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マッチ率100%の二人だが、君は彼女で私は彼だった  作者: naomikoryo


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49/50

番外編:第10話「マッチ率100%の答え合わせ」

日曜日の午後。

雨上がりの空気は薄く冷たくて、街路樹の葉の匂いが少しだけ濃い。

二人が選んだのは、百貨店の近くでも社員食堂でもない場所だった。

駅から少し歩いた先にある、小さなカフェ。

ガラス張りの窓に雫の名残が残っていて、外の光が柔らかく屈折している。


真子は先に来ていた。

奥の席。

壁際。

人の流れが視界に入りにくい場所。

トレーもなく、制服もなく、インカムもない。

それなのに、席に座っているだけで背筋が伸びてしまうのは、まだ“百貨店の中の自分”が抜けきっていないからだ。


(落ち着け。

今日は仕事じゃない。

でも……仕事より緊張してるの、なんで)


テーブルの上には、真子のスマホが伏せて置かれていた。

さっきから何度も起こしては閉じて、また伏せる。

指先が落ち着かない。

待ち合わせは三分後。

たった三分が、妙に長い。


ドアベルが鳴った。

和人が入ってくる。

スーツじゃない服装の彼は、職場で見るより少しだけ柔らかく見えた。

でも、歩幅は同じ。

迷わない歩き方。

それが真子の胸の奥をじんわり温める。


和人は真子を見つけて、ほんの小さく笑った。

真子も同じように笑い返してしまう。

その笑いが、まだどこかぎこちない。

でも、ぎこちないまま笑えることが、今の二人にはいちばん大切だった。


◆◇◆


「……こんにちは」

「こんにちは」

挨拶が重なる。

重なったことに、二人とも少しだけ照れる。

照れて、視線が一瞬だけ逃げる。

それがまるで、社食の窓際を再演しているみたいだった。


注文を済ませ、カップが置かれ、湯気が立つ。

コーヒーの匂いと、ミルクの甘い匂い。

その“普通の匂い”が、二人を少しだけ普通にする。


真子が先に口を開いた。

「……ねえ、答え合わせ、する?」

和人は一瞬だけ眉を上げて、それから頷いた。

「うん。

……怖いけど、したい」


真子はスマホを起こした。

画面には、保存してあるトーク履歴のスクリーンショットが並んでいる。

消さなかった。

棚にしまった。

でも、今日は鍵を開ける日。

“千佳とリョウ”の卒業アルバムを、二人でページをめくる日。


和人もスマホを起こす。

同じように、同じ履歴を保存していた。

スクショの順番は少し違う。

選んだ箇所も少し違う。

それがもう、面白い。

同じ時間を過ごしたのに、刺さったところが違う。

違うのに、根っこは同じ。


「最初の頃ってさ」

真子が画面を指で滑らせながら言う。

「私、めちゃくちゃ“男のふり”してる」

和人が小さく笑った。

「俺も“女のふり”してる」

「ね。

でも、今読むと……」

真子はスクショを見つめる。

「ふり、なんだけど。

その中に本音も混ざってる」


和人はゆっくり頷いた。

「混ざってるね。

俺、千佳でいる時の方が、正直だったかもしれない」

言った直後に、和人は自分で少しだけ驚いた顔をした。

言葉にすると、痛い。

でも言葉にしないと、ずっと痛いまま残る。


真子はカップに触れて、熱さで指先を現実に戻した。

「私も。

リョウの方が、変に強がれた。

強がれるから、本音を言えた」

「矛盾だよね」

「矛盾」

二人は同じ言葉を繰り返して、笑ってしまう。

笑い方が、少しだけ似ている。


真子は次のスクショを開いた。

「これ、覚えてる?」

画面には、既読がつかない夜のやり取りが映っている。

真子が「大丈夫ですか?」と送ってしまって、後悔して。

和人が遅れて返して、謝って。

それだけの夜。

なのに、真子にとっては“終わるかもしれない”夜だった。


「覚えてる」

和人の声が少し低くなる。

「俺、あの日、返せなくて」

「うん」

「怖かった」

和人は言葉を選びながら、指先でカップの縁を撫でた。

「千佳の言葉が、上手く出てこなくて。

返したら薄っぺらくなる気がして」


真子はその言葉に、胸の奥がきゅっとなった。

自分は“返信がない恐怖”を抱えていた。

和人は“返信が薄くなる恐怖”を抱えていた。

恐怖の種類は違うのに、出どころは同じだ。

失うのが怖い。

傷つくのが怖い。

また一人になるのが怖い。


「私ね」

真子は笑うふりをして、視線を落とした。

「既読がつかないだけで、世界が終わるって思ってた」

和人は苦く笑った。

「俺は、既読をつけるだけで、世界を壊すって思ってた」


沈黙が落ちた。

でも痛くない。

痛くない沈黙に変わったことが、二人の中で小さな勝利だった。


◆◇◆


真子は画面を閉じずに、別のスクショを開いた。

「これも」

そこには、“見るだけ”の話が出始めた頃のメッセージがある。

会いたいのに会えない。

友達なら会えるのに。

会う意味が重すぎる。

その言葉の端々が、今読むと切ない。


「この頃の私たち、めちゃくちゃ遠回りしてる」

真子が言うと、和人は首を振った。

「遠回りじゃないよ。

あれがないと、窓際に行けなかった」

真子が目を上げる。

「……ほんと?」

「ほんと」

和人は言い切った。

言い切ったことに、自分でも少し驚いているようだった。

でもその言い切り方が、真子には嬉しかった。

真面目な人が、覚悟を決めた時の声だ。


真子はカップを一口飲んだ。

苦みが舌に残る。

その苦みが、妙にちょうどいい。

甘すぎない。

逃げない味。


「じゃあさ」

真子が少しだけ軽い声を出した。

軽い声を出さないと、泣いてしまいそうだった。

「一番の答え合わせ、する?」


和人が息を飲む。

「……うん」


◆◇◆


真子はスマホのメモを開いて、そこに書き留めていた言葉を読み上げた。

「私が“男のふり”をしてた理由。

最初は、真面目な男が本当にいるのか確かめたかった。

……でも途中から、違った。

私、あなたと話す時間を失いたくなくて、戻れなくなった」


真子が言い切ると、テーブルの上が静かになる。

周囲の客の声はあるのに、二人の席だけが少しだけ密度を増す。


和人は、同じように自分のスマホのメモを開いていた。

「俺は」

和人はゆっくり言った。

「千佳を作ったのは、女の人にどう接していいか分からなかったから。

理想の女性を演じたら、ちゃんと話せる気がして。

……でも、途中から千佳が俺の理想じゃなくなった」

真子が目を瞬く。

和人は続けた。

「千佳は、たぶん。

誰かから借りてた」


真子は言葉の意味を理解して、息を止めた。

和人は少しだけ目を伏せて、白状する。

「俺、職場で見た真子さんの雰囲気を、千佳の中に混ぜてた。

知らずに。

勝手に。

……気づいた時、最低だと思った」


その告白は、真子の胸を刺すはずだった。

でも刺さらなかった。

代わりに、胸の奥が熱くなった。

(この人、ちゃんと自分の汚いところも言う)

言うのが怖いはずなのに、言う。

その誠実さが、真子の中の疑いを一枚剥がした。


「最低じゃないよ」

真子はすぐに否定しなかった。

否定するのを急ぐと、軽くなる気がしたから。

だから、少し考えてから言った。

「……でも、勝手に借りたなら。

返して」


和人が顔を上げる。

「返す」

「どうやって?」

真子の問いは、冗談じゃない。

和人も分かっている。

答えは一つしかない。


和人は、真子を見て言った。

「真子さんの前で、千佳をやめ続ける」

真子は小さく笑った。

「それ、長期戦だね」

和人も笑う。

「うん。

でも、やる」


そのやり取りが、恋の告白みたいで、告白じゃない。

二人はまだ「好き」を真正面から言わない。

言わないくせに、もうとっくに恋をしている。

恋の定義を避けながら、恋の作法だけが増えていく。

その不器用さを、二人はまだ“自覚していないふり”をしていた。


真子はスマホを置いて、両手でカップを包んだ。

「ねえ、和人さん」

「うん」

「次の約束、普通のやつにしよ」

「普通のやつ」

「うん。

“窓際の一番奥”みたいなやつじゃなくて。

ちゃんと会うやつ」


和人は目を瞬いて、それからゆっくり頷いた。

頷き方が慎重で、でも逃げない。

「……うん」

「怖い?」

真子が聞くと、和人は正直に言った。

「怖い」

「私も」

「でも」

和人が続ける。

「怖いけど、嬉しい」


その言葉に、真子の喉の奥が熱くなった。

泣くのは嫌だ。

今日は泣きたくない。

でも泣きそうになる。

真子は笑ってごまかした。

「マッチ率100%すぎ」

和人も笑って、「ほんとだ」と言った。


◆◇◆


会計を済ませて、店を出る。

雨上がりの道路が薄く光っている。

二人は並んで歩く。

肩は触れない。

でも距離は近い。

近いのに、急がない。

急がないことが、今の二人の優しさだった。


駅に向かう途中、受付の琴美から真子に短いメッセージが入った。

「どう?進展した?」

真子は一瞬だけ画面を見て、すぐ伏せた。

和人に見られたくないわけじゃない。

でも、まだこれは自分の“逃げ込み口”として残しておきたかった。


(琴美、楽しんでるな)

その予感は当たっている。

琴美はきっと受付のカウンターの向こうで、今日もニヤニヤしながら二人を想像している。

“本人たちが気づいてない恋”を、面白がって。

でも、面白がりながら守ってくれる。

そういう人だ。


真子は短く返信した。

「進展してない。

ただ、答え合わせした」

そして付け足す。

「たぶん、これが一番進展」


送信して、真子はスマホをバッグにしまった。

和人が横で「どうしたの」と聞く。

真子は笑って言う。

「同期から。

見守り係」

和人が少し不思議そうに首を傾げる。

その“分かってない顔”に、真子はまた少し笑ってしまう。


(気づいてない)

(ほんとに、まだ気づいてない)

(恋心って、本人には見えないものなのかな)


駅前で足が止まる。

別れ道。

ここからは、それぞれの生活に戻る。

でも、戻り方がもう違う。

一か月前の孤独には戻らない。

戻れない。


真子が言った。

「じゃあ、また」

和人が言った。

「また」


言葉は短い。

でも短い言葉ほど、余白が大きい。

その余白に、これからが詰まっていく。


二人はそれぞれ、別の改札へ向かった。

背中が離れていく。

離れていくのに、不安は前ほど大きくない。

LINEがある。

次の約束がある。

そして何より、相手が“実在する”という確信がある。


その確信が、二人にとっての「マッチ率100%の答え」だった。

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