第48話『∠ABC=∠ADE』
「アイツのデカい図体じゃ、正面戦闘はこっちの不利だ。いったん姿をくらまして、不意打ちしてやろうと思ったが……随分しつこく追いかけてきやがるな。蛇ってのァ夜目が利く生き物なのか?」
紫煙を吐き出して、ヴァンデロがつぶやいた。
現在、魔女オリヴィエの従える大蛇から逃走中のヴァンデロたちは、箒に乗って夜の山中を低く飛行していた。
木にぶつかれば即死は免れない速さだが、追走する大蛇はその巨躯ゆえ、2人が逃げ切ることを許さない。常に間隔を守り、結界内を移動し続けていた。
オスカーがちらりと振り返った。
「いや……おそらく、あれは生物の熱を感知してるんだろう。……いつだったか、毒蛇を使った料理について調べたとき……蛇にはそういう特性があると聞いた」
「ハァ? 蛇料理? テメェ、ゲテモノにも手ェ出してたのか……安物趣味もそこまで来ると哀れだな」
「安物趣味じゃない。……安価なものでも、料理人の腕がよければ旨くなる。それを信じているだけだ。……それに、野生の蛇を獲って食べたわけじゃない。……蛇食が盛んな国に行って、きちんと専門店で購入した」
「そうじゃねェセンスの話をしてんだよ。……まァいい。ようは俺たちの体温をごまかせれば、アイツの目もあざむけるってことだな。《オロウスラ・エロティダルト・リオレクルブ》」
ヴァンデロが詠唱すると、握り拳ほどのサイズの火の玉が、人差し指の先端に生まれる。それを振り上げると、火の玉は5頭の火の蝶に変身し、真っ赤に燃えるその身を輝かせながら、森の奥に消えていった。
オスカーがかすかに目を見開く。
「お前……魔法の外見にこだわるタイプだったのか?」
「いいや? 料理やインテリアならいざ知らず、こんなもんにいちいち手間かけねェよ。ただ、最近ルカの兄ちゃんから『妖精』の話を聞いて、似たようなことが出来るか、少し気になって試しただけだ」
「どうだった」
「見る分には嫌いじゃねェが、やっぱり手間だな。俺には向いてないらしい」
蝶が消えた方向を見て、肩をすくめるヴァンデロ。
ふと、その方向から何かが焦げるような匂いが漂ってきた。ヴァンデロに五感を強化されているオスカーは、無愛想な面をややしかめて目を凝らす。すると暗い森の中に、日没を迎えた街のように、ぽつぽつと灯る赤橙色を見つけた。
直後、色が爆発する。
「……!」
たちまち炎上した木が、箒で疾走するオスカーの目の端を流れていく。その後も爆発は不規則的に勃発し、万物を呑むようだった黒い森は、あっというまにその全貌をさらした。
「……正気か?」
炎の森に囲まれ、唖然とするオスカーに、並走するヴァンデロは笑う。
「熱感知がどうのって話の前から、こうしたいと思ってたんだ。煙を使った俺の魔法は、相手に煙を吸わせられなきゃ意味がねェからな。あんなデカブツ相手には、低みからちまちま煙吐くより、こうしたほうがずっといい」
「だが、お前の火で街に被害が出たら……」
「それも折り込み済だ。さっき試したが、ここの結界も魔力や魔法を通さないタイプだった。シエルシータたちにテレパシーが出来なかったんだ。だから、街に火がつく心配はねェよ。結界を解かれたら話は別だがな」
「……全焼した森の始末は」
「お前の目撃した分じゃ、被害者は俺たちだけじゃなかったんだろ。無実の魔法使いを食い荒らした、邪悪な魔獣の討伐報酬でトントンだな。っと」
風の動きを肌に感じた2人は、乗っていた箒を急上昇させた。直後、熱された大気と燃える木々を薙ぎ払って、大蛇の巨木のような尾が足元を殴り抜ける。
立て続けに上から、右から、左から尾が飛んでくるが、強化された五感で風の流れと音を感じ取り、目を向けずして攻撃を避け続けた。
「……攻撃が止んだな。そろそろ別の手が来そうだ。オスカー、俺はしばらく魔獣の動きを見てる。箒は固定操縦に変えて、進行方向はいっさい見ない。もし障害物があれば、必ず20メートルより前で報告しろ」
「……いいや。お前の進路に障害があれば……先んじて俺が破壊しておく。お前は蛇には集中していればいい」
「――言ったな。威力不足で壊せなかった、なんて抜かすんじゃねェぞ。そんときゃテメェはウェルダンだ」
釘を刺すように葉巻をオスカーにかざすと、ヴァンデロは巨大な蛇を振り返る。遥か頭上にあった鎌首がもたげられると同時、前方を捉えていたオスカーの瞼がぴくりと震えた。
「《オロウスラ・エロティダルト・リオレクルブ》」
「――《ラディエボルパ》!」
隙を生じぬヴァンデロの一撃で、大蛇の噴射した黒い霧が業火に呑みこまれる。魔力を込めたオスカーの一撃で、進路にあった木が粉々になった。
それを何度か繰り返していると、ふいにオスカーが声を張り上げた。
「ヴァンデロ。……100メートルほど先に、反り返った壁のようなものがうっすら見える。結界の端かもしれない。……旋回するか? 迎え撃つか?」
「……アイツにはかなりの量の煙を吸わせた。激しい運動もさせたし、急速に効いてくる頃だろう。じきに感覚も使い物にならなくなるはずだ。――ここでトドメを刺す。いったん散って、それそれ攻撃をしかけるぞ」
「わかった」
「ああ、いちおう言っておいてやるが……あまり高い場所には行くなよ。煙が高濃度で満ちてるからな」
「わかってる」
そのやりとりを最後に、2人は進路を違えた。左右別の方向に飛ぶと、ぐるりと大きな円を書いて大蛇の後ろに回り込む。
大蛇は視界と熱感知を潰されたのか、2人の居場所がほとんどわからないようで、結界の端までやってくると、虚ろな目で2人を探すような仕草をした。
「……オリヴィエはどこだ?」
中空を悠々と飛びながら、オスカーはいつのまにか姿を消したオリヴィエを探す。
「……結界内に魔力の反応がねェな。まだ近くにはいるのか、ミュージアムまで戻ったのか……」
別の地点を飛行するヴァンデロも、大蛇を注視しながら頬を引き締めた。
「……お前も大変だな」
呼吸がままならないのか、地面に倒れてのたうち回り始める大蛇に、オスカーは悲しげに眉を下げた。詠唱すると、岩の塊を自身のそばに生成する。
「こんなになってるときに、テメェの親に見捨てられて……同情してやるよ。親ってのァつくづくクソだってな」
ヴァンデロも嘆息して呪文を唱える。大蛇との攻防で薙ぎ倒され、巨大な一本槍のように横たわっていた幹が、ふわりと持ち上がってヴァンデロに並んだ。
「だからって、殺さないわけじゃないがな。俺はキースみたいに、片っ端から捨て子に情けをかけてやるような性分じゃないんだ。……もし、ここに来たのが俺らだけじゃなかったら……話は違ったかもしれねェが」
ヴァンデロは少しの間目を閉じて、肩の上で切り揃った桃色の髪を思い浮かべた。自分のような罪人を、なぜか眷属に勧誘した少女。善悪の天秤が壊れた彼女がここにいたなら、見逃してやっていたのかもしれないが。
そんなことを思ったのも、束の間のことだった。示し合わせる必要もなく、オスカーとヴァンデロは、岩石と木の幹を同時に叩き込んだ。
*
ヴァンデロたちの攻撃を受け、蛇の魔獣が動かなくなると、2人は地面に降り立った。
使い魔が息絶えてもなお、オリヴィエの姿は見えない。ひとまず彼らは、ヴァンデロが森に放った火を消して回りながら、2人を閉じ込めている結界の媒介を探すことにした。
「――アサジローの受け売りだが。結界を作るには……最低3つの魔道具が必要らしい」
結界の内周に沿って、低空飛行をしながらオスカーが切り出した。
「かつ、使用した魔道具の数や……それが持つ魔力の強さによって、結界の強度が変わる。……強度によっては、魔法で破壊することも出来るらしい」
「手間のわりにしょっぱいもんだな。どうりで、最近の魔法使いで結界を使うやつの名前を聞かないわけだ」
「ああ。だが……あの個展を開けるほどの、収集家であるオリヴィエには……そう苦労する魔法ではないんだろう。おそらく相当な魔道具を使用して……ミュージアムにいた魔法使いの、誰が来ても破壊されない、最高強度の結界を作った」
「だから、媒介のほうを壊すってのはわかるが……この辺りに魔力の反応はねェ。媒介ってのは、結界に対してどう設置するものなんだ? 中央のほうにあるんじゃねェのか」
「そうだな。確か……結界の性質によるはずだ。……外敵を弾くための結界なら中心に。中のものを閉じ込めるための結界なら、結界の外に、等間隔に置くらしい。……つまり、この結界だと外側に置いてあるだろうな」
「……もう少し早口で喋れねェのか?」
「これでも早い方だ」
「……」
以降、ヴァンデロが解釈したオスカーの説明である。
媒介は、必ずしも破壊する必要はないらしい。どれか1つを数センチずらして、等間隔に置かれた魔道具の均衡を崩せれば、破壊したのと同じ結果が得られるのだとか。
ただ問題は、それを見越したオリヴィエに、媒介を埋められていた場合。
結界に弾かれる魔法はもちろん、小石や木の棒も届きようがない――そもそもありかに気づけないので、媒介の位置を変えられず、ヴァンデロたちはここから動けなくなるのだという。
「そしてゆくゆくは、いま上空に溜まってる……お前の魔力がこもった煙を、摂取し続けて死ぬことになる。……オリヴィエがいなくなったのは、大蛇に俺たちを食わせる目的を捨てて……その展開を選んだからだろうな」
「ハッ。もしそうなったら道化だな。だが、媒介が地中に埋められていようが、近くにあるならまだやりようはあるぜ。結界が通さないのは『魔法』そのものだろ。魔法で起きた現象、たとえば振動や圧力なんかが外に作用するなら――」
そう言いかけて、ヴァンデロはある一点に目を止めた。視線の先にあるのは、ガラスよりも薄く透き通り、緩く反り返った結界の壁だ。燃える森に消火の魔法を振り撒いていたオスカーも、ヴァンデロの様子に気づいてともに箒を停止させた。
「どうした」
「……結界が、小さくなってる」
「え?」
オスカーが目の色を変える。ヴァンデロが見つめる結界の向こう――つまり、魔法が届かないはずの外側では、黒ずんだ木がぱちぱちと音を立てながら燃えていた。
「――! いや、だが……本当に小さくなったのか? 結界の範囲を変えるなら、媒介の魔道具の位置をずらす必要がある。……必然的に、媒介同士の距離が不均等になる瞬間があるはずだ。そうしたら結界が割れて、俺たちも気づくだろう」
「いいや。テメェの……つまり、アサジローの説明があってて、かつオリヴィエが魔道具を5個以上持ってるなら、結界を割らずに範囲を変えられる」
ヴァンデロは静かに結界を睨む。
ヴァンデロの読みではこうだった。
まず、初期状態の結界を作るのに、A・B・Cという魔道具を使ったとして、AB間にDを、BC間にEを置き、A・D・Eが等間隔になったら、BとCを外す――そうすればオリヴィエは、2人を閉じ込めたまま結界を縮小できるのだ。
そして、そうすることで彼女が狙ったのは、おそらく――。
「……まずいな。結界が小さくなった分、酸素の消費も早くなっただろう」
「あァ。しかも、結界から弾かれたのはほとんど消化が済んでる場所だ。結界の中心……まるで手をつけてないエリアは、まるっきり中に残ってる。……チッ。時間と引き換えに、確実に結界を割るつもりだったが、呑気にしちゃいられねェな」
熱気のせいか焦燥のせいか、こめかみに滲む汗を感じながら、視線をめぐらせるヴァンデロ。どうやら彼は、かなり深く思考にふけっていたらしい。珍しく、近づいてくる魔力反応に気づかなかった。
「オスカー、ヴァンデロ!?」
「……サイカ!」
突然、はつらつとした青年の声が降って、顔を上げたオスカーが驚く。つられてヴァンデロも見上げると、そこにはところどころ服が焦げた、褐色肌の青年が箒に乗って2人を見下ろしていた。




