想は、この国に現実をもたらす剣よりも脆い。優しさが通じる相手など、世の中には一握りしかいない。そして、優しさに縋る者は、強者に屈するだけだ。」


 レグラスは毅然とケイオスを見返し、言葉を重ねた。


「確かに、優しさだけではすべてを救えないかもしれない。それでも、私はそれを捨てるつもりはない。剣で築く秩序は、恐怖による服従に過ぎない。恐怖はいつか反逆を呼ぶ。だが、優しさと共に歩む者は、信頼を築くことができる。それこそが、真の強さではないのか?」


 ケイオスの瞳が鋭く揺らいだ。それは怒りとも、失望とも取れる色を帯びていた。



「兄上、私が言いたいのはこうだ――優しさは力が伴わなければ意味を成さない。貴方が信じる慈愛も、神の信仰も、この現実において何一つ価値を持たない。」


 レグラスは一瞬言葉を失ったが、すぐに深く息を吸い、答えた。



「ケイオス、お前の言うことには一理ある。だが、私は信じている。力のない者にも声を上げる権利があると。そして、その声を守るのが王族の務めだと。」



 ケイオスは沈黙を保ちながら、じっとレグラスを見つめた。その瞳の奥にある感情は読めなかったが、やがて彼は小さく嘲笑を漏らした。



「兄上、私たちの道は違うようだな。だが、覚えておけ。現実は理想を簡単に打ち砕く。それが分かった時、貴方がどれだけのものを失うのか、見届けさせてもらう。」



 そう言い残し、ケイオスは広間を後にした。その背中には冷酷な決意が刻まれていた。



 その後、父王ハンベルグが病には倒れ後継者に指名したのは⋯第三王子ケイオス・オーデントだった。


 そしてレグラスが家族のもとに戻ったとき、目に飛び込んできたのは、かつての幸せな家族の面影を全て打ち砕く光景だった。


 その地は廃墟と化していた。エリシアが愛情を注いだ庭園は荒れ果て、子供たちが駆け回った家は炎で焼かれ、黒い煙の痕跡が残るだけだった。


 レグラスは茫然と立ち尽くし、震える手で焼け跡を掻き分けながら叫んだ。


「エリシア!ライナス!メリア!」


 しかし、応える声はどこにもなかった。

 残っていたのは、彼らの愛用品や子供たちが残した落書き、そして荒れた部屋に刻まれた凄惨な後だった。


 レグラスは叫び、その後彼を見たものはいなかった。

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