森のウサギ
ミエラは枯れ木を拾いながら、小さく溜息をついた。アルベストに上陸して最初の夜を迎えようとしていたが、この辺りには町の気配どころか、動物の姿すら見当たらない。
小船で岸を探していた一行は、なかなか降り立てる場所が見つからず、ジンの提案で近くの岩壁を登ることにした。だが、これが誤算だった。
岩壁を登る間、ジンが背にミエラを乗せてくれたため、彼女自身に負担はなかったものの、辿り着いた先は、海から見えていたあの深い森だった。
「森なら食料には困らないだろう」と、ジンとアイリーンは楽観的だった。だが、日が暮れかけた今、彼らが出会った生き物は、ただの虫ばかりだった。
ミエラは焚き火の準備をしながら、深い森に目を向けた。薄暗い木々は、不気味に静まり返っており葉擦れの音と、遠くから聞こえる風の音だけが耳に届いていた
「ここ、本当にアルベストなんだよね…?」
ミエラがぽつりと呟くと
器用に草木と石の間を刀で何度も弾けさせ、火をつけたジンは、顔を上げずに応える。
「おそらくな。だけど、地図もないし、今日はここで一晩過ごすしかない。」
近くでジンの剣を見ていたアイリーンは
「あんた⋯。それ神様の力が宿ったって言われてる剣でしょ? そんな雑に扱ったら呪われるわよ」
呆れたようにジンに語りかけ
ジンは火にミエラが集めた枯れ木を焚べながらアイリーンに「もう呪われてるから大丈夫だよ」と笑顔で返していた。
そんな軽口を叩きあう、楽観的な二人をみてミエラは改めて溜息をついた。
船で上陸したときは、もっと希望を抱いていたはずだ。せめて村か町が近くにあるだろうと考えていたが、現実はただ深い森と薄暗い空が広がるばかり。
皆焚火を囲い、暖を取り始めるとアイリーンが口を開いた
「それにしても、動物の気配が全然無いなんて…やっぱり変じゃない?」
ミエラも同じ疑問だった。本来、森の中で心配しないといけないのは食料もそうだが森の生き物だった。特に未知の大陸で、どんな魔物もいるか分からない状況なのだから。
それがこの森の不気味さを象徴していた。
そんなアイリーンの質問やミエラの不安に対して
「いない方が安全じゃないか?」
ジンは軽く笑いながら返した。
「そういう問題じゃないよ⋯」
ミエラは呆れてジンを見たが、ジンは肩をすくめただけだった。
ミエラ達は船から持ってきていた、少ない食料で簡単な食事を終え、夜の見張りを交代で行うことにした。
焚き火の小さな明かりだけが、深い闇の中で頼りだった。森の静けさは夜が更けるにつれ一層深まり、耳鳴りがするほどだった。
ミエラは大きめのマントにくるまりながら、アイリーンに寄り添い、枝葉に覆われた空を見上げた。
星一つ見えない暗闇に包まれ、不安が静かに胸の奥で膨らんでいく。
「この森、やっぱり何かおかしい…」
ミエラの呟きにアイリーンは
「何か感じるの?」
「ううん、そういう訳じゃない⋯ただ何となくそう思っただけ、ごめんね。不安な事ばかり考えても仕方ないよね、まだ1日も経ってないのに」
アイリーンはそんなミエラを包むように身体を丸めて
「大丈夫、ここからよくなるはずよ」
と優しく励ました。
そんな二人を見守りっていたジンは
「最初の番は俺がするから2人とも話してないで、ちゃんと休んでくれよ」
ミエラとアイリーンはジンの言葉に頷き、焚き火の暖かさに包まれながら横になることにした。
いつの間にか、先程までの不安を忘れて、寝静まっていたミエラは揺さぶられた振動で目を覚ました
「ミエラ、おはよう。気持ちよさそうに寝てたから、躊躇したけど交代だ」
そう話すジンの声を聞き、ミエラはまだ辺りが暗いことで自身の状況に気づいた。
「ううん、有難う。ジンもゆっくり休んでね」
ミエラがお礼を言うと、ジンは短く返答を返して、
近くの木に寄りかかり座ったまま微動だにしなくなっていた。ミエラはそんな様子に器用だなと思いながらも自分が置かれている状況が一気に不安となり押し寄せていた。
ミエラにとって野営は始めての経験だった。
正確には安全ではなく、仲間もいる状況では
レミアの森にいた頃は修行の為、夜の闘いに備えての訓練で一人で過ごした事は何度かあった
だけども今や状況が違う、もし自分が寝てしまい何かの襲撃に対応できなければ、皆死んでしまう
ミエラは深呼吸をして、冷静さを取り戻そうとした。
暗闇に包まれた森の中で、自分が見張りを任されているという状況が、ミエラに大きな責任感を背負わせていた。
風が木々を揺らしているような音の中、何か別の音が混じっている事に
ミエラは思わず体をこわばらせ、音の方向に耳を傾けた。
「気のせい…じゃない」
音は次第に近づいてきているようだった。木々の隙間から暗闇が微妙に揺れ動いているように見える。ミエラは背筋を伸ばし、静かに立ち上がった。
ミエラが気配の行方を調べようとした時いつの間にか目を覚まして仲間達がそっとミエラの近くに寄り添っていた
「ジン⋯!アイリーン⋯!」
ジンは刀をいつでも抜けるよう柄に手をかけ
アイリーンも自身の巨大な弓を構えていた。
ジンは自分の口元に指を当てると、声を出さず
静かにとミエラとアイリーンに指示を出した。
音の正体が何なのかは分からないが、それがただの風ではないことは確かだった。焚き火を囲む安全圏の外に、何かがいる。
影はさらに近づき、ついに焚き火の明かりの端にその姿を現した。
「わぁ! ビックリした⋯やっぱり人間だった⋯ん? わぁ! りゅ、竜族!? なんでここにいるんだい?」
声の主は、ウサギだった。正確にはウサギのような顔だった。
黒いくりくりした目に、左右に垂れ下がった大きな耳
ミエラの股下くらいまでの大きさの生物は毛皮に覆われている身体に人のように服を着込み
ペタペタと大きな足を踏みしめながら、ミエラ達に二足歩行で近づいてきた。
「んー? なんだい君たち⋯誰も質問に答えてはくれないみたいだけど⋯これじゃ会話にならないよ⋯」
モフモフした両手を腰に当てて困ったように耳をパタパタしてる生き物にミエラは場違いながら可愛いと思っていた。
「いやだ⋯⋯可愛い~!」
そんな空気を壊すように、アイリーンの声が響くと
ウサギはビックリしたように
「わぁ!? なんだよ! いきなり大きな声を出さないでくれよ、君達と違って耳がよく聞こえるんだから~」
そんなウサギの反応に安心したミエラは
「あの⋯私はミエラと言います。私達はこの森で迷ってしまってここで野営をしてました。あの⋯貴方は何てお呼びしたら良いですか?」
ミエラの挨拶にウサギはやっと反応が返ってきたと喜び、耳をパタパタさせながら質問に答えてくれた
「ボクは見ての通り、兎属のムムムさ! 人間に竜族なんて不思議な組み合わせだね? 迷ったって言うけど、そもそも入れた事が不思議だよ」
ムムムの指摘に静かに話を聞いていたジンが
「遅れての挨拶、お許しください。私はジンと言います。ムムム殿の言われた、入れた事が不思議とは何故かお聞きしてもよろしいでしょうか?」
ムムムはジンの姿を見上げ、その視線を刀へと移し、まじまじ見ながら首を傾げ答えていた
「宜しくね、ジン。ここは昔人間の魔法使いがボクらの為に作り上げた、神様の力をもつ結界さ!」
ミエラはムムムの話を聞きながら成る程と理解した。
恐らく此処は結界、それも秩序の神の力によるものかと、魔物を寄せ付けない結界であり、魔物だけではなく他も寄せ付けない物だと。
ミエラはムムムの話を聞きながら、疑念と興味が交錯した表情を浮かべた。
秩序の神の力を宿した結界が存在していること自体、非常に特異であり、ただの人間がそれを作り上げたというのは、にわかには信じがたかった。
「でも、どうして私たちはここに入れたんでしょう?普通なら結界が外部の侵入を防ぐはずじゃ…?」
ミエラが恐る恐る尋ねると、ムムムは耳をピンと立て、少し考え込むような仕草を見せた。
「うーん、それがボクにもよく分からないんだ。でも、君たちがここにいるってことは、何かの理由があるんだと思うよ?」
ジンはその言葉に自分の刀を静かに見つめていた。一方、アイリーンはムムムの耳をじっと見つめ
「結界とかより、これ、触ってもいい?」
と、空気を読まずに手を伸ばそうとした。
ムムムはすかさず後ろに飛び退き、耳を振り回しながら
「触っちゃダメだよ!あと、爪怖い!」と抗議した。
「アイリーン、落ち着いて。ムムムさんが困ってるでしょ?」
ミエラが宥めると、ムムムはようやく安心したように体の毛を整えた。
その後、話は再び結界について戻った。
「何にせよ、ボクはもう家に帰るよ。君達の音をこの耳が拾ったから来たけど、何だか危ない人達でも無さそうだしね。」
そういい帰ろうとし始めたムムムに一同は慌てて呼び止め
「ま、まってムムムさん。私達此処から出て町にいきたいの!」
ミエラはムムムに頼み込んだ、話の内容から人間達が住まう場所や竜族がいる事等は確認できていた。
後はこの森の出口や町の場所さえ分かれば嬉しかった。
「それならウチにくる? この森の結界を抜けたら、それこそ魔物だらけの森に繋がってるし危ないよ?」
ムムムの提案に、ミエラたちは顔を見合わせた。
森を抜けた先が魔物だらけでは、さらに危険が増すだけだ。しかし、ムムムの住む場所であれば、少なくとも一時的な安全が確保できるかもしれない。
ミエラが口を開いた。
「ムムムさんのお家にお邪魔してもいいですか?安全な場所なら助かります。それに、この森についてもっと知りたいです。」
ムムムは耳をかきながら答えた。
「いいよー、だけど狭いし、あんまり豪華な場所じゃからね」
ミエラはムムムが不思議と嬉しそうな事に気づいた。
そう言えば昔何かで聞いた事があったと思い出していた。
ウサギは寂しがりやと。
ムムムが嬉しそうにしているのは、もしかしたら久しぶりに誰かと話をする機会ができたからかもしれない。ミエラはその様子に心が少し和んだ。
「ムムムさん、ありがとうございます。お邪魔させてもらいますね。」
ジンとアイリーンも頷き、それぞれ荷物を持ち直した。
ムムムは「じゃあ、ついてきて!」と元気に言いながら、小さな足で森の奥へと進み始めた。一行はその後を静かに追った。




