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マッチ率100%の二人だが、君は彼女で私は彼だった  作者: naomikoryo


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50/50

番外編:おまけ「窓際の席、もう一度」

月曜日の朝。

百貨店の裏口はいつも通り消毒液の匂いがして、床はワックスで光っていた。

人の足音が反響する通路は、忙しさのスイッチを強制的に入れてくる。

それでも、今日は少し違った。

新堂真子はカードキーをタッチする音を聞いた瞬間、胸の奥に小さな合図が灯るのを感じた。


(今日も、いる)

(同じ建物のどこかに、和人さんがいる)


それは恋の高揚というより、生活の支えに近い安心だった。

一か月前なら、同じ建物に“リョウ”がいるかもしれない、と想像するだけで胸がざわついた。

今は、ざわつきは残っているのに、そのざわつきに居場所がある。

嘘の中の不安ではなく、現実の中の緊張。

現実の緊張は、逃げなくても受け止められる種類のものだと、真子はようやく知り始めていた。


受付のカウンターでは、山瀬琴美がすでに“完璧な顔”をしていた。

笑顔の角度が一定で、声のトーンが明るく、目の奥だけが忙しい。

真子が近づくと、琴美はパンフレットを揃えるふりをして小声で言った。


「昨日、答え合わせしたんでしょ」

「した」

「で」

琴美はにやっとする。

「告白は」

「してない」

「だろうね」

琴美は肩を揺らして笑いそうになり、ぐっとこらえた。

受付にはお客さんがいる。

声には出せない。

でも顔の筋肉が楽しそうにしている。


「なんでそんな楽しいの」

真子が呆れると、琴美はさらっと言った。

「楽しいから」

そして目だけで真子を見て、最後に小さく付け足す。

「でも、ちゃんと進んでるからね」


真子は返せる言葉が見つからず、パンフレットを置いて「じゃ」とだけ言って売り場へ戻った。

歩きながら、琴美の言葉が胸に残る。

進んでる。

確かに進んでいる。

けれど進み方は遅い。

遅いけれど、二人にとってはちょうどいい。


化粧品売り場に立つと、香りの波が一気に押し寄せる。

パウダーの粉っぽさ。

リップの甘さ。

アルコールの揮発。

ライトの白さ。

そのいつもの“濃い空気”の中で、真子は仕事の顔を作った。

笑顔。

提案。

確認。

在庫。

いつもと同じ流れ。

いつもと同じ言葉。

ただ違うのは、休憩時間が近づくにつれて心拍が少しだけ上がることだった。


(今日、会う約束はしてない)

(でも、会うかもしれない)

(会ったら、どうする)


考えるだけで、口の中が乾く。

それでも真子は自分を叱った。

(期待しすぎるな)

期待が大きいと、外れた時に自分が崩れる。

一か月間、画面の向こうに期待しすぎて痛い目を見た経験が、まだ体に残っている。


◆◇◆


昼休憩。

真子はタイミングよく売り場を離れた。

社員食堂へ向かう通路で、ふと窓際の光が思い出される。

一番奥の窓際。

あの席。

昨日までは“特別な席”だった。

今日も、特別でいてほしい気持ちと、特別にしすぎたくない気持ちがぶつかる。


社員食堂の入口をくぐると、揚げ物の匂いが濃くなる。

トレーを取って、列に並び、日替わりを受け取る。

いつもの行動。

いつものはずなのに、心だけが一番奥を先に見てしまう。


窓際の席。

今日は、空いていた。

誰も座っていない。

真子の胸が少しだけ沈む。

(そりゃそうだ)

(和人さんだって、毎日窓際に座るわけない)

自分に言い聞かせて、別の席に行こうとした。


その時だった。

背後から、控えめな声がした。


「新堂さん」


名前で呼ばれた瞬間、真子の背中に細い電気が走る。

振り向くと、佐伯和人がトレーを持って立っていた。

スーツ姿。

でも昨日より少しだけ肩の力が抜けている。

目が合う。

その目に、言葉にしない“続き”が映っている気がした。


「……佐伯さん」

真子が呼び返すと、和人は少しだけ笑った。

笑い方が、窓際の時より自然だった。

自然なのに、真子の胸がきゅっとなる。


「ここ、座ってもいいですか」

和人が窓際を顎で示す。

真子は一瞬、迷った。

特別な席に戻るのが怖い。

でも、逃げる方がもっと怖い。

真子は頷いた。


「……どうぞ」


二人は窓際に座った。

昨日とは違う。

約束していない。

指定もしていない。

ただ偶然に見えて、偶然じゃない。

(たぶん、どっちも探してた)

真子はそう思った。

でも口には出さない。


◆◇◆


食べ始めは、やっぱりぎこちなかった。

箸の音が気になる。

味噌汁の湯気が目にしみる。

周囲の会話が遠い。

それでも、昨日より息がしやすい。

昨日は“初めての現実”だった。

今日は“二回目の現実”だ。

二回目は、少しだけ現実に慣れる。


和人がぽつりと言った。

「昨日、言ってた“普通の約束”」

真子の指が一瞬止まる。

和人は続けた。

「……今週、どこかでしませんか」


真子は、心の中で琴美の顔を思い浮かべた。

(ほら、進んでるって言ったじゃん)

その声が聞こえた気がして、真子は笑ってしまいそうになる。

でも笑いは我慢した。

代わりに、ちゃんと返事をした。


「……いいですよ」


和人の表情が、ほんの少し明るくなる。

大げさじゃない。

でも確かに、喜びがそこにある。


「土曜の夕方とか」

「うん」

「カフェでも、散歩でも」

「うん」

「……ちゃんと、会うやつ」

「うん」


短い返事だけで、二人の間に合意が積み上がる。

まるで一か月分のメッセージみたいに、少しずつ、確実に。


食べ終えて、トレーを返却口へ運ぶ。

昨日と同じ動き。

でも今日の背中は、昨日より軽かった。

返却口の水音の前で、真子はふっと思う。

(これ、もう“会う前提”の関係になったんだ)

それが怖くて、嬉しい。


トレーを置き終えたところで、和人が真子に向かって小さく言った。

「……今夜も、連絡していいですか」

真子は頷いて、昨日より自然に笑った。


「うん。待ってます」


和人が目を丸くして、すぐに笑う。

「それ、この前の俺のセリフ」

「じゃあ、おあいこ」

真子が言うと、和人は「おあいこですね」と言って、少し照れたように視線を外した。


その照れを見て、真子は思った。

(気づいてない)

(まだ二人とも、恋って言ってない)

でも、恋って言わなくても育つものがある。

育ってしまったものがある。


受付カウンターの向こうで、琴美がきっと今、楽しそうに笑っている。

そんな想像をしながら、真子は自分の売り場へ戻った。


午後の仕事が始まる。

日常が始まる。

でも、日常の中に“約束”がひとつ増えた。

その約束の重さが、真子の背筋を少しだけ強くしていた。

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