精霊樹海の危機
風が騒いでいた。
普段ならば、精霊樹海は世界でもっとも美しい場所の一つと言われている。
数百年を生きる巨大な樹木。
空を舞う色鮮やかな鳥。
人間には聞こえない精霊たちの歌声。
しかし今、その森は見る影もなかった。
黒い霧が木々を覆い、地面には不気味な亀裂が走っている。
生命に満ちていたはずの森から、生気が失われていた。
「ひどい……。」
エリシアが小さく呟く。
彼女ほど魔力に敏感な者なら、森の苦しみが伝わっているのだろう。
レインも神眼を発動する。
『精霊樹海』
『状態:魔力侵食中』
『侵食率:三八%』
『原因:魔王軍呪術』
『完全侵食まで残り時間』
『約十八時間』
「十八時間……。」
レインの表情が険しくなる。
もしそれまでに止められなければ、この森は死ぬ。
そこに住む精霊たちも。
そして、この森を守る者たちも。
「急ぎましょう。」
ルミナが言う。
「魔王軍の目的は、おそらく風の神器です。」
「神器を奪われれば、敵はさらに力を増します。」
三人は森の奥へ進む。
進むほど、空気が重くなっていく。
木々は黒く変色し、地面からは魔物の気配が増えていた。
突然。
茂みが揺れた。
レインは反射的に短剣を抜く。
「誰かいる。」
神眼が反応する。
『生命反応』
『種族:精霊族』
『負傷』
『危険度:低』
「敵じゃない。」
レインが言った直後、小さな影が飛び出してきた。
身長は三十センチほど。
透明な羽。
緑色の髪。
小さな少女の姿をした精霊だった。
「た、助けて……。」
声は弱々しい。
エリシアがすぐに駆け寄る。
「大丈夫ですか?」
「人間……?」
精霊は怯えたように後ずさる。
「人間は……私たちを助けてくれるの?」
その言葉に、レインは胸が痛んだ。
おそらく過去に何かあったのだろう。
しかし。
今は迷っている時間はない。
「助ける。」
レインは迷わず答えた。
「僕たちは、この森を守りに来た。」
精霊はじっとレインを見る。
「あなた……。」
「神眼を持っているの?」
レインは驚く。
「どうして分かるんですか?」
「精霊は分かるの。」
「神様の力を受け継いだ人の光は、普通の人とは違うから。」
精霊は小さく頭を下げた。
「私はフィア。」
「この森の下級精霊です。」
「お願いがあります。」
「精霊王様を助けてください。」
「精霊王?」
ルミナが反応する。
「まさか……。」
フィアは悲しそうに頷いた。
「魔王軍に襲われて……。」
「今、封印されています。」
レインは神眼を見る。
『精霊王』
『状態:封印』
『危険度:SS』
『救出推奨』
『成功時』
『風属性神器取得可能』
「精霊王を助ければ、魔王軍の侵食を止められるかもしれない。」
エリシアが頷く。
「ですが、問題があります。」
「敵がいる。」
その瞬間。
森の奥から拍手の音が響いた。
パチ。
パチ。
パチ。
「素晴らしい。」
「まさか本当に来るとはね。」
黒いローブを着た男が木の上から降りてくる。
細い身体。
白い髪。
笑みを浮かべた顔。
しかし、その目には人間ではない冷たさがあった。
神眼が警告する。
『対象解析』
『魔族』
『個体名:ゼルギウス』
『魔王軍第七軍団長』
『危険度:SS』
『特殊能力:呪術』
『注意:知能型』
レインは警戒する。
「魔王軍……。」
ゼルギウスは楽しそうに笑った。
「おやおや。」
「神眼継承者とは、もっと恐ろしい存在かと思いましたが。」
「意外と普通ですね。」
レインは黙って睨む。
以前なら、こんな相手に何も言えなかった。
しかし今は違う。
「精霊王を返してください。」
ゼルギウスは首を傾げた。
「命令ですか?」
「人間が?」
黒い魔力が周囲に広がる。
木々が腐り始める。
フィアが震える。
「この人……。」
「森を壊した人です。」
レインの拳が強く握られる。
「なぜ、こんなことをするんですか。」
「なぜ?」
ゼルギウスは不思議そうに笑う。
「魔族だからですよ。」
「目的のためなら、世界の一つや二つ壊します。」
「そんな理由で……。」
「理由?」
ゼルギウスの目が細くなる。
「あなたはまだ何も知らない。」
「神々が正義だったと思っていますか?」
ルミナの表情が変わる。
「やめなさい。」
「ルミナ。」
ゼルギウスは初めて彼女を見た。
「まだ生きていたんですね。」
「光の神。」
「あなたたちは昔、私たち魔族をどう扱ったか覚えていますか?」
空気が重くなる。
レインはルミナを見る。
しかし、彼女は何も言わなかった。
ただ悲しそうに目を伏せる。
「過去の話です。」
ルミナが静かに言う。
「ですが、今罪のない者たちを傷つける理由にはなりません。」
ゼルギウスは笑った。
「だから甘い。」
「神も、人間も。」
「その甘さが、世界を滅ぼす。」
次の瞬間。
地面から黒い鎖が飛び出した。
「レイン!」
エリシアが叫ぶ。
しかし神眼が即座に反応する。
『呪縛魔法』
『回避可能』
『左へ一歩』
レインは指示通り動く。
鎖は空を切った。
ゼルギウスが驚く。
「未来を見る……。」
「それが神眼ですか。」
レインは短剣を構える。
「あなたの考えは理解できません。」
「でも、一つだけ分かります。」
「この森を傷つけることは許さない。」
ゼルギウスは笑みを深めた。
「面白い。」
「では試しましょう。」
「神眼継承者が、本当に世界を変える存在なのか。」
黒い魔法陣が空へ広がる。
森全体を覆うほど巨大な呪術。
神眼が赤く点滅する。
『警告』
『広域呪術発動』
『対象:精霊樹海全域』
『解除方法』
『術者撃破』
『制限時間』
『十五分』
レインは短剣を握る。
新たな戦いが始まった。




