02. 「いつだって私は虐げられていたわ」(母親視点)
主人公の母親である、ロクサーヌの過去話です。
いつだって家族はロクサーヌに優しくなかった。
フェリシーの母親であるロクサーヌは、伯爵家の末娘だった。
ロクサーヌ・アランストル伯爵令嬢。それがエルトランジェ伯爵家に嫁ぐ前のロクサーヌだ。
末娘とあるように、ロクサーヌには姉が二人いた。
それも大変優秀な二人で、家庭教師から一つ話を聞けば、そこからいくつもの質問を向けてくる。
家庭教師達は姉達を褒め、そしてロクサーヌが育ってからは同じように優秀だろうと教え始め、何度目かの授業の後に大層ガッカリした。ロクサーヌは今でも彼らの顔を忘れられない。
家庭教師達からは姉と比較されることも、スペアにもならない娘だからと手抜きされることもなかったが、程々にしか褒められることのないロクサーヌが、周囲に不満に抱くのはすぐのことだった。
姉達とロクサーヌは違うのだ。これがロクサーヌの根っこに居座る仄暗い感情となる。
ロクサーヌ専属であったメイドに、よく姉と比較されてしまうと愚痴を言っては困らせていたが、メイドたちは誰もが「お嬢様は旦那様から、上のお嬢様達よりも可愛がられているではないですか」と慰めてくるのも記憶に残っている。
実際、両親は満遍なく子を愛そうという方針でいたし、幼少期のロクサーヌが姉達よりも劣っていても怒ることは無かった。そして姉二人を贔屓にすることもなかったのだ。
少し夢見がちで姉に見下されると言い出すロクサーヌを、彼女の父親は「お前も可愛い娘だよ」と笑いかけてから内緒でお菓子をくれたことも度々あった。
だからといって納得はできなかったが。
伯爵家を継ぐ長姉とスペアとなる次姉では、末娘であるロクサーヌとは立場が異なるのも事実。
それは責任に対する考え方や、領地のことを知らなければならない領主としての重荷などからであり、しっかり者だった二人からすればロクサーヌは甘ったれた小娘でしかない。
でも、それだってロクサーヌが三番目に生まれたばかりに生じた不遇だ。
はっきりと言われたことは無かったが、彼女達が投げてくる遠回しな言葉は、いつだってロクサーヌを馬鹿にしているとしか思えないものだった。
曰く、もう少し背筋を伸ばしなさいといった淑女として当然の心得から、時にはどこに嫁ぐかわからないのだから、家事の一環としてお菓子づくりでもしてみてはどうかといった提案だ。
まるでロクサーヌがマナーのなっていない娘で、平民にしか嫁ぎようがないと馬鹿にされているようなものではないか。
こういったことを言われる度に部屋に戻って泣いていたし、そうすれば父親が取りなしに来てくれた。お前も大事な娘だと、街で買ったらしい流行のリボンをロクサーヌに贈ってくれたりもした。
でも、それだけだ。物を与えれば誤魔化せると思われているのが腹立たしく、そこから父親とはあまり話さなくなり始めた。
母親はロクサーヌが成長するにつれて口喧しくなり、とうとう虐げるようになったのだと近寄らないようにしていた。
女伯爵である母親は、いつだって二人の姉と熱心に話し込んでばかりだった。
あの人たちはロクサーヌとは違うのだ。だからできない人の心がわからないまま軽視するのだと、ただ泣き暮れるしかない生活。
与えられるままに読んだ物語では、こういった時に王子様が助けにきてくれるのだが、現実を生きるロクサーヌに救いの手などない。
それを繰り返していたロクサーヌが12歳になると、王都にある学園への入学が決まった。
真新しい制服に袖を通し、溜息をつく。
姉二人のせいで、すっかり自信の無くなったロクサーヌと、親しくしてくれる人はいるだろうか。それに次姉はまだ学園に在籍している。姉と比較する教師がいるのではないかと思うと不安になる。
だから入学早々、担任に家の中で姉と比べられて辛いことや母親に差別されていること、彼女達との格差を感じることを相談したら、担任は親身になってくれることを約束してくれた。
ホッとしたロクサーヌに新しい友人もでき、楽しく学園生活を送るのはすぐのことだった。
***
ロクサーヌが学園で次姉と会うこともなく、青春を謳歌している時に一度、婚約の話が持ち上がったことがある。
それは他国の男爵家からで、自国に年頃の家格が釣り合う令嬢がいないため、はるばるアランストル家の令嬢との婚約を希望しているといった旨が記載されていたのだ。
家族全員がチラリとロクサーヌを見て、途端に嫌な気分になった。
家格なんて少しも釣り合っていない。それなのにロクサーヌを意味ありげに見て。男爵家だなんて格下に嫁がせるのは、ロクサーヌで構わないと言っているようなものではないか。
長姉は侯爵家三男の婿入りが決まっている。伯爵家の当主になる上に侯爵家という後ろ盾もある。
それなのにロクサーヌは男爵家に嫁がせようというのか。
「ロクサーヌ。貴女はこの婚約をどう思うかしら?」
「私ですか?」
ロクサーヌ自身は気づいていないが、表情に嫌悪がありありと浮かんでいた。
なぜ母親がロクサーヌだけに聞いてくるのかわからない。
「順番を考えると、お姉様ではないのですか?」
ロクサーヌより二つ上の次姉も婚約は決まっていない。スペアとしての生活を送っていた次姉だが、そろそろもう良いだろうと婚約相手を探し始めたのは最近の話だ。
だから次姉が先である。男爵家なんて彼女が嫁げばいいのだ。姉が可愛いからと、嫌なことだけをロクサーヌに押し付ける母親の心が理解できない。
「そう、ロクサーヌは望まないのね。わかったわ」
そう言った母親が今度は次姉に訊ね、彼女は小さく頷きながら「家の為になるのでしたら」と行儀良く返す。
それで決定だった。三月も経たない内に次姉の婚約は調えられた。
そうして訪れた男爵令息を見て、ロクサーヌは口を大きく開いて驚いた。
目の前にいたのは格下などではなかった。ロクサーヌの父よりも遥かに上質な仕立ての服を着、学園で学ぶクラスメイト達よりも所作が美しくて、なにより見目麗しかった。
高位貴族のような美しい金糸の髪はよく手入れされ、この日は前髪を後ろに流していた。明るい青の瞳は名も無き宝石のよう。
次姉より一つ下の彼は、ロクサーヌにはおざなりに笑いかけると、次姉へと情熱的な挨拶をし、恭しく手の甲に唇を落とした。
まるで王子様のようだった。そして実際、男爵家の彼は王族の血をひく身でもあった。
婚約の後に聞かされた話だが、彼の祖父は侯爵であり、祖母は降嫁した王女。男爵という地位は、スペアとして侯爵家を継ぐかもしれないという立場のため、彼の父に貸し与えられたものだったのだ。
嫡男との当主交代が無事に終わったら、彼には改めて伯爵位が譲られる上に侯爵家からの庇護もある。
彼の父親が言うには、優秀なので陞爵も夢ではないらしい。なにより男爵家とは思えない個人資産を持ち、次姉には苦労をさせないと語る姿は、もはや羨ましいという気持ちを通り越して妬ましかった。
──ずるい。
知っていたらロクサーヌだって、男爵家に嫁ぐことを選んでいた。
次姉は彼の国の留学生と交流していることから、あちらの事情を知っていたらしい。自分が幸せになるためならば、妹であるロクサーヌを陥れることを躊躇わないのだと怒りに身が震えた。
知っていて最初にロクサーヌに話がいくように仕向けたのだ。何も知らずに断るロクサーヌを笑うために。
やはり姉達はロクサーヌを見下しているのだと学園で嘆き、彼女を心配したクラスメイトには姉に騙されて婚約の話を奪われたのだと話す。
彼女の思い込みによる話が噂として回る頃、次姉は学園を卒業し、ロクサーヌに容赦のない平手打ちをしてから嫁いでいった。
***
ロクサーヌの縁談をどうするか、親はそれなりに悩んだらしい。
本人達から直接聞いてはいないので、本当のところはわからないが。
この国での貴族同士の結婚は、最近では恋愛結婚も認められ始めている。
勿論、恋愛結婚が認められるのは嫡子ではなく、嫁ぎ先も婿入り先もない子女が大半だったが。
「ロクサーヌ、あなたは貴族の夫人が向いていると思えないの」
年頃になったロクサーヌを見ても、母親は溜息を落とすばかり。
「お母様は私が可愛くないのでしょう。お姉様たちが優秀だからと、いつだって私を不当に扱ってきたわ。私だって努力はしているのに」
「お黙りなさい。あなた達の性格や学業の成果、マナーといったものを考慮した結果よ。
そう受け取られるのは残念だけど、アランストルの娘として嫁に出す以上は、当主として無責任なことはできないの」
姉二人に良縁を持ってきたのに、ロクサーヌには何もしてくれないのかと泣き、辟易したらしい母親が部屋へと連れ戻すようにメイドに言い付ける。
家にロクサーヌの居場所は無い。
唯一の救いは、学園の友人たちは親身になって聞いてくれることだった。ロクサーヌが涙を流すだけで、クラスメイト達はどれだけ辛い思いをしているのかと、ロクサーヌを心配してくれるのだ。
そんなクラスメイトの中に、夫となるアルバンはいた。
穏やかな性格の彼は外見も素朴であったが、人の良さが窺える笑顔で、誰よりもロクサーヌの話を聞いてくれた。
そして彼はロクサーヌに求婚すると言ってくれたのだ。
アルバンには婚約者がいたのだが、家同士の事情が重なって最近解消されたとのことだった。
アルバンは嫡男だからロクサーヌが嫁ぐのに問題ないし、ロクサーヌの話をよく聞いてくれる一人で、善意で動ける人物だ。
「君をあの家から救い出したいんだ」
求婚の言葉は気に入らなかったが、あの姉達にも家格は負けない家に嫁げるのだ。
母親も姉達も口惜しがるだろう。
「嬉しいわ、アルバン」
ロクサーヌは小さな不満を押し込め、晴れやかな笑みで答えた。




