第53話『呼んで来ない知人、呼んでもない奇人』
およそひと月ぶりの対峙になるだろうか。重体のヴァンデロさんとニナを放り捨て、冷気をまとって現れた死の魔法使いに、私は震える声を発した。
「こ、交渉……ですか?」
本当は、問答無用で攻撃するべきなのかもしれない。だけど、魔法に触れて日の浅い私でもわかった。彼はもう、路地裏で高熱の苦しみに喘ぎ、ルカの不意打ちで死んだ少年とは違う。場を制する上位の存在の圧がある。
いま動ける最大人数は6人。数で言えばこちらが圧倒的に有利だけど――何か1つ間違えれば、1人以上の死者が出る。そんな予感がした。
とはいえ、何が間違いで何が正しいのか判断するのは、力の及ばない私には不可能なことだ。
出来るとしたら、死の魔法使いとなるべく穏便に話をし、稼いだ時間で仲間に対策を講じてもらうこと――私はなんとか心を落ち着け、会話で場をもたせようとした。
ところが、
「うん。それ、寄越してくれる?」
死の魔法使いが、身の丈より長い銀の杖で示したのは、私の手中の『星の杖』だった。思考が硬直する。ひと月前にも、彼に『星の杖』を要求されたことがあったけど……まさか、今度はヴァンデロさんたちの身柄と交換しようというのか。
「いっ……」
反射的に出かけた言葉を、歯を食いしばって止めた。
でも、嫌だ。どういう理屈かわからないけど、私は『星の杖』を失うと、みんなから私と認識されなくなるんだ。『ステラ』によく似た別人として扱われる。もう、あんな思いは2度としたくないんだ。
それに『星の杖』は、いろんな人が強力だと認める魔道具だ。きっとこれ1つ渡っただけで、今後の戦況が大きく変わる。死ななくてよかった仲間が死ぬかもしれない。今後と言わずここで裏切られ、皆殺しにされる可能性だってある。
だけど、どうする。渡さなければ彼の不興を買う。このまま戦いになれば、それこそ死傷者を出す羽目になるだろう。
「……っ」
違う。そもそも死の魔法使いは死なないんだ。ルカが路地裏で殺害したときも、首だけの状態で喋っていた。そうして今日、五体満足でここに現れた。彼が不死身なのは確かなんだ。
じゃあ、戦うだけ無駄になる? さっさと『星の杖』を渡してしまったほうがいい? だとして、私がプリマステラだとわからなくなった後、どうやって眷属のみんなと連携をとれば――。
「ふざけるな」
「――!」
ふいに、足元から声が聞こえた。ニナだ。全身に傷を負い、胴体の一部を氷に覆われた少年は、霜が降りた絨毯に血まみれの爪を立てていた。
「ふざ、けるな……ッ! オレには、寄越さなかった、くせに……オレに、それを、守らせたくせに……! そいつには、それをやるのか……アンタは……っ!」
「……ニナ」
「ごほっ、ごほ、ごほ……っ。殺してやる……殺してやる、死の、魔法使い――!」
どこにその力があったのか、ニナは傷だらけの肉体を跳ね起こした。鎖鎌を一閃。鈍色が瞬いた次の瞬間、死の魔法使いが上下真っ二つになる。
「――はぁ?」
傾いた少年の幼い顔立ちが、不快一色に染まった。か細い息を漏らしながら、血濡れの背中を丸めながら、それでも大地に踏ん張るニナと替わるように、死の魔法使いが横たわる。体勢の逆転。
でも――きっと、ニナは知らなかったんだろう。死の魔法使いが、死なないってことを。
「……不愉快だ。たかが生まれて十数年。魔法使いとしては、目も開かない赤子のような男を、この僕が! 地に伏して見上げているなんて……」
少年の上半身がふわりと浮き上がり、下半身がひとりでに立ち上がった。目を見開くニナの手前、分かれた半身を接続する死の魔法使いは杖を構える。
オスカーさんが駆け出した直後、壊滅した個展会場に、数人分の詠唱と、光と、熱が広がった。
「《レリルべ・リアフェト・クスウェベジ》!」
「《アダブ・コブレガル・ラジェフス》!」
「《ロゼアト・ル・トーヴツェルフォ》!」
フェリックさんが皆に淡い光の鎧をまとわせ、サイカが後ろに引いた利き足にオーラ化する魔力を溜め、メルティークが三叉槍から禍々しい黒炎を放射する。
身を低くして走るオスカーさんが、動かないヴァンデロさんを回収した。
「《イグロ》ッ……」
ニナも負けじと唱えようとするが、咳き込んで血の塊を吐き出した。私とリッカが慌てて連行すると、ニナは苦悶の表情で身じろぎする。が、2人相手に抵抗できる体力は残されていないみたいだった。
「離せっ……殺してやる……ッ」
「だ……黙っててください!」
焦りがそうさせるのか、驚くほど大きな声が出た。面食らうニナに気まずくなりつつ、オスカーさんに続いて隣の部屋に駆け込む。
やはり数々の展示品が無残に散らばるそこで、重症の魔法使いたちは壁を背に座らされた。
改めて見ると、2人の状態は凄惨なものだった。傷つけられていない箇所がない。けど、そのどれもが小から中程度の傷で、致命傷が見当たらないのがまた悪趣味だった。はなから生け捕りにするつもりだったのか、いたぶっていたのかはわからないけど……。
「プリマステラ。ニナの治癒をお願いします」
いつもは無感情な顔を、難しそうに歪めて、オスカーさんが視線でニナを示した。ニナは何かを言いかけたが、どこかが強く痛むのか、噛み合わせた歯の隙間から鋭く息を吸っただけだった。
「……はい」
オスカーさんのせいじゃない。でも、有無を言わせない場の空気に、自分の手を握って頷いた。
いずれ、こんな事態になるとは思っていた。だから討伐任務の合間、裁縫針で自分の指を傷つけて、それを治癒してという練習は繰り返してきた。
だけど、本番を迎えてみるとわかる。練習とはまるで状況が違う。相手は他人で、しかも命に関わる重傷者だ。絶対に失敗できないのに、そばには傷つけた元凶がいて、こんなにも心が落ち着かない。
「っ……」
違う魔法がかかったら。そもそも魔法が使えなかったら。こうしている間に、サイカたちが追い詰められていたら。嫌な想像ばかりが胸中を占める。心臓がうるさい。杖を上手く握れない。早くやらなきゃいけないのに――。
「……ステラちゃん」
ふと、心配そうな声に呼ばれた。肩をつつかれて振り向くと、突然中指で額を弾かれた。
「イッ……!? え? リッカさん……?」
私が呆然と目を向けると、デコピンしてきた犯人は慌てて胸の前で両手を振った。
「あぁっ、違うんです! すみません、物騒なやり方で……でも、ステラちゃんを落ち着かせたくて。お、オレも昔、魔獣との演習で怖くておかしくなってたとき、先輩にぶん殴ってもらって、正気になったことがあったので……」
「な、なるほど……?」
花の騎士団って、名前の割にハードなんだな――と場違いな感想を抱きつつ、私は弾かれた額に触る。どちらかというと、痛みよりもリッカが攻撃してきたことにびっくりしたんだけど……まぁ、落ち着いたしいいか。結果よければ、だ。
「……ありがとうございます、リッカさん」
ニナの前にしゃがみ込む。ニナは目を閉じて、弱々しく息を吐いていた。抵抗する気力はもうないみたいだ。私は『星の杖』に力を込めた。
「《プリマステラ・インヴィクタム》」
杖の先端が淡い青に光る。光の膜に包まれて、じわじわ傷が塞がっていった。私の技術不足のせいだろう、全てを塞ぐには至らなかったけど。ニナの呼吸は、落ち着いたものになっていった。
「……」
私は目を伏せた。情けないけれど、今の私に出来るのはここまでだ。
「うっ……ごほ、ごほ……っ。ここは……」
オスカーさんによって、同じく中途半端に治療され、ヴァンデロさんが意識を取り戻す。ほっと息をついた私は、すぐに彼に詰め寄った。
「個展会場です。隣の部屋にサイカたちと、死の魔法使いがいます」
「……!」
「3対1で戦ってるんですが、倒し方がわからないんです。だから……ヴァンデロさん。シエルシータとアサジローさんに、意思疎通をしてもらえませんか? 2人をここに呼んで、力を借りたいんです」
――これが、私の考えた最善の作戦。これ以上がある気がするけど、私には思いつかなかった。私は、祈るような気持ちでヴァンデロさんを見つめた。
ヴァンデロさんは、小さく首を横に振った。
「いや……無理だ。さっき試したが、アイツらと連絡がとれなかった」
「……えっ? どういう……オリヴィエさんが亡くなって、もう魔法阻害の結界はないんですよね? あ、距離的に厳しいとか……?」
「距離は大した問題じゃない。だが、アサジローに意思疎通が届かねェ。結界で阻害されたときと似た感覚だ。で、シエルシータのほうは、届いてるくせに応答しやがらねェんだ。どういうわけか、こっちの救援要請を無視し続けてる」
「――え?」
私は言葉を失った。理解が出来なかった。この中で1番彼らに詳しいだろうオスカーさんは、口を結んで神妙な顔をしていた。驚いたり案じたりせず、何か思い当たった顔をしているのが、私にはとても恐ろしかった。
オスカーさんにとって、シエルシータは最初から、信用ならない人だったのだろうか。それとも、何か他の事情が――そう思い詰める私のもとに、新しく2人分の足音がやってきた。
*
サイカら3人を前にして、死の魔法使いはひどく落ち着いていた。
「《シトロムローマ》」
途端、長い杖の先から吹雪が起こり、メルティークの黒炎を跳ね除ける。さらに吹雪は天井や床を這い、部屋全体に霜を下ろした。ぐっと周囲の気温が下がる。
対するフェリックは、空中に装填した石の欠片を連続射出。ランダムな軌道をとらせ、右から左から少年を穿とうとした。
が、耳を狙えば耳のそばに。膝を狙えば膝のそばに、薄氷で出来たパネルが出現し、破裂する代わりに主人を守護した。
そこに、頭上から迫る影が1つ。サイカだ。魔力を溜めた足で跳躍した彼は、長身を車輪のように前回転。
それを認めた死の魔法使いは、薄氷のパネルを3重に生成した。厳重な防御壁に、勢いを乗せたかかとが振り下ろされる。
破壊。3重のパネルは立て続けに割れ、1番下にあった死の魔法使いの頭が爆散した。しかし、
「っ……!?」
真横から氷の杭が飛来。サイカを突き飛ばしたそれは、腹を貫通して彼を壁に縫いつけた。漏れるうめき声。透明な杭をつたう鮮血。
だが、口端を吊り上げる。サイカは自身を刺す氷の杭を、強化した片足で蹴り上げて粉砕。解放されてその場に膝をつくと、血が噴き出す空洞に手をかざし、得意の治癒魔法を全開にした。
一方死の魔法使い。首無しで行動する彼は、飛翔して急降下するメルティークの刺突を避け、フェリックが生やす石槍の林も次々と避けて、杖の先に三日月型の氷刃を生成。得物を大鎌へと変えて、正面からフェリックに突進した。
瞬時、石剣を生成するフェリック。が、凍る三日月をその刃に受けた途端、亀裂が入って石剣が崩壊。三日月がフェリックを捉える。彼は光の鎧に守られて、肉体の形を保ったまま吹き飛んだ。
「――っ!」
寸前、フェリックは召喚した箒を掴んで激突を回避した。
――3対1で、ようやく互角だった。
死の魔法使いは、魔力感知の精度と魔法展開の速度がとにかく卓越していた。奇襲はほぼ通用しないし、通じたところで蘇生される。このままでは、サイカたちの気力と体力、魔力が無意味にすり減らされる一方だった。
とはいえ、手を止めれば誰かが死ぬ。彼らは全力でここを耐久し、部屋を出たステラたちに託すしかなかった。
「はぁ、はぁ……っ」
2つ結びの髪を乱しながら、空中で息を整えるメルティーク。生気の宿った薄桃の頬を、汗がつうっと滑り落ちていく。
誰かの魔力がないと生きられず、自然と魔力感知が得意になった彼女は気づいていた。死の魔法使いから、大量の魔力が漏れ出ていることに。
おそらく彼が封印されたという戦いのとき、眷属の誰かが『心臓』に傷をつけてやったのだろう。今の彼は、10の魔力を出そうとして5を無駄にするような、そんな不安定な状態になっていた。
にもかかわらずこの有り様だ。全盛期はどれほどおぞましい怪物だったのだろう。笑いすら込み上げるような、絶望に苛まれたそのときだった。
「アッ――ハハハハハ! 無様無様! 汚いねえ、醜いねえ!」
「ああ、なんと不幸せな。瞳が絶望で汚れておる……」
「これでは添え花どころか雑草だ! ごきげんよう? 雑草諸君」
「だが、我が来たからには安心せい。我の膝元で、すべての不幸は反転する――」
「ご覧。美しい大輪が来たよ。この僕様、『光』の魔法使い・フィニキスのことさ!」
「さぁ、歓待せよ! 我こそが『愛』の魔女・ベルナザールであるぞ!」
――様子のおかしい2人組が現れた。死の魔法使いの顔が、旧知の悪友と再会したように引き攣った。




