第49話『蛇喰の空で蛇も食う』
黒焦げの茂みを掻き分けて、現れたのは褐色肌の青年・サイカだった。
煤で汚れた瑠璃色の短髪を撫でつけ、引火しているズボンをはたいて、ヴァンデロたちのもとにやってきたサイカは、
「2人ともここにいたんだな! いやー、燃えてる森に飛ばされて、オレもう死ぬんだって思ってたけど……不幸中の幸いってやつか? 2人が無事でよかったよ。急にいなくなって心配したんだぜー、オレもステラも」
「あぁ……いろいろとすまなかったな。もう少し、上手く立ち回るべきだった」
「だが、テメェもここに来たってことは、めでたく迷子の仲間入りだな」
ヴァンデロが肩をすくめると、ようやく気づいたのか『あっ!』とサイカが青ざめる。
「やべー! ステラたち置いてきちまった! 大丈夫かなぁ、ルカと会えてるといいんだけど……」
「そればかりは祈るしかないな……しかし、サイカもあの使い魔と交戦したんだろう? まさかお前が負けるなんてな……俺は歯が立たなかったが、あれくらいの使い魔、お前に比べたら大した強さじゃなかっただろう」
オスカーが驚くと、サイカは首の後ろを掻いて、罰が悪そうに視線を流す。
「あー、それがさ……最初はイイとこいってたんだけど、途中からあいつ、オレの記憶を盗み見たみてーで……『つまんなぁい!』とか言いながら、オレのじーちゃんに変身しやがったんだよ! ずるくねえ? そんなの殴れるわけねーよな!?」
「……それで、人形集団に捕まって大蛇の食卓送りか」
「ハッ。情けねェ野郎だ、って笑ってやりたいところだが……まぁ、知り合いの爺さんに化けられたら敵わねェよな」
「あぁ……うん? ヴァンデロにも仲のいいじーちゃんがいるのか?」
「血は繋がってねェし、テメェの想像してるような仲じゃなかったがな」
そう言って、ヴァンデロは煙が蔓延する上空を見上げた。
魔力が込められたヴァンデロの煙は、縮小する結界が持つ力によって外に出ていかず、濃度を増しながら結界内に立ち込め続けている。このままでは、じきに主人であるヴァンデロやオスカーたちの身体をも蝕み始めるだろう。
そうなる前に、結界付近にあるという魔道具を破壊して、結界を壊さなければならないが――。
「……あ? 『殴れるわけがない』? そうか、お前……魔力を込めた打撃が得意なんだったな」
「え? あぁ! そうだぜ。行きの馬車で言ってたっけか。あんときゃ早く着いちまって、大して話さねーで終わっちまってたけど……」
「手短に教えてくれ。発動条件と効果は?」
「殴る! って決めたほうの拳に、魔力を込めるだけだ。オレ、魔力が少ないほうだから、チャージにちょっと……2、30秒くらいかかんだけど、時間をかけるほど威力は出るし、竜をぶっ飛ばしたこともあるんだぜ! こーんなデッカいの」
長い腕を広げるサイカ。その横で、やりとりを聞きながら思案に耽っていたオスカーが、『そうか』と顔を上げた。
「サイカに地面を殴らせるんだな。そうすれば確かに、媒介が地上にあっても、地中にあっても関係ない……壊す、あるいはその場からずらすことが出来そうだ」
「あァ。そんなに時間もかけていられねェ。急ぐぞ。――サイカ、詳しい説明は省く。軽い地震を起こすつもりで、この辺りの地面を殴ってくれ」
「わかった!」
「少しは疑心を持てよ」
あまりに滑らかな返答に、うっかり突っ込むヴァンデロの手前、両肩をぐるぐると回すサイカ。節くれだった指を鳴らし、軍手をつけた手のひらに拳を打ち付けると、彼は目を閉じて息を吐き出した。
握った拳に力を込める。すると、サイカの腕に筋が浮き出て、炎のような青緑色のオーラが拳を覆い始めた。
「……っ」
拳を中心に風が吹き始め、髪を煽られたヴァンデロは息を呑む。本能が危険を知らせ、ヴァンデロとオスカーは、再び箒に跨って中空に避難した。
残されたサイカは、高揚したように白い歯を見せ、拳を地面に叩きつける。
瞬間、山が爆ぜた。
「うわっ……」
ひび割れると同時に地面がめくれ、木々が吹き飛び、破壊の力が波紋を生むように広がっていく。
どこかで媒介にも影響があったのだろう。極々薄いガラスのドームのようだった結界がいつのまにか割れていたが、ヴァンデロたちは眼前の現象に目を奪われ、しばらく気づいていなかった。
「砂埃でなんも見えねェ……アイツ、大丈夫なのか?」
「アイツはこういうとき、大体ケロッとした顔で帰ってくる。今回も大丈夫だと思うが……街のほうが心配だな。かなり大きい地震だっただろう。混乱が生じてないといいんだが……」
気遣わしげな眼差しで、遠くに見える華やかな街を見つめるオスカー。そこに、風で薄れてきた砂埃を突き抜け、箒に乗ったサイカが上昇してきた。
「わりぃ! 初めてヴァンデロに見せるパンチだって思ったら、はは、気合い入れすぎちまった! で……言われた通り殴ってみたけど、問題は解決したのか?」
「あァ。スケールは予想外だったが……おかげで結界が壊れた。自分の煙で窒息なんて、馬鹿な死に方しねェで済んだよ。ありがとう。しかしこの有り様じゃ、オリヴィエの野郎も無事じゃすまない……」
そう言いかけて、ヴァンデロは振り向いた。20メートル離れた場所に、空飛ぶ箒にゆったりと腰をかけているオリヴィエを見つける。月光に照らされた艶めかしい白肌には、傷どころか汚れ1つ見当たらなかった。
「……無事みたいだな」
五感強化を受けた目を、オスカーが警戒を滲ませて細める。黒いトンガリ帽子を目深に被ったオリヴィエは、どんな表情をしているのかわからなかった。
「……誰だ? アイツ」
サイカが声をひそめて尋ねると、ヴァンデロは葉巻の吸い殻を握り潰して灰に変え、黒いジャケットの内側から新しい葉巻を取り出す。
「フェリック……テメェも会った、宝石職人にご執心の魔女サマだ」
「ま、魔女……!? 魔女なんていたのか!?」
「いや。気分で性別を変えてたら、男に戻れなくなった普通の魔法使い。ここに来るときテメェが通ってきた、個展の出展者だよ。虜にした魔法使いから魔法を奪って、それ以外は飼い蛇の餌にしようとしてる……魔法使い専門の殺人鬼でもある」
ヴァンデロが葉巻に火を点けると、やりとりが聞こえているのか、オリヴィエはローズピンクの唇をふっと歪めた。
「我ながらひどい紹介を賜ったものだ。――ああ、そうさ。そして今はその飼い蛇を失い、用意した魔道具はすべて破壊され、丸腰同然で『プリマステラの眷属』3人と対峙している哀れな女だよ。……だが」
オリヴィエは、風に吹かれる帽子のつばを持ち上げた。妖艶な光をたたえる、オリーブ色の瞳がサイカを捉える。
「サイカ……と言ったか。先ほどはいいものを見た。私も数百年と生きているが、あの高純度の魔力を操り、あれほどの威力を出せる魔法使いには、片手で数えるほどしか会ったことがない」
「え? あ、ありがとう……?」
「――しかし、魔法使い同士の戦いで『威力が出る』という強みは、大した価値を持たない。予言してもいい。お前は近いうち、己が身の無力さを知りながら死ぬだろう」
「……!?」
サイカの顔に緊張が走る。ヴァンデロはぴくと眉を動かし、煙を上げる葉巻を静かに咥えた。
「死に際によく喋るやつだな。何のつもりだ」
「ふふ、死に際? いいや違うな。時間稼ぎや情を誘おうとしているわけではないさ。惚れた男の前で、つい口数が多くなってしまう――恋に落ちた女として、当然の挙動だろう。惚れた男に、助言をしてやりたいと思うこともな」
「……えっ、オレ?」
サイカはただただ困惑した様子で、自分の顔を指さした。オリヴィエはちろりと舌なめずりをする。
「そうさ。私はお前が気に入ったよ。……よく聞くことだ、サイカ」
「――」
「魔法使い同士の戦いで最も重要なのは、魔力量でも威力の大きさでもない。常に心を隠しながら、相手の心を探ることだ。ちょうど、隣にいる男たちが模範になるだろう。心を曝け出し、何かに染められるな。さもなくば……」
オリヴィエは、サイカに向かって手をかざした。すかさず、口を開いたヴァンデロの詠唱が完成するより早く、オリヴィエは随所が宝石に変質したその手で、サイカから何かを掴み出すような真似をする。
瞬間、宙に浮いていたサイカとその箒が、吊り糸を切られたようにがくんと下落した。
「……サイカ!」
「――《リオレクルブ》!」
オスカーの叫びと、ヴァンデロの詠唱が重なった。
オスカーは箒を急降下させ、森の跡地に落ちていくサイカの腕を掴む。ぐらりと振り子のように垂れるサイカの足元で、手放された箒が輪郭を小さくしていった。
同時、ヴァンデロが口をすぼめて吐き出した煙が、火炎になってオリヴィエに襲いかかる。が、オリヴィエが平手打ちのような仕草をすると、放射された火炎は横殴りの風を受けて散っていった。
「お前……オレに、何をしたんだ……!?」
宙吊りになったサイカが、かすかに震えた声で尋ねる。オリヴィエはくく、と笑みをこぼした後、恍惚さを混ぜた満足げな笑みを浮かべた。
「私の容貌に動かされたお前の心を……魔法使いの『心臓』をもらったのさ。ふふ……純真な男だとは踏んでいたが、まさかその歳にして、ここまで汚れも警戒もない男がいたとは。この世界にもまだまだ、私の知らないことがあるものだ」
オリヴィエは、頬に垂れていた黒髪をはらった。宝石に変質してひび割れた頬が、月光を浴びて紫色に煌めく。
「――惚れた弱みだ、説明をしてやろう。お前は私に惚れたのさ。自覚すらできない意識の奥底でな」
「えっ!? いや、ちが……違うって言うのも失礼か……?」
「違わない。事実、お前は惚れたんだよ。何事にも偏見を抱かず、人を好きになりやすいお前は、軽率に人に惚れてきた。そしてあまりの母数の多さに、友愛との区別がつかなくなっていたんだよ。……私の見立てではね」
「……っ!」
「とはいえ変質し、ひび割れて、誰もがまず嫌悪を抱くこの身体にまで、心を動かされるような男だったとは……礼を言おうサイカ。お前のおかげでいつになくいい気分だよ。お前からもらったこの『心臓』――大切に使わせてもらおう」
オリヴィエは、いつのまにか握りしめていた青緑色のオーブを、飴玉でも入れるように口に落とした。飲み下してすぐ、オリヴィエは静かな風をまとい始める。山を殴るサイカが、直前そうしていたように。
しかし時間をかけたサイカと違い、彼女の風は間もなく荒れ狂った。吹き飛ばされそうになり、ヴァンデロたちは顔をしかめて箒を旋回させる。
「オレの魔法――とられた」
サイカがぽつりとこぼしたとき、炎のようなオーラをまとうオリヴィエの腕が、素早く大気を薙ぎ払った。




