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「だって私、家族に愛されておりませんもの」  作者: 黒須 夜雨子


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05. 「私に幼馴染なんていませんわ」

 こっそりと準備をしたはずなのに。

 メイドに暴行をするぞと脅迫して礼装を用意させ、こっそり部屋を出ようとしたところを両親に見つかったエクトルは今、屈強な使用人達に連行される形で手近な食堂へと連れて行かれた。

 

「エクトル、その恰好は一体どういうつもりなの」


 母親の声はヒステリックなものに変わる一歩手前だ。

 隣にいる父は少し冷静そうだったが、エクトルが言葉を間違えれば容赦なくこぶしを振るうだろう。

 学園を退学になりかけた時にも一度殴られた。あの時の痛みは忘れていない。

 それに、これからフェリシーに会いに行くのだ。彼女の色に近いと選んだ礼装を汚したくはなかった。


「エルトランジェ伯爵から、夜会に参加しないかと誘われて」


 言っていることは間違いではない。実際に誘ってくれたのは伯爵ではなく夫人であったけど、そこは気にすることではないだろう。

 けれど夜会という言葉に反応した父親が、みるみる秀眉を上げて剣呑な空気を作り出していく。

 両親からはエルトランジェ伯爵家には関わらないようにと言われていた。

 それをエクトルが守らないのが許せないのだ。


「お前が謹慎の意味も分からないほど愚かだったとはな」

「でもエルトランジェ伯爵家からのご指名で、夜会への誘いを頂いているのです。

謹慎を言い渡されてから一年。いい加減、夜会の一つぐらい参加してもよいでしょう」

「反省もせずに言うことがそれか。

どこまでアルトーの名を汚せば気が済む。家の面汚しめ」


 頭ごなしの物言いに、エクトルが怒りに任せて暴れたくとも、使用人たちに押さえ込まれては何もできない。

 エクトルにあるのは焦りだ。

 今夜を逃せば、フェリシーに会うチャンスは無くなってしまう。

 侯爵家と子爵家という家格の隔たりと、そしてバルバストル侯爵家は噂を流した張本人であるエクトル及びアルトー子爵家を、夜会に招待することは二度とないはずだ。

 なによりエクトルは謹慎を言い渡されて、外出することすらままならない。


 嫁ぎ先の権力で噂を揉み消したフェリシーと、その権力によって汚名をかぶることになったエクトル。

 他の友人達がどうなったかは知らないが、同じような状況か、家ごと潰されたのは想像に容易い。

 運良くクロード・バルバストルに選ばれただけのフェリシーと、地位ある友人に恵まれなかっただけのエクトルとの違い。

 女というだけで庇護されるのだから楽だよなと、心の中で毒づいた。

 

 やはり、フェリシーは悪女なのだ。

 エクトルを追い込んだくせに、フェリシー一人だけに勝ち逃げさせる気はない。


 だというのに、卒業式は参加を許されず散々だったというのに、バルバストル侯爵家からの抗議文まで届く始末。

 エクトルの両親は怒り心頭で、エクトルの資産から相応の慰謝料を払い、そして自宅謹慎を言い渡したのだ。


 そうだ。学園を卒業してから一年は針の筵だった。

 エクトルと彼の悪友たちが流した偽りだらけの噂の件は、瞬く間に他の生徒達、それも高位貴族の子女を経由して社交界へと広がったらしい。

 デビューする前の、輝かしい未来を迎えるはずだった若者達が、少々の悪戯ぐらいで名誉を傷つけられたのだ。

 エクトルは周囲から浴びせられる悪意に、世間の大人は狭量ばかりかと、信じられない気持ちだった。

 それは今でも変わらない。


 家を継ぐので就業先はなかったものの、卒業してから行ってみようと話していた、貴族達のサロンなどにも通うことができなかった。

 デビュタントも出席を許されない。

 ようやく卒業して成人として迎える輝かしいデビューが、心無い大人たちによって潰され、どうして心が腐らずにいられようか。


 人の噂は75日だという。

 一年どころか半年も経てば十分だろうに、未だ両親はエクトルの外出を許してくれないでいる。

 屋敷を出ることを許されるのは、馬車に押し込められて領地へと帰省した時だけ。それだって複数人のお目付け役がいた。

 彼らは常に行動を共にし、両親の目が届かない場所だからと短い期間で戻された。

 今のエクトルに許されているのは、家族のスペースである二階での行動だけで、両親から社交界の情勢すら教えてもらえていない。


 ただ教えられたのは、アルトー子爵家の不名誉と、フェリシーがバルバストル侯爵家へと嫁いだことだけ。

 彼女の周囲が落ち着き、そして侯爵家の態度が軟化して初めて謹慎が解かれると聞いて、叫び出さなかっただけマシだろう。

 フェリシーが手に入らない事実を受け入れ、彼らの気が済むのを待つ苦しみ。

 どうして自分がこんな目に遭うのか、エクトルには全く理解できなかった。


 初恋の少女を奪っただけではなく、エクトルに苦痛と屈辱を与えるクロード・バルバストルが憎い。

 努力もなく手に入れた権力を使って、フェリシーを手に入れたのだ。

 だから伯爵夫人はエクトルにチャンスを与えようと、フェリシーと会えるだろう夜会に誘ってくれたのだし、そこで再会すればフェリシーを説得できる自信もあった。

 もうエクトルの妻にはなれないが、公の場で謝罪をさせれば十分である。


 エクトルを置いて、両親の説教は続いていく。

 早くフェリシーの元へと向かわなければいけないのに。誤解を解いて、謝罪をさせ、伯爵夫人と一緒に彼女を非難する。

 エクトルが流した悪評は、全てフェリシーの為だったのだから。

 

 これは正義であり、フェリシーが幸せになる上で必要であったことであり、エクトルが心から楽しめたことなのだ。

 クラスの生徒達が安直に噂を信じる様が面白かった。伝言ゲームによって大袈裟に変わっていく内容を検証しては他人を陥れることの愉悦を手に入れた。

 そんなことぐらいでフェリシーの評判が悪くなるのならば、それはエルトランジェ伯爵家がたいしたことないからだ。しっかりした家ならば、噂の一つや二つぐらい揉み消している。

 つまり、エクトルは何一つ悪くない。


「エクトル、お前は私達の話を聞いているのか」


 怒りを帯びた父親の声に、「多分」と適当な相槌を打つ。

 そうだ、この状況を打開できないエクトルの両親も、貴族としての能力が無い人間なのだ。

 無意識に何かを求めて視線は落ち着かないエクトルの目に留まった、テーブルに並べられたままのナイフ。

 ああ、これならば。

 カトラリーなので殺傷力はないが、脅すには十分だ。


 押さえつけられた体は動かないが、そっと手を伸ばせば、指先に硬くて冷たい感触。

 もう少し。

 精一杯に手を伸ばしてナイフを掴もうとするエクトルの、意図に気づいた父親の咎める声など気にせず、指先は掴みやすいナイフの側面へと指を滑らせようとする。

 もう少し。


 父親の怒号が響き、体を押さえつける力が強くなる。

 同時に握りしめたナイフ。

 素早く視界の隅に見えた使用人を刺そうとする前に、すぐに荒れた使用人の手がエクトルの手の甲を叩き、呆気なくナイフは落とされた。


「この一年、何の反省もしなかった挙句にこれか?

ほとほと芯まで腐ったものだ」


 もはや体のどこもかしこも強い力で押さえられて、顔を動かすこともできない。

 どこもかしこも痛いのに、誰も心配などしてくれない。


「もうよい。いつかは昔のように戻るのではないかと、お前に期待した私達が馬鹿だった」


 狭い視界に映った父親の姿。

 視線は感じるが、見下ろしているのかどうかすらわからない。


「常識など無いお前に貴族の責務など重荷だろう。だからといって、領地で補佐をさせることすら危うい。

カントリーハウスにある地下室で、大人しく過ごすならば命だけは取らん」


 冗談じゃない。

 地下室にあるのは、かつて軟禁が必要になった者に用意された部屋だ。

 両親は自分たちの都合が悪いエクトルを、適当な理由で押し込めるつもりと知ってゾッとする。

 エクトルは貴族として暮らすことの贅沢を知っているし、子爵領はのどかで何もない場所だ。

 そんな場所で軟禁生活なんて送るつもりはない。


 視界にいた父親の姿が消える。

 どこに行ったのかと声を張り上げようとした瞬間、


「これでお別れだ」


 という言葉と共に頭に衝撃を受け、呆気なくエクトルの意識は泥のような闇へと沈んでいった。

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― 新着の感想 ―
 楽しんだ時点で資格はないんだよ。
怖いけど面白い! 続きがとても楽しみです!
息子たちにしてもこの幼馴染(笑)にしても、ロクサーヌは己の同類を見極めることとそれを洗脳することには長けていたんだなぁ。あとは夫のように自分の言葉を鵜呑みにしてくれる馬鹿もかな。 他責思考と嗜虐癖って…
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