09. 「当然の結果ではなくて?」(従叔父視点)
アルバンの従弟であるテオトルが、エルトランジェ家のタウンハウスに着いたのは、バルバストル侯爵家主催の夜会で騒動を起こしてから一カ月が経った後であった。
「遅いわ」
容赦のない伯母の声に苦笑する。
「早馬での知らせが届いたのが、騒動の一週間後。領地を離れるための指示や終わらせなければならない仕事に二週間。そうして必要最低限の荷物だけで馬を走らせたつもりですが」
馬に括り付けれるだけの荷物は、最低限の衣服や手に馴染んだ筆記具などだけ。
伯母から連れてくるように言われている使用人達は、テオトルの荷物を持って、今頃は馬車で移動しているだろう。
伯母と共に来ていたメイドが熱い珈琲を運んでくれる。砂糖を多めに入れて喉へと流し込めば、旅での疲労が僅かに解けていくようだった。
「それで、状況はどうですか?」
「良くはないわね。とりあえず最悪の状況からは脱したけれど、しなくちゃいけないことが山積みよ」
執務室の中に居るのは伯母が領地のために雇用した側近達だ。
彼と彼の息子以外は誰もおらず、忙しく書類を捲っては確認作業をしている。
タウンハウスの管理を担当していた家令がいたはずだが、どうしたのか聞けば、解雇としたとの答えが返された。
「忙しいことを理由に、ロクサーヌがしていたことを見て見ぬふりをしていたのだもの。
大方、あの嫁に注意でもしてアルバンに泣きつかれたら、解雇されるとでも思ったのでしょう」
それは随分と見る目の無い家令だったものだ。
エルトランジェ伯爵家の当主は確かにアルバンだが、領地運営の全てを握っているのは前伯爵夫人だ。
「伯母上に報告さえすれば、人手を向かわせたというのに」
「きっと挿げ替えられると思ったのかもしれないわね。旦那様が信頼していたし、新しく誰か雇用してロクサーヌに御されても困るから置いていたのだけど、あれの力量を見極められなかった私にも問題があったのかも」
そうは言っても、間違っているなら主を正し、必要ならば状況を報告するのは家令の務め。
出来ないのであれば、自ら立場を下りるべきだった。
「せめてアルバンがもう少し使えたら、私だけでもタウンハウスを訪れる機会もあったのだけど。これは私の判断ミスね」
テオトルは聞かなかったことにして、珈琲へと口をつける。
アルバンの仕事ぶりが今一つなのは、補佐として働くテオトルもよく知っていた。
何でも読んだつもりになって署名をするだけでしかない、ただ椅子に座るだけの領主。
その署名をさせても良いのかどうか精査し、正しく判断させるのが前伯爵夫人とテオトルの役目だった。
特にここ三年程は仕事が過密で、署名させるためにとアルバンに説明する時間すら惜しく、本人の了承を得た上で全部テオトルが署名している。
最初はバレないか冷や冷やしたものだが、本人の筆跡と遜色なく書くことができるようになれば、アルバンの名前を書くことに躊躇することがなくなった。
ではアルバンが領地で何をしていたかといえば、橋の修繕工事などの施工式の立ち合いや、領内の街で行われる祭への参加といった具合。完全にお飾りだ。
領地にいても役に立たないならば、王都に行かせれば良いと思ったが、さらにフェリシーへの被害が増すという伯母の判断で領地に留め置かれていた。
何も気にせず領地で呑気に過ごしていたが、家族のことは気にならなかったのだろうか。
十年も家族と会わないなんて、テオトルには考えられない話だ。
だが、アルバンは存外平気そうだった。もしかしたら感情はあれども、どこか鈍いのかもしれない。
「道中は盗賊に遭わなかったようね」
「そういえばエルトランジェ伯爵領に入った馬車が一台、酷い有様で見つかったとの報告がありましたね。私が通る前には自警団が作られていましたし、エルトランジェからも兵も派遣したので少ししたら落ち着くでしょう」
「王都も領地も面倒事ばかりね」
眼鏡を外した前伯爵夫人が目頭を強く押さえる。
どうやらこちらでも忙しい日々を送っているのは変わらないらしい。
「ここ最近では、こういったことが起きていなかっただけに残念です」
「エルトランジェ伯爵領内にはびこる災いは、手当たり次第に摘み取ってきたものね」
これも十年もかけて行われた領地改革の一環だ。
領民がいればこその領主であり、ある程度の不満ぐらいで領民を抑え込むことが領主の務め。
だから領民の、ひいては領主の財源となるものを横から掠め取る小悪党など、生かして捕らえるなんてせずに全て排除してきた。
「馬車に家紋はありませんでしたが、平民が使うには贅沢な造りでした。乗っていたのは仕立ての良い服を着た男が一人。ただ、遺体の状態が酷くて判別がつかないのですが、誰か心当たりは?」
テオトルが聞けば、当主の席で仕事をする前伯爵夫人が感情の消えた瞳でテオトルを見た。
その表情を見て、何かを予感して背筋へと冷たい汗が伝う。
「数日前にアルバンを送り出したわ」
伯母上、と言った声は掠れて、続く言葉が出てこない。
沈黙が部屋の中に広がっていく。側近達の紙を捲る音も止んで、彼らはテオトルを見極めようとするかのように見ていた。
アルバンは領地の屋敷に着いてはいない。すれ違った様子もなかった。
前伯爵夫人が立ち上がり、机の隅に置かれていた書類を一枚手にして近づいてくる。
「テオトル、これに名前を書いて。いつものようにアルバンの名前でね」
目の前に置かれた書類に目を通せば、伯爵位をテオトルに譲ると書かれていた。
「伯母上、あなたという人は」
息が浅くなる。いつもなら聞こえない鼓動がやけに煩いほど。
視野も狭くなっていく。
「お前が優秀なのは証明できたし、間違いなくエルトランジェの血も引いている。何も問題ないでしょう」
「そうではなく。アルバンはあなたの息子だったではないですか」
テオトルが見上げた先、小柄な老女は威風堂々とテオトルの視線を受け止める。
「ええ、アルバンは私の息子よ。けれど私はエルトランジェ前伯爵夫人でもあるの」
前伯爵夫人の声は平坦で、感情のそよぐ様子がないまま。
テオトルには恐ろしく、同時に領主として正しい判断だと思う。
アルバンは領主に向いていない。
「私はエルトランジェの名の為に覚悟を決めたわ。お前はどうかしら、テオトル?」
少しの間の後、テオトルはペンとインクを求めた。
***
「アルバンは伯爵ではなくなりました」
久しぶりに部屋から出され、家族のための居間に連れてこられたと思ったら、想像もしていなかった言葉にロクサーヌは眩暈を覚える。
近くに座っているエヴァリスト達も今聞かされたようで、驚きの声を上げ、ロイクに至っては立ち上がったのを注意されていた。
どういうことだと、ロクサーヌは混乱する頭で必死に考える。
家族が集められた部屋にアルバンはいないので、何があったのか聞くこともできない。
だが何か考えようとしても、義母の言葉ばかりがグルグルと回るだけ。
「では、伯爵位は私のものですか?」
エヴァリストが少し上気した顔で口を開き、そこでようやくロクサーヌもそうだったと義母を見つめる。
アルバンが伯爵でなくなったのならば、次の伯爵はエヴァリストしかいない。最終的にロクサーヌの可愛い息子達が跡を継ぐだけなのだ。
ロクサーヌが前伯爵夫人としてエヴァリストを支えるならば、義母の口出しも不要である。
これを機に使用人の一人も付けず、領地の片隅にでも押し込んではどうかと仄暗い感情がロクサーヌの中で揺らめく。
だが義母の言葉で、すぐに安易な考えは吹っ飛んだ。
「そんなわけがないでしょう。領地経営を学ぶために、お前が領地に戻ってきたことがあって?」
すげなく返された言葉に、誰もが動きを止めた。
「伯爵位はアルバンの従兄弟であるテオトルに譲られたわ。
ゆえにお前たちはもう、伯爵夫人と伯爵令息ではない」
誰もの視線が義母の横に座る、アルバンと同じ髪色の男へと向けられる。
僅かな間の後、悲鳴と怒声が混じり合う中、事前に指示されていたらしい使用人達が、ロクサーヌと可愛い二人の息子を拘束する。
「血の繋がった孫であろうとも、エルトランジェ伯爵家の益とならないならば容赦するつもりないの。
お前たちに残した選択肢は少ないと知りなさい」
無理やりにソファへと押し付けられた体が沈む。
崩れた姿勢のままに目の前の義母を睨むも、ロクサーヌの怒りなど意に介さぬ様子でお茶を飲んでいる。
「一つは、領地の片隅で大人しくしておくこと。三人仲良く住まう家を一つ用意してあげるわ。
けれどエルトランジェを名乗ることは認めないし、家以外の援助もしない」
「酷いわ、お義母様! そんなことをされたら私達が生きていけないのを知っているでしょうに!」
たまらず声が張り上げられる。
つい先程まで同じことを考えていたはずなのに、ロクサーヌの頭からすっかり抜け落ちていた。
今やロクサーヌにあるのは悲劇の主人公となった自身と、たった二人の大切な子ども達だ。
だが、ロクサーヌの悲痛な叫びも、義母に届くことはない。
「少なくはない個々の資産があるじゃない。慎ましく生きれば、使用人の一人や二人を雇って過ごしていけるはずよ」
残っていればだけど、と呟く義母に対して、息子達の顔色が見る間に悪くなっていく。
かくいうロクサーヌも同じだ。
義母も夫もいない王都での生活で、少々羽目を外したのは自覚がある。最初はタウンハウスに振り分けられた資産に手を付ければよいと思っていたのに、領地改革に予算を多く振っていたせいで、ロクサーヌ達には使えるお金が無かったのだ。
もちろん伯爵家の妻として必要な予算は与えられていたが、だとしても王都での生活を存分に楽しむためには足りなかった。
フェリシーに割り振るはずの予算を半分奪っても、なお。
若々しいドレスが似合うロクサーヌ自身の為にと、屋敷の中でだけ楽しむための若い令嬢向けの流行のドレスや、大ぶりな花の髪飾り。デビュタントに着るような白のドレスだって、若い頃を思い出して懐かしいと数着コレクションしている。
それでも足りないから、義母がわざわざ送ってくるフェリシーのドレスを売った。
「足りないならば、自身の持ち物を売りなさい。
もう着る必要のないドレスなどいらないでしょう。売れば生活の足しになるわよ」
義母の言葉に息を呑む。
どこか他人事かのように実感が伴っていなかったのだが、ここにきて現実味を帯びたように感じたのだ。
ドレスはロクサーヌが集めた大切な宝物だ。あれを売り払うなんてできるはずがなかった。
「選択肢はもう一つ。まとまったお金と引き換えにロクサーヌは離縁、残る二人はエルトランジェ伯爵家から除籍され、今すぐこの屋敷を出ていくかよ」
義母の視線がエヴァリストとロイクに向けられる。
「きちんと教育され、学園でも相応の成績を残していれば、元貴族子息なら引く手数多。
人脈をきちんと作っていれば商売だってできるし、仕事の伝手もあるでしょう」
「そ、そんな」
エヴァリストもロイクも噴き出す汗が伝い落ちていく。
ロクサーヌはそんな二人に胸を痛め、義母を睨みつける。
二人の良いところは学業ではないし、貴族ならではの人脈ではない。母親想いの優しい性格だ。
家族を愛する優しい心は領主として民を導くのに、なにより必要なものだ。
それに息子達は人の上に立つことを教えているので、誰かの下で働くなんて論外である。
フェリシーのように、根性の曲がった娘に育たなかった大事な息子達。
それなのに義母は否定するのだと、憎悪が胸を占める。
目の前の義母さえいなくなれば。アルバンから伯爵という立場を奪った、目の前の男さえいなくなれば。
だが、どれだけ願ったところで今の状況が変わるはずもない。
目の前の若さを失った冴えない老女だけならば、息子達と散々な目に遭わせてやれるというのに。
なのに卑怯にも義母は、多くの使用人を伴っているのだ。
「選べないようね。ならば三日後、選ばないままだったら伯爵領に送り出すわ。別に同じ意見にならなくても結構だから、決まったら見張りを通じて伝えて頂戴」
話はおしまいとばかりに、義母が手を一つ叩く。
すぐに全員の体が引き上げられ、部屋の外へと歩かされる。
身を捩って振り返った先、女当主然とした義母とテオトルを侮辱しようと口を開く。
「そうやって偉そうにしているけれど、お義母様なんてフェリシーに騙されているだけのくせに! あの子は母親に恥をかかせ、兄達の顔に泥を塗り、父親から伯爵位まで奪う不出来の子よ!」
記憶の中のフェリシーは、いつだって陰気で家族からも距離を取り、悲劇の主人公気取りで地味なドレスばかりだと文句をつけていた。
少しも可愛くなかった末娘。幸せになれるようにロクサーヌがこれだけ頑張ったのに、何一つ理解しないままに仕返しをしようとする愚か者。
「あんな子なんて産まなければ良かった!」
視界の隅で義母が立ち上がり、何かを取ろうとしてか屈むようにして視界から消える。
再び視界に入ってきた義母は何かを手にして振りかぶり、それが扇子だとわかった瞬間には額に痛みを感じて悲鳴を上げていた。
「ティーポットを投げられなかっただけ感謝してちょうだい」
声は地を這うように低く、隠しようのない殺意がロクサーヌの呼吸を一瞬止める。
ティーポットなんて投げられたら、若々しくて可憐だと褒められる外見に傷が付くではないか。
ショックで声も出ないロクサーヌを忌々し気に見てくる義母から、恐ろしくて視線を逸らすことができない。
「その女を女主人の寝室ではなく、一番端の客間に移して頂戴。
顔も見たくない」
忌々し気に吐き捨てられた言葉に見送られ、ロクサーヌの体は部屋の外へと連れ出されていった。




