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覇道戦国 ~鳳凰寺家、天下統一…その先へ~  作者: 1009


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第十九章 ―錦の旗、薩摩へ―

一 三度目の参内

永禄五年、初夏。

京は雨だった。

時貞が御所に入った時、廊下は雨の音に包まれていた。

濡れた石畳。雨に煙る庭木。

前久が廊下で待っていた。

時貞の顔を見た瞬間、前久は何も言わなかった。

ただ——時貞の目を見た。

前回までとは違う目だった。

怒りと覚悟が、静かに同居している目だった。

「帝はお待ちです」と前久は言った。

「ありがとうございます」

廊下を歩きながら、前久が小声で言った。

「書状を読みました。荒木殿のこと——」

「はい」

「……ご冥福を」

時貞は短く頷いた。

御常御殿の前に着いた。

前久が障子を開けた。


帝は上座にいらっしゃった。

今日の帝の顔は、前回と違った。

穏やかさはある。しかし——その奥に、何かが宿っていた。

前久の書状で、既に概要はお聞きになっているはずだ。

時貞は礼法通りに平伏した。

「面を上げよ」

「はい」

帝の目が、時貞を見た。

まっすぐな目だった。

「——全て、話せ」と帝は言われた。

命令ではなかった。

促す、優しい言葉だった。


時貞は話した。

山川沖での夜襲から始めた。

暗闇の中から来た侵入者。甲板での戦闘。倒れた荒木一助。二十三歳。七島生まれ。両親がいる。

帝は黙って聞いていらっしゃった。

時貞は続けた。

翌朝の南蛮船。停船命令。船倉に積まれていた日本人。十七名。女性十一名、子供六名。縛られていた者たち。

帝は何も仰せにならなかった。

時貞は続けた。

薩摩の証拠。縄の編み方。短刀の刻印。布の藍染め。全てが島津を示していること。

御書が出た後も、山川での売買が増えたこと。

「非義の勅命は勅命に有らず」という論理で、御書を無視していること。

帝は、その言葉を聞かれた時、初めて目が動いた。

時貞は最後に言った。

「帝。俺は——覚悟を決めました」

「……」

「島津を討ちます。しかし——俺一人の勝手で動くつもりはありません。帝の権威の下で動かせていただきたい。正当性の上で、この戦を行いたい」

帝は静かに時貞を見ていらっしゃった。

「錦の御旗を——賜りたいと思っています」

部屋に、長い沈黙が落ちた。

雨の音だけが聞こえた。


帝は目を閉じられた。

長い間、動かなかった。

時貞は待った。

焦らなかった。

この決断は——帝が自ら、腹の底から決めなければならない。

誰かに急かされて出る決断ではない。

雨が、廊下の外で静かに降り続けていた。

帝が目を開けられた。

「時貞」

「はい」

「荒木一助の名を——朕は覚えた」

時貞の胸が、静かに動いた。

「帝が——」

「朕が御書を出した。その御書を守ろうとした者が、死んだ。それは——朕の責でもある」

「いいえ、帝——」

「いや」と帝は静かに遮られた。「朕が御書を出さなければ、お前は山川沖に艦を出さなかった。荒木という者は、朕の御書の結果として、あの海にいた」

時貞は何も言えなかった。

帝は続けられた。

「朕には軍がない。銭も少ない。大名たちに頭を下げなければ何もできない——それが今の朝廷の現実だ。しかし」

帝の目が、時貞を見た。

「権威がある。正統性がある。そしてお前がいる」

「はい」

「お前が動く方向に——朕は権威を向ける。それが今の朕にできることだ」

帝は静かに立たれた。

前久が控えめに進み出た。

「錦の御旗の準備を」と帝は前久に言われた。

「はい」と前久は深く頭を下げた。

帝は再び時貞を見られた。

「時貞。一つだけ言う」

「はい」

「戦で死ぬ者を、できる限り少なくしろ。島津の民は——島津の大名とは別の存在だ」

「はい。必ず」

「島津の武士が降伏を申し出た時は——丁重に扱え。朕はそれを望む」

「御意にございます」

時貞は深く、深く頭を下げた。

額が畳に触れるほどに。


二 前久の申し出

御常御殿を出た廊下で、前久が時貞の傍らに来た。

雨が少し弱まっていた。

「時貞殿」と前久は言った。

「はい」

「一つ、申し出たいことがある」

時貞は前久を見た。

前久の目は、決まっていた。

「俺が——九州に同行する」

時貞は少し驚いた。

「前久殿が、直接——」

「朝廷の代表として、錦の御旗と共に九州に赴く。大名たちへの説得、現地での調整——俺が直接動く方が、書状より確かだ」

「しかし——危険があります。九州は戦場になります」

「わかっている」と前久は言った。「だが——俺はただの官位を授ける役所でいたくないと、以前言った。覚えているか」

「はい」

「これが俺の、行動で示す機会だ」

時貞は前久を見た。

二十七歳の、若い公家の当主。

だが——その目に、揺るぎないものがあった。

「前久殿」と時貞は言った。

「何だ」

「必ず守ります」

前久はわずかに笑った。

「守られるだけのつもりはない」

「わかりました」と時貞は言った。「共に動きましょう」

二人は廊下に並んで立った。

雨が上がり始めていた。

御所の庭が、雨に洗われて清々しく光っていた。


帝への礼を終えて御所を出る前、前久が廊下で立ち止まり、御所の建物を振り返った。

修繕された板。新しい柱の一部。

銭が使われ始めていた。

「時貞殿」と前久は言った。

「はい」

「帝が——あなたのことを、本当に信頼しておられることが、今日よくわかった」

「……」

「錦の御旗を出すことは——帝にとって、容易な決断ではない。大名たちへの影響、朝廷の立場——様々なことを考えれば、躊躇われる理由はいくらでもある」

「はい」

「それでも、迷わずに決断された」

前久は振り返った。

「それは——あなたへの信頼だ。時貞殿。その信頼を、決して裏切るな」

「はい」と時貞は答えた。「必ず」


三 七島への帰還

三日後、七島。

時貞が帰還した時、参謀室に全幹部が集まっていた。

机の上に、大きな地図が広げられていた。

九州全土の詳細地図。

島津家の領土が、赤い線で囲まれていた。

薩摩、大隅、日向南部——広大な領土だ。

「作戦の準備が整いました」と成瀬が言った。「天元と木島、倉橋、朝比奈が三日間かけて策定しました」

「聞かせてくれ」と時貞は言った。

木島隼人が立ち上がり、地図の前に進んだ。


「島津征伐作戦——天鳳作戦と名付けました」

木島は地図を指しながら話し始めた。

「作戦は三段階で構成されています」


「第一段階——海上封鎖」

「倉橋司令官の海軍が担当します。薩摩、大隅の沿岸全域を封鎖します。山川港、坊津港、その他の主要な港への南蛮船の出入りを全て止めます。同時に、島津家への海上からの補給を遮断します」

「兵力は」と時貞が問うた。

「旗艦「鳳凰」を含む艦艇八隻。これで薩摩の全海岸線をカバーできます。島津の水軍は保有していますが——鳳凰寺海軍との力の差は、比較にならない水準です」

倉橋が補足した。「島津の水軍が出てきた場合——警告の上、排除します。ただし、できる限り撃沈は避けます。降伏を促す手順を最優先とします」

時貞は頷いた。


「第二段階——上陸と制圧」

木島が地図の薩摩半島を指した。

「上陸地点は三ヶ所を選定しました。薩摩半島の西岸、串木野付近。大隅半島の東岸、志布志湾。そして——種子島経由のルートです」

「なぜ三ヶ所か」

「一ヶ所への集中上陸は、島津に守りを固める時間を与えます。三方向からの同時上陸で、島津軍を分散させます。どこに主力を向けていいかわからない状態に追い込む」

「上陸部隊の規模は」

「第一陣として陸軍二千名。海軍の艦砲支援と連携します。空軍の偵察機が島津の動きをリアルタイムで把握します」

「島津の陸軍力は」

天元が答えた。「島津の動員可能な兵力は推定一万五千から二万。ただし——全てを薩摩に集中させることはできません。大友との境界、龍造寺との境界にも兵を置く必要があります。実際に鳳凰寺と向き合える兵力は、七千から一万程度と分析されます」

「それでも——鳳凰寺の陸軍二千に対して、数で上回る」と木島は言った。「しかし」

「しかし、何だ」

「装備の差が、圧倒的です」と木島は続けた。「鳳凰寺陸軍は二十一世紀水準の装備を持っています。精密射撃、防護装備、通信機器——島津の兵には見えない、聞こえない、届かない距離から、こちらは動けます」

「具体的には」

「島津の弓、火縄銃の射程は最大二百メートル程度です。鳳凰寺の狙撃班は、千メートルを超える距離から精密射撃ができます。島津の兵が弓を構える前に、こちらの弾が届く」

時貞は静かに聞いていた。

「ただし」と木島は言った。「殿のご方針通り、無用な殺傷は避けます。まず見せる。威圧する。降伏を促す。それでも突撃してきた場合にのみ、最小限の実力行使をします」

「帝から言葉をいただいた」と時貞は言った。「戦で死ぬ者を少なくしろ、と。島津の民は島津の大名とは別の存在だ、とも。この言葉を——全員に徹底してくれ」

「御意」と全員が答えた。


「第三段階——制圧と統治」

木島が話を続けた。

「薩摩の中心部、鹿児島を包囲します。海上封鎖と三方向からの陸上包囲が完成した時点で——島津義久に降伏を勧告します」

「期限は」

「一週間を与えます。その間、攻撃はしません。ただし包囲は解かない」

「義久が降伏しない場合は」

木島は少し間を置いた。

「鹿児島への本格攻撃に移ります。ただし——民への被害を最小限にするため、城の周囲を狙い、市街地への攻撃は行いません」

時貞は地図を見た。

薩摩。大隅。

広大な土地だ。

「制圧後の統治について」と時貞は言った。

「はい」と浜村が答えた。「統治案を別途まとめています。基本方針は——島津家の家臣団をそのまま残す、です。新しい制度を押しつけるのではなく、既存の仕組みを活用しながら、鳳凰寺の法と規律を段階的に導入します」

「義久と義弘への処遇は」

「降伏を受け入れた場合——生命は保証します。領地については、一定の範囲で認めることも選択肢です。帝も降伏した者を丁重に扱えと仰せになりました。その線で考えています」

時貞は頷いた。

「わかった。作戦の骨格は承認する」

室内に、緊張した空気が走った。

「ただし——始める前に、一つだけやることがある」

「何でしょうか」と成瀬が問うた。

「島津に——最後の書状を送る」

全員が時貞を見た。

「帝の御書を踏みにじったことへの警告。鳳凰寺の艦を武力で襲ったことへの問責。日本人を南蛮船に積んでいたことへの断罪。そして——今からでも降伏すれば、丁重に扱う、という選択肢の提示」

「返答次第では——」

「返答がなければ、それが答えだ」と時貞は言った。「書状を送って、十日待つ。十日後に返答がなければ——天鳳作戦を発動する」

成瀬が深く頷いた。

「御意」


四 道雪と龍造寺への連絡

作戦会議の翌日、道雪と龍造寺隆信への書状が出た。

道雪への書状は、時貞が自ら書いた。


道雪殿へ

俺は決断しました。

島津征伐に踏み切ります。

荒木一助が死にました。

日本人が南蛮船に積まれていました。

帝の御書が踏みにじられました。

帝より錦の御旗を賜りました。

朝廷の権威の下で、正当に動きます。

道雪殿に、お願いがあります。

大友家との境界——島津の北側を、抑えていただきたい。

俺が薩摩を正面から攻める間、島津の北への逃げ道を塞いでほしい。

無理はしてくださるな。

ただ——そこにいてくれるだけで十分です。

鳳凰寺時貞 敬白


道雪からの返書は、翌日届いた。

了解しました。

俺はそこにいます。

道雪より。


龍造寺隆信への書状は、成瀬が書いた。

返書は、直茂の字で来た。

隆信様より。「俺も動く。薩摩の東から圧力をかける。鳳凰寺が正面を叩く間に、俺が大隅の南蛮商人のルートを全て塞ぐ。一緒にやろう」とのことです。

鍋島直茂より。


時貞は二通の返書を並べて見た。

道雪と隆信。

北と東。

俺が正面。

三方から薩摩を包む。

「これで——揃った」と時貞は静かに言った。


五 島津への書状

島津義久への書状は、時貞が三度書き直した。

前久への書状を書いた時と同じように。

言葉を選んだ。

怒りを、言葉の形にする作業だった。


島津義久殿へ

鳳凰寺家当主、鳳凰寺時貞より。

帝より御書が出た後も、山川にて日本人の売買を続けたことを、問責します。

また、鳳凰寺の艦を武力で夜襲し、乗員一名を死に至らしめたことを、断罪します。

その証拠は、既に揃っています。

帝は島津家を朝敵と定める御意思をお持ちです。

錦の御旗を賜ることが、決まっています。

しかし俺は——戦を喜ばない。

今からでも、以下の四点を受け入れてくれれば、俺は戦いません。

一、人身売買の即時停止。山川港でのポルトガル船との取引を全て断つ。

二、鳳凰寺乗員への謝罪と、荒木一助の遺族への賠償。

三、帝の御書を受け入れる旨の、公式の誓約。

四、島津家の責任。

この四点を十日以内に返書で示してくれれば——鳳凰寺は刃を収めます。

返書がなければ、それが島津殿の答えと受け取ります。

鳳凰寺時貞 敬白


書状は風間の手を経て、薩摩の使者に渡された。


六 島津の返書

十日後。

返書は来なかった。

時貞は静かに待っていた。

十日目の夕刻、成瀬が部屋に入ってきた。

「——返書は来ませんでした」

時貞は目を閉じた。

数秒、動かなかった。

「わかった」と時貞は言った。

立ち上がった。

「天鳳作戦を発動する」


七 出陣

翌朝の夜明け前。

七島の軍港に、艦隊が集結していた。

旗艦「鳳凰」。護衛艦六隻。補給艦二隻。上陸用艦艇四隻。

計十三隻。

甲板に乗員が整列していた。

時貞は旗艦の艦橋に立った。

前久が隣にいた。

錦の御旗が、旗艦の最上部に掲げられていた。

金と赤の、鮮やかな旗が、夜明けの風に揺れていた。

「——これが、錦の御旗か」と倉橋が小声で言った。

誰かが息を飲んだ。

時貞はその旗を見上げた。

帝が賜った旗。

日本の正統性の証。

「荒木一助の名を、覚えていてくれ」と時貞は全乗員に向けて言った。

声が、海上に広がった。

「あの男は、俺の命令でここにいた。俺の責任だ。この戦は——荒木の死を無駄にしないための戦だ。そしてもう一つ」

時貞は前を向いた。

「積まれていた十七名の人たちを、覚えていてくれ。女性と子供が、暗い船倉で縛られていた。その人たちのような者を、もう出さないための戦だ」

静寂が続いた。

「帝が言われた。戦で死ぬ者を少なくしろ、と。この言葉を守る。島津の民は——俺たちの敵ではない。政の道を誤った者たちと、民は別だ」

時貞は前久を見た。

前久が頷いた。

「錦の御旗の下——出陣する」

艦隊が動き始めた。

旗艦「鳳凰」が先頭に立った。

錦の御旗が、夜明けの空に翻った。

金と赤が、朝日を受けて輝いた。


「天鷹」に乗る白石からも通信が来ていた。

アリューシャンの調査を一時中断して帰還する。鳳凰寺家の初の本格戦闘に、自分も参加したいとのことだった。

時貞は返信した。

白石へ。

気持ちはありがたい。

しかし今の任務を続けてくれ。

北の仕事も、同じくらい大切だ。

必ず無事に終わらせる。

時貞。


艦隊が七島を離れた。

南へ。薩摩へ。

時貞は艦橋の窓から、遠ざかる七島を見た。

初めて島を出た時——道雪に会いに行った春の日を思い出した。

あの時は、まだ何もなかった。

今は——前久がいる。道雪がいる。隆信がいる。帝がいる。そして錦の御旗がある。

(少しずつ、作ってきた)

時貞は前を向いた。

南の海が広がっていた。

その先に——薩摩がある。

「天元」と時貞は呼んだ。

「はい」

「作戦開始時刻を確認してくれ」

「第一段階、海上封鎖——今日の昼過ぎには薩摩沿岸に到達します。第二段階、上陸——明後日の夜明け前が最適と分析されます。第三段階、鹿児島包囲——上陸から五日以内を目標とします」

「わかった」

時貞は地図を見た。

薩摩。大隅。

この土地が——鳳凰寺家の最初の、七島以外の領土になる。

(始まりだ)

日本統一への、最初の一歩。

九州制覇への、最初の一手。

そして——将来の、太平洋制覇への、礎の礎。

波が艦首を打った。

錦の御旗が、海風に揺れていた。

時貞は静かに、前を向いた。


その頃、薩摩・鹿児島。

島津義久は城の望楼から、北の空を見ていた。

「——来るか」と義久は呟いた。

弟の義弘が横にいた。

「来ます」と義弘は言った。「鳳凰寺の艦が、既に種子島沖に現れたとの報告が入っています」

「数は」

「十三隻。旗艦に——」

義弘は少し間を置いた。

「錦の御旗が、上がっています」

義久は目を閉じた。

「……朝敵か」

「はい」

長い沈黙が落ちた。

「義弘」

「はい」

「俺たちは——戦うしかないのか」

義弘は答えなかった。

ただ、北の空を見ていた。

錦の御旗を持つ艦隊が、薩摩へ向かっていた。


(第二十章へ続く)

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