第二十六章 ―妙覚寺の会見―
一 京へ
永禄六年、初夏。
時貞は七島を出た。
今回の同行は少人数にした。
成瀬一郎。風間新八郎。護衛六名。
それだけだ。
「殿」と成瀬が船の上で言った。「護衛が少なすぎませんか。信長の膝元に乗り込むのです」
「少ないからいい」と時貞は答えた。「信長に対して、警戒していないことを示す。それが——最初の言葉になる」
「しかし万が一——」
「信長は俺を殺せない」と時貞は静かに言った。「殺して何の益がある。九州が鳳凰寺の管轄下にある。帝と血縁で結ばれている。俺を殺せば——信長は全ての大名と朝廷を同時に敵に回す。そんな愚かなことは、信長はしない」
成瀬は少し考えてから、頷いた。
「殿が言うなら——そうなんでしょう」
船が北へ進んだ。
京へ向かった。
京に入った時貞を、前久が出迎えた。
近衛家の邸で、一泊した。
その夜、前久と向き合った。
「信長は——今日も動いている」と前久は言った。「義昭殿の政務を手伝いながら、実質的に京の掌握を進めている。動きが速い。俺が準備したことを、信長は一日で変えてくることがある」
「それが信長だ」と時貞は言った。
「明日の会見——何を話すつもりだ」
「三つ」と時貞は言った。「一つ、鳳凰寺の立場を明確にする。二つ、互いの目指すものを確認する。三つ——」
時貞は少し間を置いた。
「三つ目は、会見の流れ次第だ」
前久は時貞を見た。
「緊張していないか」
「していない」と時貞は答えた。
「信長に会うのに、か」
「信長は——俺にとって、知っている相手だ」と時貞は言った。「初めて会う気がしない」
前久は少し首を傾けた。
「どういう意味だ」
「うまく説明できない」と時貞は言った。「ただ——俺は信長という人間を、以前から知っているような気がする」
前久はしばらく時貞を見た。
「——またそういうことを言う」と前久は言った。「お前は時々、誰も知らないはずのことを知っている。俺はずっと、それが不思議だった」
時貞は答えなかった。
「いつか——教えてくれるか」と前久は言った。
「いつか」と時貞は静かに言った。「必ず」
前久は深く頷いた。
二 妙覚寺
翌朝。
京の妙覚寺。
信長が京で逗留する際によく使う寺だ。
境内に入った時貞は、寺の空気を感じた。
静かだった。
しかし——静かさの中に、張り詰めたものがあった。
信長の気配だった。
廊下を歩く時貞の前に、信長の近習が現れた。
「鳳凰寺時貞殿をお連れしました」と前久が言った。
「どうぞ」と近習が案内した。
部屋は広くなかった。
床の間に花が一輪。
窓から京の春の庭が見えた。
部屋の奥に——信長が座っていた。
時貞は信長を見た。
三十歳。
長身で、眼光が鋭く、全身から緊張感が滲み出ていた。
しかし——その緊張感は、怒りではなかった。
集中だった。
全ての感覚を、目の前の相手に向けている。
そういう緊張感だった。
信長は時貞を見た。
十五歳の青年を、見た。
一瞬——何かが信長の目を通り過ぎた。
驚きでも侮りでもなく——計算だった。
(この目は)と時貞は思った。(俺を子供として見ている目ではないな)
「——座れ」と信長は言った。
時貞は静かに座った。
前久が少し離れた場所に座った。
証人として。
護衛も近習も、廊下に下がった。
部屋の中に——三人だけが残った。
三 最初の沈黙
しばらく、二人は向き合った。
沈黙が続いた。
信長が先に口を開いた。
「——噂は聞いていた」
「どういう噂ですか」と時貞は問うた。
「伊豆沖の島の謎の勢力。鉄の船。薩摩を三ヶ月で降した。帝に錦の御旗を賜った。近衛家と縁を結んだ」
信長は時貞を見ながら続けた。
「しかし——十五歳だとは聞いていたが、直接見たのは初めてだ」
「はい」
「目が——十五歳ではないな」
時貞は少し考えてから答えた。「よく言われます」
信長が——笑った。
声を出さない笑い方だった。
目だけが笑っていた。
「前久。本当に十五歳か」と信長は前久に問いかけた。
「はい」と前久は答えた。「しかし——俺もこの方と初めて会った時、同じことを思いました」
「…ほう」
信長は再び時貞を見た。
「お前が——九州を動かした。帝を動かした。近衛を動かした。そして今日、ここに座っている」
「はい」
「理由を聞きたい」と信長は言った。「なぜそれができた」
時貞は少し考えた。
「力があったからです」と時貞は答えた。「力があれば——誰も止められない。ただし」
「ただし、何だ」
「力だけでは——長続きしない。力と筋道が揃って、初めて動かせる」
信長は時貞を見た。
「筋道、か」
「はい。島津を討ったのは——帝の御書を踏みにじり、俺の艦を襲い、日本人を南蛮船に積んだからです。力だけで動いたのではない。筋が通っていた。だから——道雪殿も、宗麟殿も、龍造寺殿も、動いてくれた」
信長はしばらく沈黙した。
「——面白い考え方だ」と信長は言った。
「信長殿は——どう動かれますか」と時貞は問い返した。
信長が少し目を細めた。
「俺に聞くか」
「はい。お考えを聞きしたい」
信長はしばらく天井を見た。
それから——時貞を見た。
「速さだ」と信長は言った。「俺は——考える前に動く。動きながら考える。止まった者は負ける。それが俺の考えだ」
「はい」
「お前は——急がないと聞いた」
「はい。急がない、焦らない、しかし止まらない。それが俺の考えです」
信長は少し笑った。
「正反対だな」
「そうかもしれません」と時貞は言った。「しかし——目指している方向が同じ部分もある」
「どの部分だ」
「日本を、強くしたい…という部分です」
信長は静かに時貞を見た。
四 天下布武
「本題に入る」と信長は言った。
「はい」
「お前の立場を聞きたい。鳳凰寺は——俺の下につくか」
時貞は信長の目を見た。
真正面から。
「つきません」と時貞は答えた。
部屋に静寂が落ちた。
前久が息を飲んだのがわかった。
信長は——表情を変えなかった。
ただ、目が少し鋭くなった。
「理由を言え」
「鳳凰寺は——帝の御下以外には、誰の下にもつきません。足利将軍家もそうです。信長殿も、例外ではありません。これは鳳凰寺家の方針です」
「帝の御下だけか」
「はい。帝だけです」
信長はしばらく黙った。
長い沈黙だった。
時貞は待った。
焦らなかった。
信長が——ゆっくりと息を吐いた。
「——わかった」と信長は言った。
前久が少し驚いた顔をした。
「わかった、というのは——」
「怒っていない」と信長は言った。「お前の立場はわかった、ということだ」
時貞は信長を見た。
「信長殿が怒らないことが——俺には少し驚きでした」
「なぜ驚く」
「多くの大名は——臣従を断られれば怒ります」
「俺は——力のない者には怒らない」と信長は言った。「そして力のある者には——怒っても意味がない」
「それが信長殿の判断ですか」
「そうだ」と信長は言った。「お前は九州を持っている。帝と結ばれている。今の俺に、お前を力で従わせる手段はない。怒るだけ無駄だ」
時貞は信長の言葉を、静かに受け取った。
(正直な男だ)
それが時貞の感想だった。
計算を、そのまま言葉にする。
「しかし」と信長は続けた。
「しかし?」
信長は時貞をまっすぐ見た。
「俺は——天下布武を掲げている。それはお前も知っているだろう」
「はい」
「天下布武は——天下を武力で統一するということだ。俺は本気でそれを目指している」
「はい」
「だから——はっきり言う」と信長は言った。「俺は将来、誰かと天下を二分するつもりはない。天下統一を目指す。その過程で——お前と向き合う日が来るかもしれない」
部屋に、重い静寂が落ちた。
前久が表情を変えた。
しかし——時貞は動かなかった。
信長の言葉を、静かに受け取った。
「わかりました」と時貞は言った。
「わかった、だけか」
「信長殿が正直に言ってくださったことに——感謝します」と時貞は言った。「俺も正直に言います」
「言え」
「俺も——天下を誰かと二分するつもりはありません。ただし」
「ただし、何だ」
「俺の目指す統一は——信長殿の天下布武とは、形が違います」
信長が少し身を乗り出した。
「どう違う」
「信長殿は——武力で統一しようとしています。俺は——武力は最後の手段だと思っています。できる限り、戦わずに統一したい」
「戦わずに、統一できるか」と信長は言った。
「むずかしかもしれない。けど…できる場合もあるかもしれない」と時貞は答えた。「島津は——武力で降しました。しかし今は、薩摩の民が自分たちで道を作り、学舎で学んでいます。戦の後に、何が残るかが大事です」
信長はしばらく時貞を見た。
「——お前は」と信長は言った。「俺とは確かに、違う」
「はい」
「しかし——目指す先が同じ部分がある、とお前は言った」
「はい。日本を強くする。それは同じです」
「日本を強くして——何とする?」と信長は問うた。
「南蛮の国々が、世界の海を支配しようとしています。百年後、二百年後——日本がその波に飲み込まれないように。太平洋…東の海を全て、日本の海にする。それが俺の目標です」
信長は少し黙った。
「東の海を、日本の海に」と繰り返した。
「はい」
「——それは」と信長は言いかけた。
しかし言葉を止めた。
何かを考えていた。
時貞は待った。
「お前は——どこまで考えているのだ」と信長はついに言った。
「遠い先まで」と時貞は答えた。
「どれほど遠い」
「百年。あるいは二百年」
信長は天井を見た。
長い間、天井を見ていた。
前久も黙っていた。
部屋の中が、静かだった。
五 信長の問い
しばらくの沈黙の後、信長が言った。
「一つ聞いてもいいか」
「どうぞ」
「お前は——なぜそこまで遠くが見える」
時貞は少し間を置いた。
この問いは——答えが難しい問いだった。
真実を言えば、信じてもらえない。
しかし嘘をつくことも——したくなかった。
「俺にも——うまく説明できません」と時貞は言った。「ただ、先が見えているような気がすることがあります。なぜかはわからない。しかし——その感覚に従って動いてきた。そして今まで、間違っていなかった」
信長は時貞を見た。
「——正直だな」
「嘘をついても、信長殿には見抜かれると思いました」
信長がまた、声のない笑いをした。
「一つだけ言う」と信長は言った。
「はい」
「俺も——先が見えることがある。他の者には見えていないものが。だから動く。だから速い」
時貞は信長を見た。
「信長殿も——そういう感覚をお持ちですか」
「ああ。しかし——お前ほど遠くは見えない。俺はせいぜい数年先だ。お前は——百年先を見ている」
「先が見えているから——急がなくていいのかもしれません」と時貞は言った。「信長殿は先が見えているから、急ぐのかもしれない」
信長はしばらく黙った。
「——面白いことを言う」と信長は言った。
「俺は急がない。信長殿は急ぐ。しかし——目指す方向が同じなら」
「同じなら、何だ」
「今すぐ戦う必要はないかもしれない」
信長は時貞を見た。
長い間、見た。
「お前は——俺と戦いたくないか」
「はい。戦いたくありません」と時貞は率直に言った。「信長殿と戦えば——多くの者が死にます。それは俺の望むことではない」
「しかし——二分するつもりもない」
「はい。二分するつもりもない」
「では——どうする」
時貞は少し間を置いた。
「今は——互いの方向が決まっていない。信長殿は日本の中央を動かしている。俺は九州と北と南を動かしている。今すぐ交わる必要はない」
「今は、ということは——将来は」
「将来のことは——その時になってから、考えます」と時貞は言った。「今わかっていることだけで確実に動く。ただ…それだけです」
信長はしばらく沈黙した。
「——急がない、か」と信長は呟いた。
「はい」
「俺には——できないことだ」
「信長殿には信長殿の考えがある。俺には俺の考えがある。それぞれが、それぞれの動き方で動く。今はそれで十分」
信長は立ち上がった。
部屋を少し歩いた。
それから——時貞に向き直った。
「今日——俺はお前に、はっきり言った。将来、向き合う日が来るかもしれないと」
「はい」
「それでも——お前は怒らなかった」
「怒る理由がありません。信長殿が正直に言ってくださったことは——むしろありがたい」
「なぜ」
「覚悟ができるからです」と時貞は言った。「いつかその日が来るかもしれない。それを知っていれば——準備できます」
信長は時貞を見た。
「準備、か」
「はい」
「何の準備だ」
「戦わずに済む方法の準備です」と時貞は笑いがら言った。
信長がまた笑った。
今度は——少し声が出た。
「——お前は本当に面白い」と信長は言った。
「ありがとうございます」
「褒めていない」
「わかっています」
信長と時貞は向き合って、しばらく沈黙した。
その沈黙は——敵意ではなかった。
互いを測る、静かな沈黙だった。
六 前久の証言
「前久」と信長が呼んだ。
「はい」と前久が答えた。
「お前はこの者と——どれほど付き合っている」
「一年半ほどです」
「どういう男だと思う」
前久は少し考えてから答えた。「約束を守る男です。今まで言ったことを、全て実行してきました。一つも違えたことがない」
「ほう」
「そして——帝を、本当に大切にしています。損得ではなく。それは俺が直接確かめました」
「損得ではなく、か」と信長は言った。
「はい」
信長は時貞を見た。
「お前は——帝が好きなのか」
時貞は少し考えてから答えた。
「好き、という言葉が適切かわかりません。しかし——帝は日本の根っこだと思っています。根っこを大切にしない木は、嵐で倒れます」
「根っこを大切にする、か」
「はい。信長殿も——朝廷と良い関係を保っておられます。義昭殿を将軍にしたことも——朝廷の権威を使うためですよね。俺たちは、その点では同じ方向を向いていると思います」
信長は少し笑った。
「俺が朝廷を——道具として使っていると言いたいのか」
「そう聞こえましたか」
「聞こえた」
「では——言い直します」と時貞は言った。「信長殿は朝廷を必要としている。俺も朝廷を必要としている。その点は——共通しています」
「言い方が変わっただけだな」
「しかし——意味が変わりました」
信長はしばらく時貞を見て——また笑った。
今度は、声が少し大きかった。
前久が、初めて肩の力を抜いた。
七 会見の終わり
信長が席に戻った。
「——お前と話して、一つわかった」と信長は言った。
「何でしょう」
「今すぐ動く必要はない、ということだ」
「はい」
「お前が九州を動かしている間、俺は中央を動かす。互いの範囲が交わらない間は——戦う必要はない」
「はい」
「しかし」と信長は言った。「俺は天下統一を目指す。それを撤回するつもりはない。天下布武は——俺の指針だ。いつか——お前の範囲と俺の範囲が交わる日が来る。その時は」
「その時は」と時貞は静かに問い返した。
「その時に——もう一度、お前と話そう」と信長は言った。
時貞は少し驚いた。
「…また話すと、おっしゃいますか」
「ああ。その時の状況次第だがな。今から決めることはできないが」
「……わかりました」
信長は立ち上がった。
「今日の会見は——終わりだ」
時貞も立ち上がった。
「ありがとうございました」
「一つだけ言う」と信長は言った。
「はい」
信長は時貞をまっすぐ見た。
「お前は——俺が今まで会った中で、最も不思議な者だ」
「どういう意味ですか」
「青年の顔をして——老獪な目をしている。急がないと言いながら——誰より遠くへ行っている。俺を怒らせることを言いながら——俺を笑わせる」
時貞は信長を見た。
「信長殿は——俺が今まで会った中で、最も速い方です」
「それだけか」
「そして——最も正直な方です」
信長はしばらく時貞を見た。
「——正直、か」
「はい。将来、向き合う日が来るかもしれないと——最初に言ってくださった。それは、俺への誠実さだと思っています」
信長は少し黙った。
「そう取るか」
「そう取ります」
信長はまた、声のない笑いをした。
「では——また会おう。時貞」
「はい。また会いましょう、信長殿」
廊下に出た時、前久が時貞の横に来た。
信長の近習が先に歩いていた。
前久は小声で言った。
「——信長が笑った」
「はい」
「信長が会見中に笑うのは——珍しいことだ」
「そうなのですか」
「俺は何度も信長と会っている。あれほど笑ったのは——初めて見た」
時貞は少し考えた。
「信長殿は——孤独な方だと思います」
前久が驚いた顔をした。「孤独、か」
「あれほど先が見えて、あれほど速く動ける者は——周囲に同じ目線の者がいない。だから孤独だ」
「……」
「今日、少し——同じ目線で話せる者がいた、と思ってくれたかもしれません。ただの俺の想像ですが」
前久は黙って、寺の庭を見た。
「時貞殿」と前久は言った。
「はい」
「将来——信長とお前が、本当に向き合う日が来たとしたら」
「その時は——できる限り、戦わない方法を探します」と時貞は言った。「しかし、戦わなければならないなら——迷いません」
前久は頷いた。
「俺も——その時は、お前の傍にいる」
「ありがとうございます」
二人は妙覚寺の庭を歩いた。
春の京の空が、高く澄んでいた。
八 七島への帰路
船の上で、時貞は一人で海を見ていた。
成瀬が横に来た。
「殿、信長との会見は——いかがでしたか」
「予想通りの部分と、予想外の部分があった」と時貞は言った。
「予想通りの部分は」
「将来、向き合う日が来るかもしれないと——はっきり言ったこと。信長はそういう男だ。自分の意志を、曖昧にしない」
「予想外の部分は」
時貞は少し間を置いた。
「笑ったこと」
成瀬が少し首を傾けた。
「笑ったことが、予想外でしたか」
「前久殿が言っていた。信長が会見中に笑うのは珍しいと。俺は何度か笑わせてしまった」
「殿が——信長を笑わせた」
「意図してやったのではないが」と時貞は言った。
成瀬は少し考えた。
「殿。信長との関係は——これからどうなりますか」
時貞は海を見た。
「わからない」と正直に言った。「将来、戦う可能性もある。戦わずに済む可能性もある。今はどちらにも転びうる」
「殿は——どちらを望みますか」
「戦わずに済む方を望む。しかし——信長が天下布武を本気で追い求めるなら、いつかは交わる。その時に、どちらが先に折れるか——あるいは、どちらも折れない道を見つけられるか」
「道を見つけられるかもしれませんね」
「信長は——今日、『その時に、もう一度話そう』と言ってくれた」と時貞は言った。「それは——扉を閉じていない、ということだ。今すぐ戦うつもりはない。そして将来についても、まだ決めていないということだ」
「それは——可能性がある、ということですね」
「そうだ」と時貞は言った。「扉が開いている間は——俺はその扉を使い続ける」
成瀬は深く頷いた。
「天元」と時貞は呼んだ。
「稼働中です」と天元が答えた。
「信長との会見の内容を記録してくれ。統治研究部門でも参照できるようにしてくれ。信長という人物の分析を——改めて深めたい」
「了解しました。一つだけ私の分析を申し上げてもよいですか」
「言ってくれ」
「今日の会見で——信長は時貞様を、警戒すべき相手として認識した、と分析されました。しかしそれは、敵対する意志ではなく、むしろ——対等に向き合える相手として、認識した…ということです。信長にとって、それは非常に珍しいことだと分析しました」
「珍しい、というのは?」
「信長は周囲のほとんどの者を——下に見ています。対等に見る相手は、ほとんどいません。今日、時貞様が対等に見る相手の一人になった」
時貞は少し考えた。
「それが——将来の鍵になるかもしれない」
「はい。対等に見ている相手とは——話ができます。見下している相手とは、話にならない。信長が時貞殿と話ができる関係を維持している間は——戦を避けられる余地があると分析します」
「わかった。その関係を——大切にする」
海が広がっていた。
七島への帰途。
春の海が、穏やかに光っていた。
時貞は前を向いた。
信長という男が——頭の中にあった。
速い。正直。孤独。そして——本気だ。
(信長よ)
時貞は心の中で呼んだ。
俺は今日、お前に正直に言った。
お前も、俺に正直に言ってくれた。
その誠実さを——俺は覚えている。
将来、どんな道を選ぶとしても——
今日、俺たちは正直に向き合った。
それは——変わらない事実だ。
波が船首を打った。
七島の旗が、海風にはためいた。
春の海が、静かに広がっていた。
(第二十七章へ続く)




