08. 「他の方から見た我が家のイメージをご存知?」(フェリシー視点)
ドアマットの正常な学園生活回想回
フェリシーが学園に通い始めて、良かったと思えることは沢山ある。
「相変わらず慎ましやかな髪飾りですのね」
フェリシーの使い古されたリボンの端を摘み上げたのは、同じクラスの侯爵令嬢アデールだ。
声は呆れ含みだが、フェリシーを責めたものではない。
「叔母上も困った人だ」
言葉を繋いだ従兄弟のテランスの瞳が眇めた先にある、フェリシーのリボンの端は擦り切れていた。
長年使用され、雑に洗われた結果だ。
「これが家の評判を落とすことになるとは思っていないのでしょう。
我が家から恐怖に身を震わせるような手紙を出しましょうか? お父様は私に友人ができたと知って大喜びしているから、フェリシーの力になってくれるわ」
容赦のない言葉に、フェリシーは笑って返す。
「ありがとうございます。けれど、外から介入する人が現れると余計に反発しますので、触れないのが一番なのです」
「本当に面倒な方。他家のお茶会で一度見かけたことがあるけど、一人芝居を永遠にされていそうな方だったものね。ご自身を大きな舞台の主人公だと思っていそう」
貴族らしからぬ貴族夫人。
それがフェリシーの母親であるエルトランジェ伯爵夫人への、クラスメイト達が持つ共通認識だ。
アデールも周囲の生徒達も、フェリシーが変わらず同じリボンを使い続けていることも、そして新しい装飾品が増えない理由も知っている。
それが何を意味するか。
エルトランジェ伯爵家が傾き始めているのか、あるいは実子に対する虐待か。
どちらであっても、それが真実であってもなくても、知られることが気にならない。そこに恥を感じない伯爵家であるということだ。
成人していない彼らでも理解している貴族の常識。気づかぬままでいるのは、ここにいないエルトランジェ伯爵家の女主人だけだろう。
ありがたいことに、フェリシーが在籍している高位貴族の為のクラスは、正しく高位貴族らしい子ども達であった。
つかの間の自由に少々羽目を外すことはあるものの、責任を問われるような軽はずみな言動や行動もとらなければ、根拠のない噂も真に受けたりはしない。
きちんと調べ、自らで確認し、必要であれば親に聞く。
「エルトランジェ伯爵夫人は、フェリシー嬢が生徒会に属していることも知らないのだろうな」
「言うと勝手に辞退させられそうですから」
フェリシーの返事に、声の主は「厄介な相手だな」と呟くと、手元の書類をフェリシーの机へと置いた。
眼鏡の位置を指先で直しながら、次の書類へと手を伸ばす。
彼はクロード・バルバストル侯爵令息。王族や公爵子女のいない世代を取りまとめる、高位貴族クラスのまとめ役だ。
同時に生徒会長でもあることから、学園の実質的な権力者と呼んでもいいだろう。
「本来であれば、生徒会に選ばれるのは栄誉なことのはずだが。本当にエルトランジェ伯爵夫人はこの学園を卒業しているのか?」
「卒業生名簿に名前はありました」
また一枚、書類がフェリシーの机に置かれ、フェリシーもそれを拾い上げて目を通し始める。
「そういえば、学園内の噂をどうするつもりだ?」
フェリシーは手元に引き寄せた書類に目を通しながら、淡色の瞳をまつ毛で隠した。
「どうするもなにも、お母様が動かないのですからこのままです」
フェリシーには入学当時からよからぬ噂が付きまとっている。
それは素行不良で身持ちが悪く、護衛も侍女も付けずに下町に降りては男漁りをしているという、フェリシーを知っている者ならば耳も貸さない内容だ。
本来ならば生家であるエルトランジェ伯爵家が率先して噂の出所を確認し、抗議もしくは、噂の解消に努めるものだ。
だが、エルトランジェ伯爵家が否定をしない。学園の教師からエルトランジェ伯爵家のタウンハウスに手紙を送ったとあるが返事もないまま。
そのことから、何も知らない他のクラスの生徒達はフェリシーのことを、噂通りの出来損ないだと口にする。
真に受けた男子生徒が、遊び相手にと訪れることがあったが、それも護衛によって担任にまで連れて行かれるのも恒例となっていた。
噂を流しているのが、エクトル・アルトー子爵令息なのも既に掴んでいる。
「私たちの小鳥に何て無礼なんでしょう」
他の女生徒に比べて小柄で華奢なフェリシーは、皆の小鳥と呼ばれて、大事にされているのだ。
学園できちんと昼食を摂れるようになってからは幾分健康的になったが今でも食は細いままで、他の令嬢と比べても細いぐらい。
「たかだか子爵家。フェリシーが望むなら、跡形もなく消し去っても構わないのよ」
優し気に語る声とは裏腹に、やたらと物騒な内容。
フェリシーはそれを指摘することなく、制裁を仄めかすアデール達にニッコリと笑う。
「いえ、大丈夫ですわ。アルトー子爵令息がどのようなお考えかは知りませんが、母が何もしないのを見ると関わっている可能性がありますから」
「そうね、ここでエルトランジェ伯爵家の評判が一層落ちるのは避けないとね。
あなたが嫁げなくなってしまうもの」
そう言ったアデールの視線の先で、ようやく書類に目を通すのが終わったらしいクロードが、フェリシーの手からも紙を取り上げて横に置いた。
「それで、フェリシー嬢への婚約の申し込みは、どのタイミングなら可能だろうか?」
何気なく口にしたクロードの言葉に、フェリシーは僅かに頬を赤らめて思案する。
「卒業の一年前ぐらいでしたら、おそらくは。
その際は領地にいる祖母宛にしてもらえたら、そして母に伝わるのが遅ければ遅いほど安全だと思います」
返した言葉に、そう取り計らってもらおうとクロードが頷く。
周囲の生徒達は、彼らを温かく見守っている。
婚約の打診なんて教室でするものではないが、フェリシーの家庭環境が特殊過ぎて、エルトランジェ伯爵家に打診すらできないからだ。
フェリシーがクロードと交際とも呼べぬような、必ず第三者のいる健全な交流を始めたのは一年前。
まだ婚約はしていないが、クロードはきちんと両親に事情を話した上で、説得しきってから交際を始めた。
貴族ならば段取りの重要性は理解している。
彼の両親は最初こそ良い顔をしなかったものの、フェリシーと二度ほど交流する機会を得てからは、婚約を前提とした交際を許してくれている。
勿論、貴族として家の事情が絡んでもいる。
問題のある家の令嬢を迎える気になったのは、バルバストル侯爵家が一代前に王家と縁を持ったことで、周囲との力関係を均す必要があったからだ。
クロードには同等か、あるいは低い家格の令嬢と婚姻させることが決まっていた。
フェリシーも信頼できる侍女経由で祖母に報告し、交際の了承を得ている。母親にはまだ気づかれていない。
「クラスの皆さんにまでご迷惑をかけてしまって」
「気にすることはないわ。私達は小鳥と一緒に過ごす週末を手に入れたのだもの」
申し訳なさそうにするフェリシーと対照的に、アデールは満足そうな笑みを浮かべている。
今年に入ってから週末になると、アデールの家に招待されている。
楽しく友人同士のお茶会をしているわけではない。バルバストル侯爵家から派遣された家庭教師によって高度な行儀作法を学び、アデールと一緒にモンテルラン侯爵夫人から貴族夫人の心得を教わっているのだ。
エルトランジェ伯爵家の面々は、フェリシーがいないことなど気づいていないし、気づいたとしても噂通りの素行だと眉を顰めて嫌味を言うだけ。
勝手な思い込みで、どこへ行くかすらも聞いてこない。
この頃になるとフェリシーも、家族に見切りをつけているので説明する気もなかった。
モンテルラン侯爵家での勉強は順調で、予行練習としてフェリシーとアデール主体で開催するお茶会では、クラスの女生徒や彼女達の母親、それから伯母であるアランストル伯爵も参加してくれた。
「これだけ優秀な姪に、どうして馬鹿馬鹿しい噂が蔓延しているのか理解できないな。
私があの愚か者の性根を叩き直した方が良いのかもしれない」
有言実行しそうな伯母を止めるのに、アデールの父親まで呼び出されたのも、今では笑い話で終わっている。
ただテランス経由で、母親が気にしないような筆記具などの贈り物が届くようになった。
兄のロイクも卒業し、学園での生活も折り返しに入っている。
家族への秘密は、卒業するまで続くだろう。
「フェリシー嬢、これを」
考え事に浸るフェリシーに差し出されたのは小さな小箱だ。
クリーム色の紙箱に、フェリシーの髪を飾るのよりも立派なリボン。
何かとクロードを見るも、開けるように勧められるだけ。
リボンを解いて箱の蓋を開けば、そこに収まっていたのは小さな髪飾りだった。
平たい銀細工の髪飾りは、羽ばたこうとする鳥の姿。目の部分にはフェリシーの瞳の色の小さな宝石が飾られている。
とても可愛らしくて、フェリシーはうっとりと眺めていたが、そっと首を横に振った。
「素敵です。でも家に持ち帰って見つかったら母に何をされるか」
何か言われるだけならば我慢できる。
だがフェリシーの母親は、それだけで済ますはずがない。取り上げて壊されるか、はたまた売られるか。もしくは気に入ったら、母のクローゼットのコレクションとして追加されるだろう。
それを考えるだけで胸が苦しくなる。
「持ち帰らなければいい」
俯くフェリシーの頭に、クロードの言葉が降ってくる。
視界の端でクロードの靴が移動するのが見えた。
「失礼。少し髪に触れる」
声と同時にリボンで結んだ箇所に何かが差し込まれる感触。
何かと手を回せば、冷たい感触が指に触れた。
「先程の髪飾りは、髪を結んだ根元に差し込むものなのだ。
これなら、学園を出る前に抜き取って、私が預かっておくことができる」
そうして、と再びフェリシーの前に戻ってきたクロードが、髪を一房、指に絡ませながら掬い上げる。
「それに君が登校するたびに、君の髪に触れてこれを飾ることができる」
フェリシーを見る瞳に浮かぶのは、恋という名の情熱だった。
頬に、耳にまで熱が帯び始めるのを感じる。
先程まで苦しいぐらいだった胸が、今では心臓が煩いぐらいに高鳴って、周囲の声が聞こえなくなりそうだった。
「嫌だろうか?」
少しだけ心配そうなクロードの表情に、フェリシーは大きく首を横に振って応える。
「いえ! 嬉しくて、その、何と言えばわからず」
この気持ちがそのまま伝わればいいのに。
どれだけフェリシーがそう思っていても、言葉にしないと伝わらないのに、言葉にするのにこれほど難しいことがあるなんて。
「クロード様。ありがとうございます。
大切に使います」
自然と顔が綻ぶのを止められない。
つられてクロードが笑うのを見て、
「二人とも。もうすぐ授業が始まるから、そこまでにしてくださる?」
不意にかけられたアデールの言葉に我に返り、二人はそそくさと自分の席に戻るのであった。




