第四十二章 ―鳳凰の旗、そして喰えぬ男の末路―
一 四国、制圧される
三週間が経った。
四国の主要勢力が、次々と降伏した。
三好の残党は散り散りになった。
四国の国人たちは——鳳凰寺の力を目の当たりにして、武器を置いた。
鳳凰寺の旗が、四国の各地に揚がった。
阿波の城下町。
民たちが、道の端に立って、鳳凰寺軍の行進を見ていた。
誰も、声を上げなかった。
恐れていた。
しかし——逃げなかった。
鳳凰寺の兵が通り過ぎた後、食料の荷車が来た。
医療班が来た。
「怪我をしている者はいないか。病の者はいないか」
鳳凰寺の医療員が、四国の言葉で声をかけた。
民たちが、ざわめいた。
老婆が一人、おそるおそる前に出た。
「孫が——熱を出していて」
「こちらへ。診ます」
医療員が、即座に動いた。
老婆が振り返って、周囲の民たちを見た。
その目が——少し変わっていた。
熊谷は、四国の治安維持のために駐留する部隊の配置を決めた。
宿毛湾に、海軍の拠点を置く準備が始まった。
徳島平野に、航空基地の測量が始まった。
高松港に、海軍の補給拠点が設置された。
鳳凰寺の旗が、揚がり続けた。
四国の民たちは——その様子を、恐れおののきながらも、粛々と従った。
二 吉良親実
時貞が、四国の土を踏んだのは、制圧から三日後だった。
土佐、岡豊城跡の近く。
仮の陣所に、吉良親実が来た。
時貞と向き合った。
親実は、時貞を見た。
(これが——時貞殿か)
十六歳の顔だった。
しかし——目が、十六歳ではなかった。
元親が「会いたい」と言っていた相手。
返書を書こうとしていた相手。
その夜、眠れずに机に向かっていた相手。
(見定めさせてもらう)
親実は、静かに、時貞を見た。
時貞は、まず一つの箱を親実の前に置いた。
「松永久秀から届けられた——三好長逸の首です」と時貞は言った。「今回の一連の件の、表向きの首謀者として」
親実は箱を見た。
動かなかった。
「しかし」と時貞は続けた。「正直に話します。真の首謀者は——松永久秀である可能性が、高いと俺たちは見ています」
「……」
「今も証拠を探しています。しかし——鳳凰寺の諜報部を持ってしても、確たる証拠を見つけられていません。俺たちには、それを証明する手立てがない。その事実を、正直に伝えます」
親実は時貞を見た。
「証明できない、と——自分から言うのですか」
「はい」
「普通は——言わない。都合の悪いことは、隠す」
「俺は隠しません」と時貞は言った。「証明できないことを証明できると言えば、嘘になります。嘘は——長い関係を作れない。それが俺の方針です」
親実はしばらく、時貞を見た。
(……元親様が言っていた通りだ)
時貞は立ち上がった。
そして——頭を下げた。
「申し訳ありませんでした」
親実が目を見開いた。
「今回の件の発端は——俺が長宗我部殿に書状を送ったことです。俺の書状が、謀略に使われた。その結果として——元親殿が亡くなられた。俺が詫びる立場にあります」
「待ってください」と親実は言った。
時貞が顔を上げた。
「時貞殿のせいではありません」と親実は言った。はっきりと。「あの書状に、何の非もない。謀略を仕掛けた者が悪い。時貞殿が詫びる必要は——一切ありません」
「しかし——」
「一切ありません」と親実は繰り返した。
二人は向き合った。
しばらく、沈黙があった。
「元親様の——最後の夜のことを、話してもよいですか」と親実は言った。
「はい」と時貞は言った。「聞かせてください」
親実は、静かに話した。
元親が時貞の書状を何度も読んでいたこと。
返書を書こうとして、言葉がまとまらなかったこと。
「書きたいことが溢れては消えを繰り返して、なかなか返答が書けないんだ」と元親が言っていたこと。
「内容が長くなりすぎる」と言って苦笑していたこと。
「この乱世で、これほど誰かと話したい、会ってみようと考えたことはない」と言っていたこと。
いつの間にか眠ってしまったこと。
親実が肩を揺すって起こしたこと。
「また明日考えるか」と笑って床についたこと。
時貞は、その話を聞きながら——目が、滲んだ。
止まらなかった。
拭おうとしたが——止まらなかった。
「……会いたかった」と時貞は言った。声が、かすれた。
「はい」と親実は言った。
「元親殿も——そう思っていてくれた」
「はい。間違いなく」
時貞は少し間を置いた。
「返書は——どういう内容になるつもりだったか、わかりますか」
親実は少し考えた。
「わかりません。しかし——元親様は、正直に書くとおっしゃっていました。時貞殿の書状のように、正直に、と」
「そうか」
「元親様は——時貞殿のことを、会ったことがないのに不思議な御仁だと言っていました。それほどまでに——時貞殿との対話を、楽しみにしておられた」
時貞は目を拭った。
幹部たちが、黙って見ていた。
成瀬が、少し目を伏せた。
「一つ、お願いがあります」と時貞は言った。
「何ですか」
「元親殿の墓に——参らせてほしい。俺が直接、手を合わせたい」
親実は少し間を置いた。
それから——深く頷いた。
「……ぜひ」と親実は言った。「元親様も——喜ばれるでしょう」
三 元親の墓
土佐の山の中に、元親の墓はあった。
まだ新しかった。
時貞は、供を二名だけ連れて来た。
親実が、静かに案内した。
墓の前に立った。
時貞は手を合わせた。
しばらく——動かなかった。
(元親殿)
心の中で呼んだ。
(俺は来ました。遅すぎました。しかし——来ました)
(あなたと話せなかったことを——ずっと残念に思います)
(あなたが守ろうとした四国の民を、俺が守ります。それが俺にできる、唯一の答えです)
(どうか——見ていてください)
親実が横で、静かに手を合わせていた。
山の風が、吹いた。
木々が揺れた。
しばらく、二人は並んで立っていた。
「親実殿」と時貞は言った。
「はい」
「これから四国の統治を始めます。長宗我部家の力を——借りられますか」
親実は少し間を置いた。
「……元親様が」と親実は言った。「あなたと話したかったのは——四国のためだったと、俺は思っています」
「はい」
「ならば——俺も、同じことをするべきでしょう」と親実は言った。
時貞は親実を見た。
「ありがとうございます」
親実は頷いた。
「元親様の分まで——俺が見させていただきます。鳳凰寺が、本当に信じられる勢力かどうかを」
「見てください」と時貞は言った。「俺は——言葉より行いで、示します」
山の風が、また吹いた。
元親の墓に、静かに当たった。
四 天元の提案
陣所に戻った時貞の前に、天元の報告が届いた。
「四国の軍港と航空基地の候補地を提案します」と天元は言った。
「聞かせてくれ」
「四ヶ所です。一、宿毛湾——太平洋に直接面した天然の良港です。水深が深く、大型艦船の停泊に適しています。南西方面と太平洋の警戒監視の拠点として、最も戦略的価値が高い。軍港として最適です」
「二、高松港と高松平野——瀬戸内海の交通の要衝です。大型船の接岸が可能な水深があります。瀬戸内海側の守りの要として、また物資の集積拠点として機能します。港と陸上基地の複合拠点に適しています」
「三、徳島の平野部——紀伊水道の入り口に位置します。平坦な地形で、滑走路の建設が容易です。大阪湾方面への防空と哨戒の拠点として最適です。航空基地に適しています」
「四、須崎港——太平洋側での補助的な艦艇拠点です。宿毛湾と連携して、太平洋側の防衛を担えます」
時貞は地図を見た。
「全て使う」と時貞は言った。
「四ヶ所全てですか」と成瀬が言った。
「四国は島だ。海と空を押さえなければ、守れない。四ヶ所全てに、それぞれの機能を持たせる」
「建設の優先順位は」と天元が問うた。
「宿毛湾と徳島を先に。高松は次。須崎はその後だ」
「了解しました。建設計画を作ります」
「そして——四国の本拠地は」と時貞は言った。「高知の平野に置く。土佐は元親殿の地だ。その地に——鳳凰寺の四国拠点を作る。それが、元親殿への俺なりの答えだ」
親実が、その言葉を聞いた。
何も言わなかった。
しかし——目が、少し動いた。
建設は、早々に始まった。
宿毛湾では、港の測量が始まった。
徳島の平野では、滑走路の基礎工事が始まった。
四国の民たちが、雇われた。
仕事が来た。
銭が渡った。
九州で起きたことが——四国でも、始まった。
五 松永久秀、来る
その日の午後。
陣所に、予期せぬ客が来た。
「松永久秀殿が——お目にかかりたいとのことです」と風間が報告した。
時貞は少し間を置いた。
(来たか)
「通せ」と時貞は言った。
松永久秀が、入ってきた。
その後ろに、数名の供がいた。
久秀は——部屋を見回した。
時貞を見た。
そして——深く、平伏した。
「お初にお目にかかります。松永久秀にございます」
時貞は久秀を見た。
初めて直接見る顔だった。
六十に近い年齢だった。
目が——鋭かった。
しかし、笑いが混じっていた。
底の見えない笑いだった。
(これが——久秀か)
「おもてを上げてください」と時貞は言った。
久秀が顔を上げた。
「鳳凰寺様。この久秀——本日は、一つお願いがございます」
と言った。
「なんだ?」
「この松永久秀を——鳳凰寺の末席に加えていただきたい。切にお願い申し上げます」
久秀は再び、深く頭を下げた。
「松永は——鳳凰寺時貞様に臣従いたします。この久秀、鳳凰寺のお役に立てることは間違いございません。どうか——お加えいただきたく」
参謀室が、静まり返った。
成瀬が、微妙な顔をした。
幹部たちが、互いに目を見た。
久秀は顔を上げないまま「ご存知のように」と久秀は続けた。「この久秀、謀略においては他に並ぶ者がないと自負しております。諜報。外交。情報収集。言葉で人を動かすこと。この乱世で、久秀が役に立てないことはない。私の能力の一端は、時貞様もご確認いただけたはずです」
(確かに確認した)
時貞は心の中で思った。
「私が加われば——鳳凰寺の諜報は、より強固になります。私はこれからの鳳凰寺に役立ちます。三好の残党の処理も、お任せください。この久秀、何でもやります」
「……」
「どうか、よしなにお取り計らいを…」
時貞は久秀を見た。
しばらく——何も言わなかった。
久秀が、わずかに顔を上げた。
時貞の目が——笑っていた。
(この顔は)
久秀は少し、違和感を感じた。
「わかった」と時貞は言った。「しかし——一日だけ、考える時間をくれ」
「はい」と久秀は言った。
「その間、久秀殿には鳳凰寺の客人として、滞在していただきます」
「ありがたき幸せにございます」
時貞は成瀬を見た。
「もてなしてやれ。最高のもてなしで」
成瀬は少し驚いた顔をした。しかし——頷いた。
「御意」
久秀は深く頭を下げた。
「良いお返事を、心よりお待ちしております」
退室する久秀の背中が——満足感で輝いていた。
(勝った)
久秀はそう感じていた。
久秀が出た後。
幹部たちが、一斉に時貞を見た。
「殿」と成瀬が言った。「まさか——あの者を鳳凰寺に迎え入れるつもりですか」
「まさか」と時貞は言った。即座に。
「では——」
「あんな、この世で一番信じられない人間を鳳凰寺に迎え入れるわけがないだろう」
全員が安堵した。
「では——なぜ、すぐにその返事をしないのですか」と成瀬が言った。
時貞は少し笑った。
「今回は——あの松永に鳳凰寺は散々やられ放題やられたんだ。ちょっとした意趣返しくらい、してやってもいいだろう」
「意趣返し?」
「それに」と時貞は言った。「本来の歴史通りにしてやるまでだ」
幹部たちが、首を傾けた。
「本来の歴史?とは…」
「まあ、見ておけ」と時貞は言った。
不敵に笑った。
六 松永のもてなし
久秀は——驚いた。
鳳凰寺のもてなしが、常識を超えていた。
清潔な部屋。
見たことのない柔らかさの寝具。
食事が——信じられないほど美味かった。
香りが良く、見た目も美しく、そして温かかった。
「……これは、何という料理だ」と久秀は言った。
「我々の食事でございます」と給仕の者が答えた。
風呂があった。
温かい湯が、大量にあった。
「湯が——無限に出てくるぞ」と久秀は言った。
「はい。我々の設備でございます」
久秀はしばらく、湯の中に浸かっていた。
(なんだこれは)
(なんだこの勢力は)
夜も深まった頃…。
久秀の配下の一人が言った。
「松永様……本当に大丈夫なのでしょうか?」
「大丈夫に決まっているだろう」と久秀は言った。満足顔で。「これほどのもてなしを受けているのだ。断られるはずがない」
「しかし——」
「そもそも、臣従することを認められなかったら、その場で断る。第一、もてなしすらされない」と久秀は言った。「時貞様は考える時間をくれと言った。今頃——鳳凰寺内でのワシの立場を、考えてくれているのであろうよ」
久秀は豪快に笑った。
「わははは——」
実に楽しそうだった。
七 時貞の一手
翌朝。
松永久秀が、時貞の前に平伏していた。
「昨晩の鳳凰寺のもてなしは——どうであったか」と時貞は言った。
「はっ」と久秀は言った。満足顔で。「今まで体験したことのない……まるで夢の中での出来事のようでした」
「そうか。それはよかった」と時貞は言った。にこやかに。
「……して、昨日私が鳳凰寺様にお仕えするお話の——お返事は、いかがなりましたか?」
「それなんだがなぁ」と時貞は言った。「一つ、久秀殿に頼みがあるのだ。それを聞いてもらえるか?」
「はっ」と久秀は言った。即座に。「私にできることがあれば、何なりとお申し付けください」
時貞が——満面の笑みを見せた。
「そうか。そう言ってくれると、私もうれしいぞ」
「では早速」と時貞は言った。
書状を取り出した。
「この書状を——織田信長殿に届けてほしいのだ」
久秀が、書状を受け取った。
「時貞様は——織田殿と面識がおありなのですか?」
「ああ。一度だけお会いした。その後は、このように書状のやり取りをしておる」
「早速、鳳凰寺様のお役に立てるとは——この久秀、感謝感激でございます」と久秀は言った。「早速、織田殿にこの書状をお届けに参ります」
久秀はウキウキした様子で立ち上がった。
「それでは、失礼いたしまする——」
久秀が退室した後。
「殿」と成瀬が言った。「あの書状には——一体、何が…」
「後でゆっくり説明してやる」と時貞は言った。
その顔が——超あくどい笑みになっていた。
成瀬が、少し引いた。
八 岐阜城
信長の居城、岐阜城。
松永久秀が、時貞の名代として、信長の前に平伏していた。
書状を差し出した。
「鳳凰寺時貞様より、織田信長様へのお手紙にございます。お改めください」
信長は書状を受け取った。
読んだ。
読んで——もう一度読んだ。
三度読んだ。
信長が顔を上げた。
久秀を見た。
「松永と言ったな」と信長は言った。
「はい。松永久秀にございます」
「この書状に——時貞がなんと書いて寄こしているか。お前は知っているのか?」
「いえ……全く存じ上げません」と久秀は言った。「信長様、時貞様はなんと?」
信長が——不敵に笑った。
久秀は、その笑いを見た。
(なぜ、そんな顔を)
嫌な予感がした。
「聞かせてやろう」と信長は言った。
信長が、書状の内容を読み上げた。
信長殿へ。
お元気のことと存じます。
一つ、頼みがあります。
今、この書状を届けた松永久秀という者ですが——鳳凰寺では人材は十分間に合っています。なので松永はいりません。
しかし信長殿はこれからさらなる勢力拡大をされるでしょうから——信長殿がこの松永を使ってやってください。
こいつには本当に、今回鳳凰寺は手玉に取られっぱなしでした。なのでその才は保障いたします。
もう死んでしまいたいと思うほど、この松永を織田家のために使い倒してください。なんら遠慮はいりませんよ。
時貞より。
久秀は——固まった。
完全に。
全身が、石になったようだった。
(…………)
(…………)
(………………なんだと?)
「愕然」という言葉が、完全に当てはまる状態だった。
信長は、久秀を見た。
(こいつが——今回、時貞を嵌めた犯人だったか)
(面白い)
信長の目が、少し輝いた。
「……して、どうする。松永」と信長は言った。「お前が儂の役に立つというならば——使ってやるが?」
久秀は動かなかった。
「もしこのまま儂にも仕えなければ——三好は全力でお前をつぶしにくるであろうなぁ…」と信長は呟いた。
久秀が——はっと、目を開いた。
そうだった。
三好長逸を殺した。
三好家に、久秀の居場所は、もうなかった。
鳳凰寺には断られた。
信長にも断られれば——行く場所がない。
「ぜひに——」と久秀は言った。声が、わずかに震えていた。「是非に、この松永を織田様の末席にお加えください。切に、切にお願い申し上げます」
深く、深く、頭を下げた。
「わかった」と信長は言った。「時貞の書状に書いてあったからな。今後——お前はこの俺のために、使い倒してやろう。励めよ」
「ははーっ」
久秀が、信長に深く、深く平伏した。
廊下に出た久秀は、しばらく歩いた。
そして——立ち止まった。
「……鳳凰寺」
呟いた。
「この仕打ち——覚えておれーーーー!!」
九 七島、大笑い
七島の執務室。
時貞が、幹部たちに全ての経緯を話した。
成瀬が——笑い出した。
木島が——天井を見た。
倉橋が——机に突っ伏した。
浜村が——涙を拭いながら笑った。
朝比奈が——壁に手をついた。
参謀室が、笑い声に溢れた。
「殿は——」と成瀬が、笑いをこらえながら言った。「久秀殿を使者として使ったのですか。信長様への」
「そうだ」と時貞は言った。
「久秀殿の顔が——見たかったですね」と浜村が言った。涙目で。
「見てみたかったな」と時貞は言った。
「信長様も——笑われたでしょうね」と木島が言った。
「前久殿から話が来るだろう」と時貞は言った。「楽しみに待っておこう」
「天元」と成瀬が呼んだ。
「はい」と天元が答えた。
「今回の件——どう分析する?」
天元が少し間を置いた。
「……私には、この手は思いつきませんでした」と天元は言った。「久秀殿を信長様への使者として使うことで——久秀殿の行き先を作り、信長様に久秀の才を贈り、そして鳳凰寺からの意趣返しも兼ねる。三つの目的を、一手で達成しています」
「天元でも思いつかなかったか」と時貞は言った。
「はい。これは——久秀殿が鳳凰寺を嵌めた謀と、同じ種類の発想です」
「そうだな」と時貞は言った。「久秀に学んだ一手だ」
参謀室が、また笑いに溢れた。
成瀬が、笑いの中で言った。
「殿。久秀殿は——いつかまた動くかもしれませんよ」
「動くだろう」と時貞は言った。
「覚えておれ、と言ったはずですから」と浜村が言った。
「だから信長殿に預けた」と時貞は言った。「信長殿なら——久秀を飼い慣らせる。信長殿もいい人材を得た。久秀も行き場所ができた。悪い話ではない」
「殿は——全員を、うまく動かしましたね」と木島が言った。
「久秀に習った」と時貞は繰り返した。「謀の基本は——相手の裏をかくこと。予想できないことをするから、より効果があるのだと、久秀は言っていたそうだな」
「誰から聞いたのですか」と成瀬が言った。
「風間だ…」と時貞は言った。「久秀の配下の忍びの言葉として、報告してきた」
参謀室が、また一段と、笑いに包まれた。
四国の陣所に——久しぶりの、明るい笑いが満ちた。
(第四十三章へ続く)




