03. 「末娘は愚鈍なものらしくってよ」(母親視点)
母親のロクサーヌが、結婚してから今に至るまで。
最初の子が生まれた時、夫のアルバンだけでなく義両親も喜んでくれた。特に、当時は存命だった義父は大いに褒めてくれたものだ。
貴族の夫人として、嫡男を生む。言うだけならば簡単だが、それのどれだけ難しいことか。
特にロクサーヌは三姉妹で兄や弟がいなかったことから、婚約の際には義母から随分と嫌な顔で反対されたものだった。
女系家族のロクサーヌと、男系家族のアルバン。結果として軍配が上がったのがアルバンの家系であることに安堵した。
次の子もアルバンによく似た息子で、義両親もおおいに褒めてくれたものだから、有頂天になったのも仕方のない話だろう。
生家では姉の生んだのが娘だけだったことから、尚のこと。
喜びのあまり、次男にアランストル伯爵家を継がせてやってもいいのだと手紙を書けば、丁重な断りの返事が侯爵家経由で回ってきたときには、義両親に怒られる羽目になったが。
そうやって権力に縋らないと反論もできないのだと、ロクサーヌは気にもしなかった。
そして次も男の子だろうと思っていたのに、三人目は娘だった。ロクサーヌと同じ色の前髪だけが生え揃った娘。
義両親が微妙な顔をしているのを見た瞬間に、思い出として蘇る三人目の末娘。
──目の前にいるのはロクサーヌ自身だ。
母親に、姉達に虐げられた、可哀そうで愚鈍な娘。
「大丈夫よ」
抱き上げた娘をあやしながら話しかける。
「今度こそ私が正しく育ててあげるから」
***
義母と夫によって、娘はフェリシーと名付けられた。
ロクサーヌとしてはロクサーヌの嫌な思い出を象徴できるよう、縁起の悪い名前をいくつか提案したものの、ロクサーヌの提案は全て却下された。
幸せになれと名付けられたフェリシー。
そんな名前では努力もなしに、勝手に幸せになってしまいそうでロクサーヌは納得できなかった。
末っ子のロクサーヌは可哀そうだった。
だからロクサーヌの末娘も努力なしに幸せになってはいけないのだ。ロクサーヌと同じ境遇になって、それを乗り越えて幸せにならなければならない。
運の良いことにエルトランジェ伯爵領では、長期の改革計画に着手し始めていた。
夫であるアルバンは十年の年月を要する計画に、領主として采配を振るわなければならない。それを支えるのは義母とアルバンの従弟だ。
義父はフェリシーを生んでから少しして事故で亡くなっている。慌ただしく進められることになった計画に、三人の子を産んだロクサーヌは入っていなかった。
義母が領地に連れて帰るべきだと言っていたが、田舎なんて嫌だと泣くロクサーヌと彼女の肩を持つアルバンを忌々し気に見て、結局はアルバンだけを連れて領地に帰ってしまった。
ロクサーヌは、当主代行としての権限を与えられた家令と一緒という条件下で、子ども達と王都で暮らすことが許された。
娘が八歳の時である。
そこからロクサーヌはフェリシーが自分と同じ境遇になるようにと、娘の環境を整え始めた。
家庭教師は息子達と同じ者にして、彼らには今の息子達と同じ教育水準で扱うことを依頼した。
家庭教師たちは年の離れた娘を、間もなく学園に入ろうとしている息子と一緒にするのは難しいと言ったが、何もわかっていない者の意見など却下する。
年相応など求めていない。ロクサーヌが求めているのは、ロクサーヌが感じたのと同じだけの辛い環境だ。
それを無視して娘に優しくした家庭教師は即座に解雇した。
紹介状なんて用意などしない。
伯爵家の教育方針を無視して勝手なことをしたのだ。娘だけ贔屓する無能だと噂を回し、次の仕事など見つからないようにするのも忘れなかった。
残った家庭教師たちはロクサーヌに恭順する。
家庭教師から報告があったらしい家令に一度釘を刺されたが、当主であるアルバンから届く仕事に忙しいらしく、家庭教師にはいらぬことを言わないように注意すれば、ロクサーヌの邪魔はなくなった。
領地にいる夫達へ送る手紙にも、娘の出来が悪いと家庭教師から評価されているのを書き綴る。
評価を下したのは教師達であって、ロクサーヌの手紙の内容は間違ってはいない。息子達と同じ基準でというのを書き忘れただけだ。
当然、娘は教師たちが厳しいとロクサーヌに泣きついてきたが、それだって冷たく突き放してやった。
それもこれも娘の為なのだ。
ロクサーヌと同じ目に遭い、そして幸せになったときに初めてロクサーヌの気持ちを理解し、そして不幸せを乗り越えた先の幸せを知って感謝するだろう。
娘に逃げ場など与えない。
ここには夫も義両親もいない。専属のメイドもつけていないし、入れ替わり立ち替わり適当な者に任せて娘の発言を報告させ、不満を言えば呼び出して叱りつける。
娘に優しくする者など必要ない。
ロクサーヌの目指した、過去の可哀そうな私の環境は整い始めている。後は姉達の役割をしてくれる人間が必要だと思った。
そんな折、息子達から不満そうに聞かれたことがある。
「母上。なぜフェリシーは僕達と同じ教育を受けるのですか?
僕たちが不出来だからですか?」
よくよく聞いてみると、まるで息子二人がフェリシーより優秀ではないのかと思っているようで、驚きながら否定をする。
「そんなことないわ。エヴァンもロイも伯爵家の子息として十分に優秀よ」
だけど、と言い募るエヴァリストの肩に手を置く。
「ちゃんと二人を褒めてあげていなくて、ごめんなさい。
あの子こそ、不出来な子なの。だから今から少しでもしっかりしてもらえるように、先取りしてお勉強しているのよ」
反対の手はロイクを抱き寄せる。
「今度からちゃんと口にするわ。
あなた達は優秀で、あの子の出来が悪いだけだって」
息子達への正しい評価という、真っ当な理由を手に入れたロクサーヌの行動は早かった。
翌朝から可愛い息子二人を褒め、対して娘の出来が悪いことを口にしては大袈裟な溜息を吐く。
口答えしようとするものなら遮って説教をし、時には存在自体を無視して怒っていることを教えてやる。
気づけば息子達も母親であるロクサーヌの振る舞いを真似するようになった。
家庭教師からの評価が悪い娘をあげつらい、息子達が何かしでかして教師に怒られた時には、娘と比べてマシだからと笑い合う。
懸命に努力しているというアピールなのか、珍しく兄と同じだけの評価をもらった貴族らしい手紙の練習紙を持ってきたときには、息子達が生意気だと破り捨てて泣かしている。
そんな彼らを見守って、ロクサーヌはようやく理想の環境が手に入ったのだと喜んだ。
ロクサーヌは末娘として適当に扱われて辛かった。だから娘の可哀そうな姿は、あの時のロクサーヌを慰め、そしてもっと末娘に相応しい境遇になればロクサーヌの心は癒されるのではないかと思い至る。
最初にあったはずの目的は、とうに無くなっていた。
ロクサーヌよりも可哀そうな存在。
その思い付きは心の中を歓喜で一杯にする。
あの子がずっとずっと可哀そうであり続ければ、ロクサーヌの気持ちは誰にも言えない充足感で満たされたままに違いない。
ロクサーヌの支配下でしか生きていけない小さな存在。
「そうね、あんな不出来な子では嫁ぐこともできないわ。
私がしっかり面倒を見てあげないと」
ぽろりと落ちた言葉は種となり、床に、家に見えぬ根を張ろうとする。
それが芽を出して家を覆い隠すとき、きっとロクサーヌは過去の辛い記憶など捨てることができるのだ。
***
「どうして私があの子に会うのを禁じられるの!」
ヒステリックな声がエルトランジェ伯爵邸に響く。広い居間にも関わらず、ロクサーヌの声はよく響いた。
夫のアルバンは困った顔をしながらも、「バルバストル侯爵家からの通達だから」と言うだけしかしない。
久しぶりに会った娘に「躾」をした夜を一つ越えた、朝食後に家族が集まる居間。
伝えられたのは、バルバストル侯爵家からの抗議と、以降は娘との面会を一切禁止する通達だった。
「ロクサーヌ、落ち着いて」
宥めようとしてか、ロクサーヌへと伸ばされたアルバンの手を振り払う。
「これが落ち着けるものですか! ちゃんと育てた娘が贅沢三昧の傲慢な女になってしまったのですよ。
大体、旦那様が私と相談なくあの子の婚約をまとめられるから、こんな結果になったのではないですか!」
払われた手を見つめ、アルバンの口元から笑みは消えたが、そんなことはどうでもよかった。
「君に言えば断るだろう」
「当然です。エルトランジェの令嬢として、外に出すのも恥ずかしい子だったのに」
ロクサーヌを擁護するためか、エヴァリストが横に立つ。
「父上、母上は悪くありません。
長く領地にいた父上は知らないでしょうが、王都で一緒に暮らしていた私達から見てもフェリシーは問題のある妹でした」
ロイクも頷きながら、同意するように兄の言葉に続いて口を開く。
「兄上の言う通りです。家庭教師からの成績はいつだって最低でしたし、努力する才能すら無かった。
家族との団欒には参加もせずに部屋に引きこもり、身に纏うドレスはセンスも無い上に飾り立てることも知らない平民のような妹なのですよ」
そうしてから顔を歪ませて、怒りを吐き捨てた。
「兄上が婚約解消されたのも、相手の家から良からぬ噂を流されて次の婚約が調わないのも、フェリシーの出来が悪いからではないですか。だから私の婚約まで決まらない。
母は可哀そうだからと父上に報告しませんでしたが、あれの帰りはいつも遅くて、悪いことをしているのだと私達の評判が落ちたのですから」
お前達、と言ったアルバンの顔が強張っていく。
「アルバン、だからあの時に言ったでしょう。
ロクサーヌと子ども達だけを王都に置いていくのは止めなさいと」
不意に憎々し気な声色が場を支配する。居間に入ってきたのは義母だった。
声の険しさと、明確な怒りにロクサーヌの身が竦む。
「領地に連れて帰っていれば、こんなことにならなかったでしょうに」
冷え切った憎悪の眼差しがロクサーヌ達に向けられる。
「この愚か者のせいで、エルトランジェ伯爵家は没落の危機よ」
「ですが母上」
義母はアルバンの言葉に耳を貸す様子もなく、手にした扇子でアルバンの頬を叩く。
「言い訳は結構よ。誰かここにいる全員を部屋に連れて行って頂戴。
部屋から出ないように見張りも立てて」
「母上!」
抗議の声を上げた実の息子にすらも、義母は憤怒の視線を浴びせた。
「安心なさい。お前がいなくとも補佐をしてくれていたテオトルが領地の切り盛りをしているし、王都での業務は私や他の者ができるもの。
未だに領地の仕事も満足できないお前など。せめて孫が優秀に育っていれば即座に当主の挿げ替えができたでしょうに、これじゃあ全然駄目ね」
ロクサーヌの腕をメイド達が掴む。女主人に何をするのかと振り解こうにも、逆に強い力で掴まれて悲鳴を上げた。
アルバンも息子達も同様に使用人達によって、がっちりと押さえ込まれている。
「部屋で反省でもしていなさい」
どうせしないでしょうけど。
そう言った義母の声に見送られ、ロクサーヌ達は居間から引きずり出されていった。




